【赤木智弘の眼光紙背】「おせち問題に見る 陰湿な日本の姿」 - 赤木智弘
※この記事は2009年01月01日にBLOGOSで公開されたものです
「門松は 冥土の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」(一休宗純)みなさま、明けましておめでとうございます。本年もこの連載をよろしくお願いいたします。
さて、正月といえばいろいろな文化風習がありますが、最近、毎年のようにごちゃごちゃいわれるのが「おせち料理を作らない家庭」の問題です。
曰く、おせちは伝統文化なので、作らない家庭は嘆かわしいだとか、デパートで買うのは母親から伝えられた家庭の味が伝わらない云々。
キリスト教の伝統もないのにクリスマスだなんだのやってる直後に、おせちが伝統だから云々なんて、私にとってはバカバカしいとしか思えないのですが、こうした言説は一定の支持を得ているようで、識者がコラムの端にちょこっと書いて溜飲を下しているのを、よく見かけます。
そうしたくだらないおせち言説の中で、私がもっともくだらないと思うのは、「正月は家族でおせちを囲んで、ゆっくり過ごすものだ」なんていう人たちの戯れ言です。
たしかに、家族揃って「今年もよろしくお願いします」なんて言いながら、おせちをつつくのは、美しい風景かもしれません。
けれども、今の社会が、そうした家族団欒を許してくれるでしょうか?
裕福な人たちがゆっくりと家族で時間を過ごしている間、けっして裕福ではない家庭のお母さんは、初売りのスーパーなんかでパートをしています。
私が子供のころは、まだ2日から初売りなんてお店が当たり前だったように記憶していますが、最近のスーパーは元日から営業しているのが当たり前ですね。それにコンビニなんかも当然のように元日から営業しています。
「家族でゆっくり過ごすのが伝統なのだ」というなら、それこそ正月からの初売りをしている企業に対して、まずは文句をいうべきなのです。
しかし、そうした企業活動は「便利だから」と放置しておいて、その一方でおせちという、個人的な事象については文句を言い、なにか問題を解決したような気になっている。わたしはそこに極めて現代日本的で陰湿な言論を見るのです。
派遣労働者の問題なども、本来は国がしっかりとした福祉体制を持たず、企業もまた目先の利益のために一部の非正規労働者を見殺しにする。そしてそうした体制を正社員は自らの保身のために翼賛するという、社会全体の問題であるのにも関わらず、さも非正規労働者という個人に対して、一方的に文句を言う。そうして、結局は本来の問題から目を逸らし、裕福な人間にのみ都合のいい言説を垂れ流しているのです。
そうした社会の現状を、私は徹底的に批判していくつもりです。
これを私の1年の抱負にしたいと思います。いや、一年だけではなく、ライフワークとして取り組むことになるとは思いますが。
プロフィール
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。