【赤木智弘の眼光紙背】「できません」なんてワガママを許すな - 赤木智弘
※この記事は2009年04月09日にBLOGOSで公開されたものです
政府の中期目標検討委員会は、温室効果ガスの削減目標を厳しくすれば、失業者が120万人増え、家庭の可処分所得が年間で最大77万円減るという試算を示した。中期目標をめぐって、日本経団連は大幅削減は大きな負担となると意見広告を出すなど、温室効果ガスの排出削減を推し進めたい環境省との対立があるという。(*1)
「失業者が120万人増える」という言い訳は酷い。
いや、酷いのだけれど、本当に酷いのは、結局こうした言い訳が通用する、雇用と福祉のお寒い現状である。
私は失業者が出ても、失業者の生活を福祉でしっかり支える事ができれば、それでいいと考えている。
「失業者が120万人増える」が一種の恫喝として成り立ってしまうのは、労働者の失業を前提にした社会の制度設計が成り立ってないことの証明である。
きちんとした福祉は労働者のためであることはもちろん、企業の恫喝を無効にし、健全な企業運営を促すためにも必要なのである。
また、エコロジーについて、そういう姿勢でいいのか? ということもある。
私は世界的な環境保護に対する一元的な姿勢(環境を保護することは、とにかくいいことだ)には慎重ではあるが、少なくともそうしたエコロジー懐疑論を企業が打ち出しているのを見たことがない。
企業にとっては、エコは商品の売り文句であり、エコのために使える製品を捨てて、買い替えろ。なんて主張もしている。
本当に環境一元論的な姿勢に反対するならば、企業体として商品を通して反対していけばいいのに、商品や企業イメージではエコを翼賛しながら、一方で実務上ではエコに反対するというのは、首尾一貫しない姿勢と言えよう。
そしてなにより私が腹がたつのは、どうして企業にだけは社会からの要請に対して「できません」と拒否することが許されるのか。ということである。
新入社員が会社に入ってから、一週間以上。その新入社員がなんでも「できません」ばかり言っていたら、とてもではないけれども仕事にならない。そういう社員は早めにやめてもらうのが適当だろう。
経営者は労働者にできませんといないスキルを求めながら、自らは社会の要請に対して「できません」という。それもまたいい加減だなぁと思う。
もちろん、私は「できません」と言う事を否定するつもりはない。無茶な要求や、非効率な要求に関しては、ハッキリ「できません」「すべきではありません」と表明するべきである。
しかし、前記の通り、企業イメージとしてエコをうたいながら、実務レベルでは拒否をしたり、社員に従順さを求めながら、自らは社会の要請に対して拒否したりなど、やっていることがあまりに首尾一貫しないから、腹が立つのである。
そうした企業や経営者のワガママを許すのは、結局、国の福祉が十分でないために、企業に「失業者が出る」と脅されれば、国は企業に従わざるを得ないからである。
そして、そうしたワガママな企業による経済活動は、杜撰で傲慢なものとなり、結局は日本の国益を損なうことになる。競争原理を考えれば、国の要求に従いながら、ちゃんと利益を上げられる経営者こそが、企業を運営するべきなのである。そのためには、会社が倒産することも必要だろう。しかし、「企業が倒産すれば多くの人が路頭に迷う」という恫喝が有効である限りは、企業に競争原理を適応することができない。
こうした企業による恫喝を許さず、企業を競争原理に従わせ、経済活動を効率化するためにも、日本には、まず最初に、しっかりとした福祉が必要なのである。
*1:「温室ガス減らすと失業者増える」政府検討委が試算結果(読売新聞)http://www.yomiuri.co.jp/eco/news/20090327-OYT1T00595.htm
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「「当たり前」をひっぱたく」。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。