【佐藤優の眼光紙背】思想問題としてのチベット騒擾 - 佐藤優
※この記事は2008年03月25日にBLOGOSで公開されたものです
中国政府は徹底的な情報統制によってチベット騒擾の真実を隠蔽しようとしているが、もはやそのような手法は通用しない。これまで、民族問題が中国の国家統合を揺るがすことはないというのが国際情勢専門家の常識であったが、これが今後変化していくことになると思う。特にチベット騒擾は新彊ウイグル自治区のイスラーム原理主義運動、ウイグル民族独立運動の双方に影響を与える。筆者は、中国政府が近未来に適切な民族政策を採用することはできないと見ている。その理由は、中国の民族政策が、昨2007年の第17回中国共産党全国代表者大会で、中国共産党規約が改正され、付け加えられることになった「科学的発展観」というイデオロギーの枠組みに縛られているからである。科学的発展観について、中国共産党は、明確な定義を行っていない。しかし、要人の断片的な発言や人民日報や新華社通信の報道をつんぎあわせると、科学的発展観とは、「21世紀に自然と調和した形で、科学技術の成果を利用して中国国家を発展させる資質を中国人はもっている」ということのようだ。もっと乱暴な形で言い換えると、中国人は優秀で、21世紀の国際的な生存競争で生き残る資質をもっているという社会進化論の発想である。一種の選民思想と言ってもよい。
民族主義には、自民族が他民族に与えた痛みについては、あまり深刻に考えず、すぐに忘れてしまう傾向がある。これと反対に、民族主義者は、他民族から自民族が受けた痛みについては、その痛みを誇張し、しかもいつまでも忘れない傾向がある。このような認識の非対称性が民族主義の宿痾なのだと筆者は考える。中国民族主義者は、チベット人に対して与えている痛みを明らかに過小評価している。特に中国政府が現在、事実上、宗教弾圧を行ってことに対して、中国人はあまりに無自覚だ。
インテリジェンスの専門家や文化(社会)人類学者は、このようなエトノセントリズム(自民族中心主義)がもたらす偏見を常に意識しながら情勢を分析する。しかし、政治エリートにとって民族主義は役に立つカードなので、それを手放すことはない。当該政治エリートがインテリジェンスや文化人類学に通暁していたとしても、政治家としては民族主義者のように振る舞うのである。科学的発展観のような、進化論思想で自民族の優越性というイデオロギーを統治に取り入れると、政治エリートは、自民族中心主義で眼がふさがれ、少数民族の論理や心情を読み取ることができなくなってしまう。従って、民族問題解決に向けた適切な処方箋を描くこともできないのだ。(2008年3月25日脱稿)
プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
著書に「国家の罠」(新潮社)など。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。