職人は一つのことを追究する。マルチタスクの時代へのアンチテーゼ、またその場その場で対応しておしまいとするインド的なものとどう違うのか。インド人ジャーナリストが考える(写真・shige hattori/PIXTA)

生活習慣の違いや日本語習得の難しさ、俳句、金継ぎなどの伝統文化から政治・社会問題まで。4年近い日本滞在中に、インド出身のジャーナリストが日本で発見し、考えたものは何か――。EU代表部に勤める夫と2人の子どもとともに来日、さまざまなシーンで日本を考察した『日本でわたしも考えた:インド人ジャーナリストが体感した禅とトイレと温泉と』は、日本に興味を持ち、日本を訪問したいと思う読者の関心を世界中でわしづかみにした本だ。本書から、日本食と職人の精神と掃除に対する日本人僧侶の考えに触れた場面を紹介する。

日本で食が畏敬されるのは、それ相応の理由がある。和食ができる背景には、禅的な精緻さ、専心、マインドフルネスがあるのだ。そこで強調されるのは、米をとぐにしても魚のはらわたを抜くにしても、一つの技を繰り返し繰り返し、主体と客体の境界が消え去るまで行っていくことだ。

「イキガイ」や「カイゼン」と並び、世界のカリスマ企業家が愛する日本語の単語として「ショクニン」がある。パリッとしたスーツに身を包み、口先が達者な人間が薄っぺらなセールストークをするのは強いいら立ちを与えることになりかねない。なぜなら、それは本来意味するところから切り離されたところで話が独り歩きしていることになるからだ。しかし日本で外食に行くと、「職人」という言葉は、文字どおりの意味であることがよくわかる。一つの品の質を高めることを通じて、完璧さをとことん追求するのだ。10年修行してようやく刺身を任されるすし職人の見習いや、ひたすら酵母のことだけに取り組む日本酒の蔵人がそれだ。

極みへの到達をあきらめない職人

「神奈川沖浪浦」をはじめとする名高い作品で知られる浮世絵の巨匠、葛飾北斎は死の床に就いたとき――90歳近くになっていた――、こう言ったとされる。「天が自分をあと10年、せめて5年だけでも生かしてくれれば、わたしは真の画家になれるのだが」

このことを思い出したのは、すし職人の小野二郎を取り上げたデヴィッド・ゲルブ監督による2011年公開のドキュメンタリー映画『二郎は鮨の夢を見る』を観たときのことだ。彼は数十年にわたり、タコに包丁を入れる前に30分揉み込むことにしていたが、あるときひらめきが訪れた――さらに10分揉み込むことで、おいしさが増すということに。そこで、86歳(撮影当時)の二郎はタコを40分揉み込むようになった。ここで言いたいのは、職人はとにかく謙虚で、極みに到達することはそう簡単に実現できるものではないことを理解しつつも、それに向けた追求をあきらめないということだ。職を極めるには一度の人生では短すぎるかもしれないが、それでもなお職人は挑戦し続け、その試みの中に人生の意味を見出すのである。

思うに、これはマルチタスキングというこの時代を象徴するかのような苦痛へのアンチテーゼというだけでなく、インド人の特質をもっともよく表すもの――「ジュガール」と呼ばれる――の対極に位置するものでもある。ジュガールとは即興の対応のことで、なんとかやりくりしてその場をしのごうとする問題解決法だ。通勤電車の車内での通話と同じくらい非日本人的と言える。

インドはインフラ整備のために技術力と投資を必要としている一方、日本には資本とノウハウがあるように、双方が協力すれば相乗効果が出るのは明らかだ。それにもかかわらず、日系企業にとってインドビジネスが非常に難しく映るのは、この「ジュガール」と「職人」という二項対立が一因だ。インド的な解決方法は、抜け道を見つけ、破れた箇所を繕うということに尽きる。日本ではこれは、忌み嫌われるアプローチなのだ。

職人流が日本で唯一のやり方ではない。東京の料理人が全員、完璧さにこだわるというわけではないのだ。飲みに行くために早く仕事が終わってほしいと思っているいい加減な料理人だって、日本にもある程度いるはずだと思う。だとしても、全体として見れば、向き合う姿勢や準備、提供の仕方といった料理に対する丁寧さの水準は、わたしが知るほかのいかなる国と比べても別次元だった。

