※この記事は2009年04月16日にBLOGOSで公開されたものです

4月1日からJR東日本が、首都圏の駅の全面禁煙を開始している。(*1)
これまで、ホーム端にあった喫煙所が撤去され、特定の喫煙ルームでしかタバコを吸うことができなくなっている。

私自身はタバコを吸わないので、なんら不便はないのだが、ホーム端に喫煙所があることによる不快を感じたこともない。
JR東日本のPR(*1)によれば、喫煙所の煙がホームの客に漂ったり、車内に流れたりということを問題視しているらしいが、そんなに嫌ならホーム端に行かなければいいだけのことだろう。
駅の構造上、通らざるをえない場合もあるかもしれないが、そんな一瞬のことを排除しようとするのは、あまりに嫌煙側にのみ都合のいい言い分のように思える。
それに、煙が問題なのであれば、各駅に喫煙ルームを設置すればいいのである。ホームの全面禁煙はいいが、駅全体でタバコを吸えないというのは問題である。私としては分煙徹底の視点で、公共交通機関には喫煙ルームの設置を義務づけるべきだと考えている。

と、そんなことを考えつつ、喫煙ルームについて検索をしていたのだが、世の中の嫌煙家の要求は、分煙要求をとうの昔に通り越していたらしい。
今や彼らの主張は「喫煙ルームの設置自体が許せない」というところにまで、行き着いている。
例えば、路上喫煙禁止区域を設定した市町村が、喫煙ルームを設置するということに対して、「その費用を誰が負担するのか」と言うのである。
もちろん、それは税金に決まっているのだけれども、彼らは「喫煙という個人の趣味を税金で負担するべきではない」のだという。

もし、そうした理屈が通じるのならば、私は児童公園や市立の保育園や幼稚園、小中学校の全面閉鎖を求めたい。なぜなら、子供を持たない私が、子育てという個人の趣味を、税金を通して負担してやる理由はないからだ。
子育てというのは、個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為であるのだから、当然負担も受益者負担であるべきだ。そう主張したい。
私には「個人が自らの幸福を追求するために子供を産み育てる行為」と「個人が自らの幸福を追求するためにタバコを吸う行為」に、大きな違いがあるとはまったく思えない。「子供を育てる行為は、子供を育てない人に迷惑をかけていない」と思うかもしれないが、家族を守ることが絶対善であるという社会通念によって、単身者がいかに不利益を受けているかを考えれば(*2)、煙なんかよりもはるかに迷惑な存在なのである。

それでも私が、学校の全面閉鎖などを求めないのは、たとえ迷惑であっても、それを互いに我慢していくことによって、始めてみんなが幸せな社会が実現すると考えているからである。それが誰もが自分にとって不愉快なことを声高に主張し始めてしまったら、社会は成り立たないだろう。
「子供がうるさいから公園を撤去しろ!」などという主張が通ってしまうような社会を、私は許容したくはない。タバコもそれと同じである。
人は誰しも、他人に何らかの迷惑をかけながら生きている。人権を主張することも大切だけれども、だからこそまずは他人の権利を認めることから始めてみてはどうだろうか?


*1:禁煙・喫煙について(JR東日本)http://www.jreast.co.jp/nosmoking/index.html
*2:それこそ、「就職氷河期問題」というのは、「家族を養う父親」のクビを切らないために、単身者である若者の雇用を大幅に控えたことから発生した問題である。


プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。