【赤木智弘の眼光紙背】右へ倣え - 赤木智弘
※この記事は2008年03月27日にBLOGOSで公開されたものです
読売新聞と朝日新聞が、3月31日から新聞紙面の文字を大きくするという。読売新聞は「メガマック」や「メガ牛丼」などが流行ったことにあやかってか「メガ文字」を、朝日新聞は「57年ぶりの紙面革命」をキャッチフレーズにしている。
昨年12月には、毎日新聞が「J字革命!」として文字を大きく、産経新聞も3月20日から文字を大きくしており、全国紙がほとんどそろって、文字を大きくした形だ。また、地方紙も続々と文字を大きくしている。
各社の告知を読み比べてみると、各社とも「文字を大きくして読みやすく」とメリットを語っている。その一方で「情報量は極力減らさない」ともアピールしている。
まず、文字を大きくするのは、やはり現在の主読者層が高齢化しているためだろうか。文字が大きければ目に優しく読みやすいという各社のアピールはその通りだろう。
しかし、文字が大きくなって段数が減れば、当然文字数は減るのだから、ページ数でも増やさない限り、情報量は減るに決まっている。情報量が減るということは、私たちが記事を通して社会を知るための手がかりが減るということである。
ならば「うちは文字を大きくしない」とか「逆に小さくして情報量で勝負する」という新聞社があってもいいはずだが、そういう新聞社が見られないのは、どういうことか。
2004年にイギリスで4大高級紙のうち、インディペンデント紙とタイムズ紙がタブロイド化したときに、デイリーテレグラフ紙とガーディアン紙はタブロイド化を見送った。それは高級紙がイエロージャーナリズムと同じ形態をとることによって、高級紙としての存在意義が失われることを恐れての事だ。
イギリスの事例は新聞の体そのものを変更したということで、文字の大きさとは違うように思えるかもしれないが、ただでさえテレビはもちろん、インターネットのニュースサイトにニュースソースとしての立場を奪われつつある現状で、情報量を減らすことに危機感はないのだろうか?
私は、情報量が減るそのことよりも、文字を大きくするという選択を、数多くの新聞社が、ほとんど同時に行うことに奇妙さを感じる。
ビール会社の一斉値上げは、それがいいか悪いかはともかく、商売をする上で「価格は高いほうがいいが、自分のところだけが高くすると売り上げが落ちる」と考えた結果、一斉値上げになるというのは分かる。しかし、それと文字の大型化は違うだろう。
そして、情報量を減らせば、これまで以上にステレオタイプ的な報道が増えることは間違いない。これを書いていたときにちょうど茨城県土浦市の荒川沖駅で、8人が殺傷される通り魔事件があった。その犯人が逮捕されたが、犯人がオタクだったということで、いつも通りのゲームやネット批判が繰り広げられている。
右に倣って文字を大きくするのと同じように、右に倣ってステレオタイプの記事を書く。私には多くの新聞社が一斉に文字を大きくするというのは、「記事を書くこと」に対する真摯さ失っている証拠のように思えてならない。
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。