※この記事は2008年09月18日にBLOGOSで公開されたものです

産経新聞が報じたところによると(*1)、先月27日午前6時過ぎ、JR田端駅で、サラリーマンが突然知らない男から暴行を受け、反撃したところ、見知らぬ男は転倒し、意識不明になってしまった。
その結果、サラリーマンは傷害の容疑で逮捕されたが、すぐに正当防衛が認められ釈放されたという。
すぐに釈放されたとはいえ、手錠をかけられ拘置所につれて行かれる経験は、普通のサラリーマンにとって、どれだけ苦痛だろうか。それを考えると、逃亡の危険性もないであろうサラリーマンをわざわざ逮捕する理由があったのだろうかと疑問に思う。

しかし私は、この問題を単なる「警察による、一般人の気持ちを考えない杜撰な逮捕劇」であるとは考えない。
どうして、午前6時の田端駅という、決して人がいないわけではない状況で、警察は逮捕前に十分な目撃証言を集められなかったのだろうか。
暴行を加えた男は、サラリーマンに暴行を加える前にも、別の人にも暴行を加えており、それを目撃していた人も数多くいたはずである。にもかかわらず、警察は「目撃証言が不十分」として、逮捕するに至ってしまった。
だが、それは決して警察の捜査力の問題ではないだろう。大半の人たちが通勤途中であったために、事件を目撃しながらも、すぐにその場を立ち去り、会社に行かなければならなかったからこそ、目撃証言が集まらなかったのだろう。

私がこの件でもっとも気にかかるのは、このことである。
目の前で暴行事件が起きていながら、多くの目撃者たちが、横目で気にしつつも、結局は素通りして会社に向かう。その結果、たまたま運が悪かったサラリーマンが手錠をはめられたというのが、この事件のキモである。

これを「都会の人間の無関心さの現れ」と斬って捨てることもできるが、彼らだって別に無関心だったというわけではないだろう。関心を持ちつつも、この事件について警察に証言をするよりも、会社に出勤することを選んだ。
考えてみれば当たり前の話で、そんなイレギュラーな事件に、自ら巻き込まれて、遅刻などをして味噌をつけるよりも、いつも通りに出社するのが、この「一度失敗したら二度とはい上がれない日本社会」の常識なのだ。そのせいで、他人が手錠をはめることになっても知ったことではないし、それが間違いであれば、警察の失態だと批判すればいいだけのことである。
私はそのような保身的な考えかた、無責任や無関心を単純には非難できない。実際、そうやってイレギュラーな事態に対して無関心を貫かなければ、自分の生活を守ることができない現状がある。
それはすなわち、社会全体がイレギュラーな要素に対して、極めて脆弱になっているということだ。

この事件、全体に横たわる問題はそれなのである。
運悪く逮捕されてしまったサラリーマンは、「逮捕」というイレギュラーな事態に極めて大きな不安を覚え、「拘留が長引けば、離婚をしなければならないだろう」という状態にまで追いつめられてしまった。
暴行を目撃した人たちは、自分たちの生活を守るため、イレギュラーな事態から目を背け、普段通りに会社に向かってしまった。

本当なら、一時期逮捕されて拘留されたって、それが間違いですめばいいし、通勤しているサラリーマンは、事故や事件がおきたときに、警察に協力するぐらいの余裕があってもいいハズだ。
しかし、そのようなちょっとしたイレギュラーな事柄が、ストレートに解雇の理由になったり、仕事の査定に響いたりする。そのようなイレギュラーを受け入れるだけの余裕がない社会を、私たちは作り上げてしまったのだ。
人件費を抑制し、高い生産性を要求する。そのために徹底的にムダを省き、人間を想定通りに動くマシンのように単純化して支配する。そうした会社の「改革」がもたらした結果の1つが今回の事件であると、私は考えている。

人目のある場所で正当な防衛をしたサラリーマンが、一時的にでも逮捕され、苦痛を味わったという事件自体は、決してイレギュラーな結果ではなく、この非人道的な社会が至った、当然の帰結なのだろう。

*1:http://sankei.jp.msn.com/affairs/crime/080910/crm0809100100001-n1.htm

赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国画像を見る」

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。