※この記事は2010年04月15日にBLOGOSで公開されたものです

 東京都が、公園の遊具を大人の背丈ほどの柵で囲い、子供たちを不審者から守るという試みを行うという。(*1)

 最初にこの話題を論じる前に、まず子供を狙った犯罪は増えているとはいえないという事実(*2)を再確認。子供の安全安心が論じられる際には「子供を狙う犯罪が増えている」という不確かな情報が枕詞のように使われることが多いので、注意する必要がある。
 さて本題。柵で子供を囲い込むことによって、親はまるでその檻の中の安全が保障されていると思うかもしれない。しかし、少し考えてみれば、檻の中にいる人が不審者ではないという保障はない。檻の中のベンチに座っている人が、遊具で遊んでいる子供の父母なのか、それとも子供を狙っている不審者なのかなど分かりようがない。
 また、仮にその人が子供の父母だったとしても、父母だから不審者ではないという保障もない。2006年に発生した秋田の児童連続殺害事件で、無期懲役が下されたのは殺された女児の母親である。(*3)

 そうした意味で、柵の存在は確かに父母に「安心感」を与えるかも知れないが、その安心感は決して「安全」を保障するものではない。安心感とは「安全のように思える」という錯覚に過ぎない。
 最初に提示したように、現在の日本は子供にとって、かなり安全な社会である。にもかかわらず、子供を狙った犯罪が増えているかのような言説が吹聴され、安全ではないかのような不安感が煽られている。
 そうした社会的風潮の中で柵を設置すれば、むしろ「この公園は柵を設けなければならないほどに、危険なのだ」と、いらぬ不安感を助長するのではないかと、私は危惧している。安心感と安全が別物であるように、「不安感」と「危険」もまた別物なのだ。

 最近は東京都が青少年健全育成の名の下に、マンガやアニメの性的表現に対する過剰な規制をくわえようとしたという問題があったが、あのようなエロマンガの規制というのも、大義名分としては子供の安全を守るためと言われるが、実際にはエロマンガを読んでいる人間の児童に対する犯罪率が、読んでいない人間の犯罪率と比べて有為に高いというデータはない。
 にもかかわらず、規制が行われようとする理由は、決して子供の安全のためではなく、「エロマンガを読むような気持ち悪い人間がいる」という、親の不安感を規制によって払拭するのが目的なのである。
 しかし、そうした不安感の払拭というのは、決して不安感の根本原因を取り除くことはない。不安感の根本は、他者に対する不信であり、それは決して「特定の誰か」や「特定の何か」を社会から排除することによって払拭できるものではない。
 実際、ホラービデオが規制され、ナイフが規制され、街角には監視カメラが急増している。それでも誰一人「最近の日本は安心だ」などと実感していないではないか。柵を立てたって、子供の親たちは誰も安心だとは思わないだろう。不安感によって規制が強化されたとしても、また別の不安探しが始まるだけである。

 もちろん、そうした不安感の根本原因を解決したいという気持ちは理解するが、そのためにも、まずは現状の日本社会はかなり安全であるという現実を受け入れること。そこから安全安心に対する本当の始まるのではないかと、私は考えている。

*1:遊具広場、囲って安心?孤立?…都立公園(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/national/news/20100413-OYT1T00837.htm

*2:幼児殺人被害統計グラフ(子どもの犯罪被害データーベース)http://kodomo.s58.xrea.com/gsatujin.htm

*3:連続児童殺害の畠山鈴香被告、上告取り下げで無期懲役が確定(産経新聞)http://sankei.jp.msn.com/affairs/trial/090519/trl0905191624007-n1.htm

プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。著書に「「当たり前」をひっぱたく」など。