※この記事は2007年11月08日にBLOGOSで公開されたものです

 内閣府が実施した「有害情報に関する特別世論調査」によると、実在しない子供に対する性行為などを描いたマンガやイラストも規制の対象にすべきだという回答が、約9割にのぼるという。(*1)

 私は、マンガやアニメ、そしてTVゲームを愛好するものとして、こうした「児童ポルノ問題」に注目している。日本国内において、この問題は決して正当に議論されることなく、ほとんど一方的な憶測と偏見でしか語られてこなかった。もちろんこのアンケートもその例に漏れない。
 そもそも「子供たちに悪影響を与える恐れのある"有害情報"を規制すするべきか?」という質問を投げかけられて、「規制すべきだ」と答えるのは当たり前である。「毒物は規制するべきか?」と問われれば、ほとんどの人が「規制するべきだ」と答えるだろう。
 しかし、毒物の毒性は明らかだが、このアンケートが「有害情報」と呼ぶものの有害性は、決して明らかではない。

 『戦前の少年犯罪』(築地書館)を執筆した、「少年犯罪データベース」の管理人である管賀江留郎が、警視庁の犯罪統計書から小学生以下の強姦被害者をまとめたグラフ(*2)を見ると、子供のレイプ被害者は400人以上の被害者を出していた昭和30年代から右肩下がりに減少し、現在はほぼ50人前後という低水準である。もしこのアンケートの資料にあるように、本当に「有害情報が多くなって」おり、「コミック等が児童を性の対象とする風潮や児童に対する性的犯罪を助長」しているのならば、この数字は右肩上がりになっているはずだ。
 けれども現実は、有害情報が氾濫しているはずの現在の方が、昔よりも強姦被害者が少ない。
 ならば当然、「有害情報と呼ぶものの"有害性"は、決して明らかではない」と考えるのが道理であろう。

 だが、「架空の子供の絵に欲情するような人間は気持ち悪いし、宮崎勤の事例もあるのだから、当然規制するべきだ」という差別的な考え方も根強い。
 しかし私は、このような考え方が我々の自由を侵害するのみならず、憎むべき犯罪者に対して「都合のよい言い訳」の機会を与えているように思う。

 2005年11月に広島県で起きた小1女児殺害事件で、容疑者であるペルー人の男が、「私の中に悪魔が入り込んだ」という供述をした。
 これを聞いて、多くの人たちは、「そんな言い訳が通用すると思っているのか」と憤ったハズである。
 しかし、その一方で、そうしたコミックが見つかったならば、「コミックが事件の呼び水となったのではないか」とマスコミは報じる。そして今回のアンケートでも、そうしたコミックを「規制するべきだ」と答えた人が9割にのぼる。
 ペルー人容疑者の言う「悪魔」と、規制の対象にされるべき「コミック」は、そのどちらもが「犯罪の原因や要因を、本人以外の何かに押しつけている」という点で同義であると、私は考える。

 もちろん、犯人が「悪魔のせいだ! コミックのせいだ!」と主張したところで、裁判自体には影響はでないだろう。
 しかし、犯人自身の心の中で、その主張は生き続ける。
 そして死刑になるにせよ、懲役刑になるにせよ、「マンガが悪い、コミックが悪い」という風潮が蔓延するほど、犯人は重大な犯罪を犯した自身の卑劣さを直視せずに、マンガやコミックに責任を転嫁し続けるだろう。

 犯罪を犯すのは、その当人であり、犯罪を犯した者がその責任を、他人やモノに押しつけてはならない。
 また我々も、犯罪を犯した人の責任を、他人やモノに押しつけてはならない。
 そのためにも、安直な妄想上のデータや、アニメやマンガというスケープゴートに頼ってはならないのだ。



*1 「有害情報に関する特別世論調査
*2 「少年犯罪データベースWiki 幼女レイプ被害者数統計」


プロフィール:
赤木智弘(あかぎ・ともひろ)…1975年生まれ。自身のウェブサイト「深夜のシマネコ」や週刊誌等で、フリーター・ニート政策を始めとする社会問題に関して積極的な発言を行っている。

眼光紙背[がんこうしはい]とは:
「眼光紙背に徹する」で、行間にひそむ深い意味までよく理解すること。
本コラムは、livedoor ニュースが選んだ気鋭の寄稿者が、ユーザが生活や仕事の中で直面する様々な課題に対し、「気付き」となるような情報を提供し、世の中に溢れるニュースの行間を読んで行くシリーズ。