※この記事は2008年02月21日にBLOGOSで公開されたものです

1月30日、賃貸マンションの更新料は消費者契約法に違反、無効であるとして、貸主に50万円の返還をもとめた裁判があった。

京都地裁は「更新料はいわば賃料の前払いで(本件では)契約期間や家賃に照らし過大でなく、消費者の利益を一方的に害するものとはいえない」として、請求を棄却した。*1

日本の「家賃」の概念は奇々怪々だ。

普通にアパートを借りるだけでも、貸主に支払う敷金礼金がそれぞれ1~2カ月分。他に不動産屋に対して支払う仲介手数料が1カ月分かかる。裁判で争われた更新料は2年で1~1.5カ月分。うち、0.5カ月分が、不動産屋の収入になる。

上記は東京の例であって、大阪であれば保証金として6~8カ月。仲介手数料や前家賃などもかかってくる。そのほかの地域もまたいろいろと違った慣習となっている。

また、入居以前に用意しなければならない費用を捻出できないワーキングプアなどが、「敷金礼金0」を大きくうたう物件を借りると、これが借地借家法に引っかからない「賃貸アパートではない賃貸施設」だったりして、家賃の支払いが一日遅れただけで鍵を取り替えられたり、退去させられたりするという。

食の安全など、さまざまな分野で「消費者に分かりやすく」ということが口酸っぱくいわれる昨今において、家賃は分かりやすさと、かけ離れた現状にある。

ふと、「食の安全」と書いて思い出したのが「衣食住」という言葉。
人は衣=着るもの、食=食べ物、住=住み処、が満ち足りてこそ「安定した生活」を送ることができる。

そうしたなかでまぁ「着るものの安全」というのは危険な衣類というのがどういうものなのか、まったく想像がつかないので置いておくとして、少なくとも「食べるものの安全」と「住むところの安全」は共に生活に最低限必要なものであり、等価である。

食べるものの安全は、昨今議論されるように、生産国や農薬、遺伝子組み替えや自然環境といった問題として議論される。その一方で住むところの安全は、2年ほど前に「耐震強度偽装問題」が発覚した際に一時期話題になった「建物そのものの安全性」という安全性の他に、「居住地が常にどこかしらに確保される安全性」というものもあるのではないと、私は考える。

貸し手側の弁護士は「合意したものを返還せよというのはおかしな話」と言っているそうだが、居住地が常にどこかしらに確保される安全性が、犯すことのできない人間の尊厳であると考えるならば、そもそもそうした合意自体を単純に認めるわけにはいかないのではないか。

つまり、そもそも「借り主にはその場所に住む権利」があり、貸し手と借り手の合意は「貸し手の良心」で成り立っている部分があるのではないのか。

貸し手は貸した時点で、部屋の所有の権利を全面的に借り手に委ね、借り手は己の良心にしたがって賃貸料を支払うということになる。

まるで借り手が貸し手から部屋を取り上げるかのようだが、それが一方的に貸し手に不利であるとはいえない。

なぜなら、借り手が是が非でもどこかしらの部屋を借りて住もうとするのは、住所がなければホームレスとなり、社会的な信頼をほぼ完全に失ってしまうからであり、貸し手はそうした借り手の尊厳を一種の脅迫材料として、どこかしらの部屋に住むことを強制することができるからだ。

つまり、貸し手は「借り手の尊厳」の存在によって、幅広い借り手を確保しやすくなるとともに、同じ「借り手の尊厳」によって、借り手に部屋の権利を明け渡すことになる。

貸し手はそれを否定することはできない。なぜなら「住み処」という、人間の尊厳に直接関わるものを商品として扱うことを選択したのは、貸し手自身であり、それはそのような重大な商品をやりとりする以上、あたりまえの義務であるからだ。飛行機のパイロットや、タクシーの運転手が、客の命を預かる商売であるのと同様に、住宅の貸し手は借り手の尊厳を預かることを商売にしているのだ。

しかし、貸し手にその自覚がなければ、借り手は一方的に貸し手によって尊厳を奪われる可能性がある。分かりにくい料金体系も、借り手の尊厳に対する無自覚さ故ではないかと、私は思ってしまう。そしてそれは、食品を扱う人間が賞味期限に無自覚なことと同等の「糾弾されるべき失態」ではないかと、私は考える。

家賃の問題も、やはり食品と同じように、何が大家さんの収入になり、何が不動産屋の収入になり、何がもしものときのプール金になり、何が設備のためのお金なのかということを、1つ1つ明確にするべきである。今のままでは賃貸業界はどこかの派遣会社の「データ装備費」を笑うことはできない。

*1:http://mainichi.jp/select/jiken/news/20080130k0000e040036000c.html

赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。近著:「若者を見殺しにする国 私を戦争に向かわせるものは何か」

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。バックナンバー一覧