【赤木智弘の眼光紙背】もっと生活にナイフを - 赤木智弘
※この記事は2009年07月23日にBLOGOSで公開されたものです
少し前の話になるが、今年1月5日に改定銃刀法が施行されたが、刃渡り5,5センチ以上の両刃の刃物の所持について、7月5日に猶予期間が終了し、完全に違法となった。それに伴い、一部のカキの殻剥き用のナイフなども、銃刀法違反になってしまった。(*1)
また、他にもスキューバダイビングの時に、海藻などに引っかかってしまった時に、それを切るために試用するダイバーナイフなども、両刃はもちろん、片刃でももう片側がノコギリ状などになっていれば、銃刀法違反になるという。こうした普通に両刃のナイフを使っていた人たちがナイフを取り上げられる例は、他にも養蜂や林業、登山など、調べればもっと出てくるだろう。
そもそもこの改定は、2008年の6月に起きた、秋葉原連続殺傷事件において、犯行の一部に「ダガーナイフ」と呼ばれる両刃のナイフが使われたことから、社会不安に乗じて行われた改定である。
事件に対する、市民とマスコミと政府と警察の極めてヒステリックな反応が、「ナイフを利用する人たち」を一律に犯罪者予備軍であるかのように錯覚させた。そして、犯罪以外での両刃のナイフ利用が多岐にわたることを忘れ、極めて一方的な法改定が、ロクに精査もされないまま行われた。その結果、多くの仕事やレジャーで普通にナイフを利用している人からもナイフを取り上げる結果となった。
こうした前提で、今回のカキの殻剥き用のナイフの問題を考えると、考え方の1つとして「ナイフの用途が特殊な仕事やレジャーに限定され、一般生活の中でナイフを使う機会がなくなったから、ナイフを規制してもかまわないという論理がまかり通っている」とも言える。
たしかに、ナイフは一般生活の中で必須のものではない。ナイフなどなくても生活に支障はない。しかし、あったらあったで便利なものでもある。
たまに、「子供の教育のために肥後の守を使わせよう」という意見を目にすることがある。曰く「バーチャルな体験ばかりをしている子供は、人の痛みが分からない。普段から肥後の守などに触れていれば、指を切ったりして「ナイフで刺せば痛い」ということが分かりやすくなる」ということらしい。
まぁ、未成年者の凶悪犯罪はみんなが肥後の守で鉛筆を削っていたころに比べれば減っているし、肥後の守で同級生を刺しちゃうような事件もあったというのが現実なので、そういう「子供の教育」という側面で肥後の守を使おうという考え方には反対する。
けれども、単純に生活をする上で、個人の使えるツールが増えるのは、良いことである。リンゴの皮をナイフで剥けないよりも、剥けた方がいい。そして、それは子供だけではなくて、大人も同じなのだから、みんなで肥後の守を携帯して、気軽にナイフを使う社会を実現すればどうだろうか?
現在の日本では、銃刀法と別の法律として「軽犯罪法」があり、「正当な理由がなく、刃物を持ち歩いてはダメ」というような内容が規定されている。すなわち、刃渡り何センチだろうと刃物を持ち歩いている時点で犯罪者扱い。悪質な警官に職質を受ければ、長時間の拘束が待っている。つまり、今の日本では片刃の肥後の守すら持ち歩くことができないのだ。
しかし、みんなが肥後の守を持ち歩き、その正当性を訴えることができるならば、私たちはナイフという便利なツールを日常に取り戻すことができるのみならず、警察の闇雲な持ち物検査や、安直な署への連行という暴走を牽制し、私たちの生活の安全安心まで取り戻すことができる。実に一石二鳥である。
生活にナイフを取り戻し、便利で安全安心な日本を作ろうではないか!!
*1:カキ殻むきナイフも所持はダメ 改正銃刀法施行で一部規制(共同通信)http://www.47news.jp/CN/200907/CN2009070201000263.html
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。