【佐藤優の眼光紙背】プーチン露首相訪日と新型インフルエンザ - 佐藤優
※この記事は2009年06月02日にBLOGOSで公開されたものです
ロシアは表と裏の二重構造をもった国だ。特にプーチン首相は、GKB(ソ連国家保安保安委員会)の第一総局(対外諜報担当、SVR[露対外諜報庁]の前身)に勤務したプロの諜報機関員だ。訪日する前に、必ず日本の一部マスコミ(全部ではないところがミソだ)と会見し、シグナルを出す。そのシグナルの出し方に少し「ひねり」が入っているので、ロシア事情を長く観察していないと読み解きが難しいことがある。
今回は、5月7日夜、プーチン首相は、共同通信、日本経済新聞、NHKとの会見に応じた。その中で新型インフルエンザに関するシグナルが興味深い。プーチン首相は、<
ロシアでは感染ケースはないが、迅速に反応している。インフルエンザは落ち着きつつあるとの報道もあるが、予防措置が甘くなってはいけない。すでに秋・冬に向け、ワク
チン生産など予防措置を準備するよう関係省庁に指示している。>(5月10日日本経済新聞)と述べた。
ロシア人は、性悪説に立って物事を考える。ロシアは生物兵器の開発を行っている国だ。新型インフルエンザが発生したという話を聞くと、ロシアの外交官やインテリジェンス専門家ならば、ただちに「どこかの国が、毒性が強い新型インフルエンザのウイルスを開発する。同時に予防接種用のワクチンも開発します。戦場で、自国軍の将兵には
予防接種をした上で、毒性が強いインフルエンザのウイルスを散布する。そうすれば味方は無事で、敵の戦闘能力を減殺することができる」と考える。そして、そういう最悪
の事態を想定して、ロシア人は新型の感染症に対する研究を怠ることはできないのだ。プーチン首相氏が、<すでに秋・冬に向け、ワクチン生産など予防措置を準備するよう
関係省庁に指示している>と述べていることから、ロシアは新型インフルエンザが今年の秋冬に蔓延するシナリオを想定し、ワクチンの研究開発に着手しているということを
述べているのだ。プーチン首相は無駄なことは言わない。「新型インフルエンザについて日本と協力できないか」と水を向けているのである。
森喜朗元首相がこのシグナルに気づいた。5月12日午前の会談で、森氏が、「ロシアは日本と協力して、新型インフルエンザの研究を進めて、薬品について協力したらい
い」といったら、プーチン首相は「大変面白い。本国に持ち帰って検討する」と答えた。
その翌13日、筆者はプーチン首相に同行した2人のロシア政府高官と懇談した。2人も「森元首相は勘がいい。日露が新型インフルエンザに関する研究を進め、特効薬を
開発すれば、両国の国民感情を改善する」と言ったので、筆者が「表の世界では確かにそういう効果がある。同時に裏世界の生物兵器開発に従事するGRU(露軍参謀本部諜報
総局)の関係者も出てくるよね。GRU関係者との表の窓口が開くと、北方領土交渉にも肯定的影響が期待できる」と水を向けた。2人は笑いながら、「佐藤さん、作家になっ
たと聞いていたけれど、勘は鈍っていないね」と言った。
GRUは北方四島の日本への引き渡しに反対する最強硬派だ。領土交渉を前進させるた
めには、日本に敵対する勢力を脱構築することも重要だ。(2009年5月30日脱稿)
プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
近著に「テロリズムの罠 右巻 忍び寄るファシズムの魅力」、「テロリズムの罠 左巻 新自由主義社会の行方」、「テロルとクーデターの予感 ラスプーチンかく語りき2」、「「諜報的生活」の技術 野蛮人のテーブルマナー」など。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。