葉山御用邸に到着して間もなく、裏手の海岸を散策された上皇さまと美智子さま(4月12日)

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「押さない、駆けない、物を投げない、飛び出さない。頭文字を取った“オカモト”を守ってください!」

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 夏を先取りした陽気となった4月12日の正午。神奈川県にある『葉山御用邸』の正門付近では、私服姿の男性警察官がそう声を張り上げていた。上皇ご夫妻はこの日、約2年間住まわれた仮御所を後にし、葉山御用邸へ入られた。

100人以上が沿道に

「2週間静養された後、4月26日に赤坂御用地の『仙洞御所』へ引っ越されます」(皇室担当記者)

 前回、葉山に滞在されたのは'20年3月。お代替わりに伴って皇居から仮御所へ荷物が運搬される間、一時的にお過ごしになった。

「新型コロナの感染拡大が本格化し始めたころでした。葉山では、皇室の方々を歓迎するために警察が“奉迎エリア”をつくったり、ご通過の時間を住民に知らせたりします。
しかし、このときは上皇ご夫妻がいらっしゃるタイミングを公表せず、沿道に人だかりができないように配慮しました」(同・前)

 ご静養中も、徹底的に外出を控えられた。

「葉山御用邸にいらした際、上皇ご夫妻は裏手の海岸を必ず散策されますが、この年は1度もお見かけしませんでした」(地域住民)

 それから2年。仮御所でおこもり生活を続けてこられた上皇ご夫妻が、久しぶりに県をまたぐ移動に踏み切られた。ご夫妻をひと目見ようと、100人以上が沿道に集まっていたのが冒頭のシーン。

「足元には等間隔に印がついた紐が置かれ、隣の人と十分な距離を取るように警察官からアナウンスされました」

 そう話す女性は、上皇ご夫妻が通過される1時間以上前から待ち続けていたという。

「平成時代から必ず奉迎に参加しています。以前は1000人以上が集まり、手渡された小旗を振っていました。コロナの影響もあり、いつもの盛り上がりはなくとも、ご通過時の興奮は変わりません。上皇ご夫妻がお元気そうで何より安心しました」

 ご滞在初日の夕暮れ時、ご夫妻のお姿は御用邸裏の海岸にあった。

「20人ほどの警備やおつきの人に囲まれながら、相模湾と富士山が見渡せる『小磯の鼻』を散策されました。この日は偶然にも、富士山頂に夕日が沈む“ダイヤモンド富士”が見られる日。年に2回のチャンスとあり、県外からも多くの人が訪れていました。ビューポイントまで手をつなぎながらたどり着いた上皇ご夫妻は、住民や観光客とともに美しい日没を堪能されました」(前出・住民)

妊婦に対してお心遣い

 上皇ご夫妻は、日が完全に落ちるまでの10分以上、その場に佇んでおられたという。

「おつきの男性が“下見のときには見られなかった光景です”と伝えると、ご夫妻は顔を見合わせながら、満面の笑みを浮かべて喜んでいらっしゃいました」(同・前)

 散策は45分以上にわたり、集まった人々とも対話された。都内から訪れた20代女性は、こう振り返る。

「足場が不安定な斜面に立っていたところ、美智子さまが“どうぞ上へ”と言ってくださって。さらに“半袖で寒くないかしら?”と心配していただき、上皇さまからも“だんだんと冷え込むからね”と声をかけていただきました」

 おふたりの“支え合い”に感銘も受けたという。

「会話の中で、上皇さまが同じ質問を繰り返したり、相手の発言を理解しておられなかったりすると、美智子さまがすかさずフォローされて。逆に、美智子さまの足元に段差があると、上皇さまが“気をつけて”と声をかけていらした。おふたりの日常が垣間見えたような気がして、心があたたまりましたね」

 犬の散歩をしている夫婦や、偶然居合わせた元宮内庁職員の女性、部活帰りの青年などに声をかけられた上皇ご夫妻。妊婦に対して美智子さまが、「大変でしょう」と心を寄せられる場面もあった。

「1959年の秋、第1子を懐妊中だった美智子さまは、マタニティードレスをお召しになって、上皇さまと『小磯の鼻』を散策されたことがありました」

 そう振り返るのは、皇室を長年取材するジャーナリストで文化学園大学客員教授の渡邉みどりさん。美智子さまが流産を経験された1963年には約2か月半にわたり葉山御用邸に1人で滞在された。

「昭和天皇の時代から、御用邸のある那須、須崎、葉山は特別な場所です。特に葉山には、美智子さまのご実家である正田家のお墓やご友人のお住まいが近くにあるため、思い入れが強いと思います。

 コロナ禍の2年間は、国民との直接的なふれあいが叶いませんでしたが、葉山という思い出の地で“魂の交流”を再開されたことを喜ばしく感じられたとお見受けします。
“皇室のあるべき姿”ともいえるでしょう」(渡邉さん)

焦燥される紀子さま

 コロナ前の皇室像を取り戻しつつある上皇ご夫妻に対し、秋篠宮ご夫妻は“超異例”の行事に臨まれる。

「『立皇嗣の礼』の関連行事として、4月20日から23日にかけて三重県、奈良県、京都府の3府県を訪問されます。驚くべきは移動手段。最終日の帰京時に飛行機を利用する以外、すべての道のりを車で移動されます」(前出・記者)

 総距離は約800キロメートル。警備や随行職員の負担や不測の事態を懸念する声も上がる。

「駅や沿道に人が集まるリスクを避けるため、とのことですが、実際は国民との接触を回避したいお気持ちが強いのでは……。眞子さんの結婚騒動、悠仁さまのお受験問題、小室さんが2度目の司法試験に不合格。ごたごたが相次ぎ、秋篠宮家と国民との“溝”は深まる一方です」(同・前)

 国民から皇室への敬愛は、行事や地方訪問などでの交流の場で育まれるといわれるが、

「今の秋篠宮家においては、国民との接触が“逆効果”になりかねません。四面楚歌の現状を誰より気を揉んでいるのは紀子さまだといいます」(皇室ジャーナリスト)

 その気苦労は計り知れない。

「最近の紀子さまは、だいぶお疲れのご様子で、首を痛めてつらそうにしていらっしゃるところもしばしばお見受けします。思春期の悠仁さまや、眞子さんの結婚を応援されていた佳子さまとの心の距離もあり、ご家庭内で“孤立”していらっしゃるようで……」(秋篠宮家に近い人物)

“孤軍奮闘”の紀子さまは、おつらい状況だろう。

「紀子さまは皇室に入られた後、美智子さまの言葉遣いや立ち居振る舞いを手本に、公務や子育てに励んでこられました。“袋小路”から脱する方法が見いだせない今、率先して国民と心を通わせておられる上皇ご夫妻のお姿を見て、羨望と焦燥の念に駆られているのではないでしょうか」(前出・ジャーナリスト)

 美智子さまが過ごされる“あたたかい時間”が、はからずも皇嗣妃を悩ませる─。