【佐藤優の眼光紙背】チベット情勢と日本の国益 - 佐藤優
※この記事は2008年03月18日にBLOGOSで公開されたものです
中国のチベットで想定外の事態が発生した。3月15日未明、チベットのラサ地区で大規模な暴動が起きた。これまで、中国専門家は、新彊ウイグル自治区では、ウイグル民族主義とイスラーム原理主義が複雑に絡み合った分離、独立傾向が深刻であると見ていたが、チベットについては情勢は比較的安定しているものと見ていた。今回の暴動はそのような「常識」を覆すものだ。<新華社は15日、チベット自治区当局者が「破壊活動はダライ(・ラマ14世)一派が組織的、計画的に策動したことを証明する十分な証拠がある」と述べたと伝えた。
この当局者は「ラサの極めて少数の人間が行った殴打、略奪などの破壊行為が社会秩序を乱し、住民の生命と財産の安全を脅かした」と批判。「関係部門は法に従って有効な措置をとり、適切に(事件を)処理している」と強調した。>(3月15日asahi.com)
更に、18日、全国人民代表大会(国会)閉会後の記者会見で、温家宝・中国首相は、<チベット自治区などで発生しているチベット人と治安当局との衝突について、「ダライ(・ラマ14世)集団が組織的な策動をしていることは十分な証拠から明らかだ」と強い口調で批判した>(3月18日asahi.com)。
中国当局としては、外部(インドに亡命中のダライ・ラマ14世)からの干渉で発生した事件という形で問題を処理しようとしているが、その枠組みでは収まらない深刻な事態が発生している。中国で本格的な産業化が進む中で、中国人のナショナリズムが高揚しているので、それに触発される形でウイグル人やチベット人のナショナリズムが刺激されているのである。ひとたび火がついた少数民族のナショナリズムを押さえつけることは至難の業である。中国が構造的にチベット、ウイグルという西部に弱点を抱えていることが明らかになったことが、日本の国益にとってどういう意味をもつかよく考えなくてはならない。
日本政府は、露骨に様子見の姿勢を示している。3月16日、高松市で行われた記者会見で高村正彦外相は、「チベットのラサ地区で中国の警察当局が入って最低でも死者30人くらいいるのではないかと言われているのですが、こういった状況について外務省としての考え、受け止めをお願いします」という記者の質問に対して、「非常に心配しておりまして、懸念をもって注視していきたいということですが、そういうことをアジア局長から東京の中国大使館の公使に伝えるとともに、北京の日本大使館の公使から中国のアジア局長に伝え、特に邦人の保護についてお願いしたということです。何れにしても、関係者が冷静に対応して、死傷者がこれ以上拡大することが絶対に無いようにしてもらいたい、それが私の気持ちです」と答えている。
とりあえずは、様子見でいい。問題は次の段階で何をするかだ。日本政府から、チベットやウイグルの経済発展に向けた協力を中国政府に提案する。経済状況の安定は、過激なナショナリズムを抑制する効果があると中国政府を説得する。そして、中国の安全保障にとって重要なのは、西部地域の安定だから、不必要に尖閣諸島の天然ガス開発や歴史認識問題で、日本と対峙するのではなく、中国全体の安定のために、日本と協力することが中国の国益だと説得するのだ。地政学的センスをもった外交が必要とされている。(2008年3月15日脱稿)
プロフィール:
佐藤優(さとう・まさる)…1960年、東京都生まれ。作家・起訴休職外務事務官。日本の政治・外交問題について、講演・著作活動を通じ、幅広く提言を行っている。
著書に「国家の罠」(新潮社)など。
眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。バックナンバー一覧