【赤木智弘の眼光紙背】嘘を嘘と見抜く必要がない掲示板 - 赤木智弘
※この記事は2009年02月12日にBLOGOSで公開されたものです
男性お笑いタレントのBlogに、彼が凶悪犯罪の犯人であるかのような誹謗中傷を書き込んだとして、18人を書類送検する方針となった。*1私自身は、このお笑いタレントが凶悪犯罪の犯人であると言う書き込みは、3,4年前にそこそこ見かけた記憶がある。最近は沈静化したのかなと思っていたのだが、まだ続いていたらしい。
しかし、どうしてこのような荒唐無稽な誹謗中傷が、長年ネット上で囁かれ続けたのだろうか?
私がかつて、この誹謗中傷を多く見かけた、2ちゃんねるの管理人(当時)である「ひろゆき」はは、西暦2000年に「嘘は嘘であると見抜ける人でないと(掲示板を使うのは)難しい」という発言をしている。
しかし、この誹謗中傷については、嘘であってもそれが流通し、多くの人がコピペしてその他の掲示板やお笑いタレント本人のBlogに書き込むことで、ストレス解消の場として利用していた。
「(元の事件の)量刑が軽すぎことに対する怒りが根底にあった」などと、書き込んだ人間を庇う発言をしている人もいるが、今回書類送検される人たちだけではなく、このコピペを広げたほとんどの人たちに、そんな意識があったとは思えない。
かつてインターネットが、まだ一部の先進的な人たちのツールでしかなかった時代、インターネットに接続をするような人たちは、情報に対する渇望を抱いていたように思う。そうでなければ、わざわざ電話代や、3分10円などの、今の接続環境を考えればあまりに割高なプロバイダー料金を払ってまで、インターネットを利用する意味はなかった。
ひろゆきの「嘘は嘘であると・・・」発言も、「嘘から真実を見抜く必要性」を問うているのである。
その頃までのネットユーザーの根底には「情報は正しくあるべきだ」という意識が比較的共有されていたのではないかと、当時からインターネットを利用していた私は思っている。
しかしインターネットが、多くの普通の人たちのコミュニケーションツールに変化すると、情報に求められるものは、「正しさ」ではなく、「いかに万人に共有されるか」に変化した。
情報がたとえ嘘であろうと、それがネット上に広く流通し、コミュニケーションなどのきっかけになり、楽しむことができれば、それで構わないという考え方である。
現実を見ても分かるように、そうしたときに使われる情報の大半は「誰かの悪口や陰口」である。誰しも他人の悪口を友人と言いあって、盛り上がった経験はあるだろう。
今回被害にあったお笑いタレントは、一時期テレビによく出ていたことから、それなりの知名度があった。
また、いつも笑顔という彼のキャラクターは、その「裏」という二面性を想起させるのにうってつけであった。お笑い番組での彼のネタは、笑顔で毒舌を吐くというものであったと記憶している。
そして彼が、凶悪事件の犯人達とほぼ同年代であり、さらに犯行が行われた足立区の出身であったこと。
こうしたことにより、「あいつならやりそうだ」という合意が取れやすく、デマが長く流通することになったと推測する。
そして、この場合に求められた「真実」とは、「お笑いタレントが実際に犯罪に関与したか否か」という真実ではなく、「このお笑いタレントが犯罪に関与したという誹謗中傷が、多くのひとに共有されうるか否か」という真実だったのである。
*1:スマイリー、ブログ炎上で18人立件へ(デイリースポーツ)http://news.livedoor.com/article/detail/4006418/
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。