東京のレストランは小規模でカウンター席しかないことが多く、外国人にとっては落ち着ける雰囲気ではないと映るかもしれない。しかし、往々にして外食の目的は一緒に行く相手との会話を楽しむためというよりも、料理人の技をかぶりつきの席で見ることにある。彼(料理人はおそらく男性なので)の所作はその優雅さという点でバレエのようで、確実さという点でマジックを思わせる。食材のよさを極限まで引き出す術を会得しているかのようなのだ。

だが、食というシンフォニーを統べる達人的な指揮者になるには、つらく長い道のりを歩まなくてはならない。職人になるための修行は非常に過酷で、師匠と弟子は、サービス提供者と顧客の関係というよりは、主人と奴隷の関係に近い。この師弟関係は、インドにおける「グル・シーシャ関係」に通じるところがある。受講料を払ってプロから技を教わるというのではなく、師に身を委ね、全面的な服従を通じて献身を表現するのだ。『マハーバーラタ』(『ラーマーヤナ』と並ぶ古代インドの叙事詩)にドロナーチャーリヤが「グル・ダクシナ(寄進物)」としてエーカラヴィヤに親指を切るよう命じる一幕があるが、これは他の国の人びと以上に日本人であれば納得できる物語ではないだろうか。

早朝からの寺院掃除に驚く

2018年秋のある朝、わたしは睡眠不足のため目がぼんやりした状態で、職場へ向かう通勤客で満員の電車に乗った。行き先は東京中心部にある光明寺という寺院だ。移動中、わたしは世俗と霊性を隔てる壁の透過性が驚くほど高いことについて思いを巡らせていた。日本各地でもっともよく見かける建造物と言えば、一つはコンビニ、もう一つは寺社だ。長い歴史を持つ寺院の後方にセブンイレブンがあったり、神社では鳥居の奥にファミリーマートが見えたり、という具合に。

光明寺は、さほど目立つ感じではない、2階建ての本堂を持つ寺院だ。利用客でごった返す東京メト口神谷町駅からわずか300メートルしか離れていない。だが、境内に足を踏み入れると、そこは300年前に移動したかのような気持ちにさせられた。朝の空はまだ青白かったが、多種多様な人びとが集まっていた。スーツ姿でネクタイを締めたサラリーマンが数人いるかと思えば、シルバーのトートバッグを背負ったおしゃれな女性の姿も見られ、すり減った革靴を履いた老紳士もいた。時計の針が7時半を指すと、参加者は上着を脱ぎ、鞄をを置いて箒やちりとり、バケツに持ち替えた。

それからの30分間、彼らは無言で清掃作業に取り組んだ。寺院の墓地、外廊下、庭園が隅々まで念入りに掃き清められた。落ち葉はまとめて袋に入れられた。先述したおしゃれな女性は30分間ずっと、床のタイルに残っていそうな汚れを見逃すまいとしゃがんで雑巾がけをしていた。わたしは片手にノート、片手に箒を手にしてこの一団の様子を見つめていたのだが、メモが取れたわけでも清掃作業を手伝えたわけでもなかった。結局、サラリーマンの一人がこちらの様子を見かねて、この上ない礼儀正しさでわたしを箒から解放してくれた。

わたしは箒を持って誰かにいたずらでもしようとしていたのだろうか? わたしはジャーナリストとしてそこそこやっていけているが、清掃人としては役に立たない。そんなわたしなので、どうか非難しないでほしい。わたしが育ったのはデリーの部市部で、家は中流だった。大半のインド人にはこれ以上の説明は不要だと思うが、それ以外の読者のためにどういうことか示しておこう。

細分化とヒエラルキー

わたしの実家は経済的に取り立てて豊かというわけではなかった。母は五つ星ホテルで営業部門の役員をしており、1人でわたしを育ててくれた。そうした環境でも、肉体労働をすることはいっさいなく大人になっていった。わたしは勉強や読書をするだけでよく、家の掃除はメイドが、皿洗いはコックがやってくれた。近所のアイロンがけ屋(地元の公園の近くで屋台を構え、巨大な石炭アイロンを駆使する中年の女性だった)の若い息子には毎週1回家に来て、小間物を磨いてもらっていた。トイレは別の人が毎朝来て掃除をしてくれた。

こうした細分化とヒエラルキー、極度の分業体制はいずれもインドにおけるカースト制度の悪しき産物だ。床婦除のメイドはトイレについては担当しない。そのためトイレ清掃カーストの女性の出番となるのだが、彼女のカーストがおおっぴらに話題にされることはない。事実、わたしも自分が成長していくなかで彼女のカーストについて考えたことはなかった。というよりも、自身も含め誰のカーストについても思いをいたすことがなかった。実質的にカーストを意識する必要がなかったという点で、それだけわたしは恵まれた立場にあったのだ。

インドのカースト制度は何事にも及ぶ影響――あからさまなものとそうでないものの両面がある――をもたらしたが、それが最終的に行き着いたのは、清潔さをめぐるきわめて奇妙な関係だった。インド人は儀礼上の純潔性と個人の衛生に強くこだわる一方で、公共空間での清潔さに対する責任感となると、衝撃的なほどに欠けているのだ。自宅から相応の距離があるところであれば、道路脇で小便をしても許されてしまうのだから。

自分が小さい頃の記憶でも、人が車の窓を開けてビニール袋を投げ捨てる光景がいくつも見られた。デリーの通りの壁には尿が染みつき、そこから発生する悪臭もびっしりと記憶にこびりついている。人びとはごみや人糞を嫌悪するあまり、自分たちできれいにすることなどできないほど汚れがこびりついていると考えている。それでいて、彼らはごみが放置された環境で、食事をし、笑い、デートを楽しんでいるのだ。

光明寺に話を戻そう。朝日がようやく強い光を放ち始めると、清掃作業に参加していた快活な一団は雑巾や箒をしまい、活動を仕切っていた僧侶、松本紹圭と緑茶をいただく会に移った。彼はその場でわたしを紹介してくれた。わたしは参加者に向かってお辞儀をして、自分がいたのを受け入れてくれたことに感謝の気持ちを示した。平日の朝、仕事前にわざわざお寺まで来て掃除をしようと思ったのはどうしてでしょうか――そう尋ねてみた。

こちらの問いかけにすぐに答えが返ってきたわけではなかった。誰もがじっとお茶をすすっているだけだった。しかし、その頃には待つことの大切さをわたしは理解していた。数分後、サラリーマンの一人が話し始めた。「掃除をすることは、水を飲んだり食事をしたりすることと同じくらい重要なんです」と彼は言った。「インドでは掃除のために人を雇うことがよくあると聞いたことがあります。ですが、わたしたちにとってこれは生活の一部ですし、自分の生活は自分でするべきで、他人にアウトソーシングするものではないと思うんです」

生活における掃除が持つ意味を変えてみる

わたしはこのコメントの直截さに――日本の基準なら礼を失しているとすら言えるほど――衝撃を受けた。しかし、「掃除」というテーマが参加者の発言意欲をかき立てたのは間違いなかった。


中年の女性が話に加わった。寺に来ることで朝の早い時間に起き、その日に集中して取り組めるようになったとのことだった。少し若い女性は、掃除に参加することで、ほかの大人に小さい子どもを託して外でしばらく時間を過ごす口実になっています、と恥ずかしそうに付け加えた。わたしは必死になって発言内容をメモし、それが終わると顔を上げたが、答えが返ってくるのはそこまでだった。最後に、松本が咳払いをしてから話し始めた。

「みなさん、何のために掃除をするのかとおっしゃいます。ですが、掃除は掃除です。それ以上のものではありません」。参加者の誰もがうなずき、お茶を飲んだ。彼が話を続けた。「掃除には終わりというものがありません。葉っぱを掃いても、その場所にまた別の葉っぱが落ちてきます。それでいいのです。過程と目的のあいだに違いはないのですから」

参加者が帰った後、松本とわたしは寺の縁側に残り、会話を続けた。彼は自分が鎌倉の寺で3年間見習いをしていたとき、1日5時間を費やして庭の手入れからトイレ掃除まで、さまざまな掃除をした経験について説明してくれた。僧侶にとって掃除と瞑想は区別するのではないのだが、同じことは一般の人に響かない。「そこで、掃除が生活の中で持つ意味を変えることで、瞑想をするために避けるものではないと伝えてみるのはどうかと考えたんです」と彼は言う。

じっと座って瞑想するのは誰にでもできることではないが、掃除ならすべての人に関わることだと松本はわかっていた。掃除を通じて誰もが心を豊かにでき、同時に汚れを取り除くことで物理的な環境を居心地のいいものにできる、というわけだ。果たしてこの説明でわが同胞のインド人を納得させられるだろうか、という点は気になったが。

(パーラヴィ・アイヤール : ジャーナリスト)