2月24日に始まったロシアによるウクライナ侵略の影響は、宇宙開発の分野にもおよんでいます。なかでも3月4日のソユーズ商業打ち上げは、ロシア宇宙開発の信頼を損ねる事件でした。

ソユーズロケットの打ち上げ延期

 2022年3月4日(日本時間)、イギリスの衛星通信企業ワンウェブ(OneWeb)社の衛星を載せたソユーズ2.1bロケットが、ロシアが管理するカザフスタン領バイコヌール宇宙センターの発射台から整備棟に戻されました。本来ならば3月5日に打ち上げられるはずでした。

 打ち上げ直前まで作業が進んだロケットが延期となり、発射台から再び整備棟に戻ることは時折起こります。ただ、そのほとんどは天候不良や、衛星もしくはロケットの不具合が原因なのに対し、今回は政治的事情による延期というレアケースでした。いったい、どんな理由で打ち上げにストップがかかったのでしょうか。


ソユーズロケットの胴体から消される西側諸国の国旗(画像:ロゴジン氏のツイートより)。

 時計の針を少し戻すと、3月2日、ソユーズロケット打ち上げを行うロシアの国営企業ロスコスモス社は、顧客であるワンウェブ社に対し、次の2項目の要求を公式Twitter(ツイッター)を通じて行いました。

・3月4日のモスクワ時間21時30分までに衛星が軍事目的で使用されないという保証がされない場合、打ち上げない。
・イギリス政府が株主でなくならなければ、打ち上げない。

 ワンウェブ社は2020年3月に経営破綻しており、その際にイギリス政府とインド企業バーティ・グローバル社が出資するファンドに買収されました。イギリスはウクライナ侵攻によってロシアに制裁を科すと表明しており、前出の2項目の要求はこれに対抗したものと考えられます。

 3月3日には、打ち上げ準備中のソユーズ2.1bロケットのフェアリングに描かれた国旗のうち、この時点で制裁を表明したイギリスや日本、アメリカなどの国旗が覆い隠されました。フェアリングのマーキングは顧客の要望で施されるものですから、明らかに政治的な意図があると言えるでしょう。

 最終的にロスコスモスの要求は受け入れられず、無期延期となりました。ロケットを組み立て施設に戻す台車には、新たに「Z」や「V」といった、ウクライナを侵略したロシア軍部隊の識別マークを示すと言われる文字が書かれていました。

打ち上げの体制と保険からの締め出し

 今回の打上げは、ワンウェブ社の衛星をソユーズ2.1bロケットで発射するものですが、ワンウェブ社とロスコスモス社が直接契約しているわけではありません。ワンウェブから見た打ち上げ発注は、次のようになります。

 ワンウェブ社→アリアンスペース社→スターセム社→ロスコスモス社

 まずワンウェブ社は、フランスのエブリーに本社を置くロケット打ち上げ企業、アリアンスペース社と打ち上げ契約をします。アリアンスペース社は、自らが出資するヨーロッパとロシアの共同出資企業、スターセム社(本社フランス・エブリー)を通し、ロスコスモス社にソユーズロケットの商業打ち上げを発注します。それを受けたロスコスモス社は衛星を受け入れ、打ち上げを行います。

 ロスコスモス社はヨーロッパとの協力も終了すると述べており、上記の発注の流れも現在は機能していないと考えられます。


ギアナ宇宙センターのソユーズ組み立て施設には、スターセムに出資するアリアンとロスコスモスのロゴが並ぶ(金木利憲/東京とびもの学会撮影)

 さらに追い打ちを掛けるように、3月3日、イギリス政府はロシアの航空および宇宙産業企業に関するイギリスの保険・再保険サービスを差し止めると発表しました。

 宇宙開発についての3条約のひとつである宇宙損害責任条約に加入している国は、万が一打ち上げに失敗して他国に損害を与えた場合、最終的には政府が賠償しなければいけません。ロシアもこの条約を批准しています。条約に実効性を持たせるために、ロシア連邦宇宙活動法によってロケット打ち上げ時に指定金額の保険を掛けることが強制されています。

 保険料はロシア連邦宇宙基金に積み立てられるか、任意の保険会社に支払われるのですが、打ち上げ保険を引き受ける主要な保険会社は限られており、アメリカ、イギリス、ドイツといった、対ロ制裁を行っている国に偏っています。

 ここを制限するとなると、とりわけ西側諸国との打ち上げ契約に影響するのではないかと考えられます。

信用を失ったロシア宇宙開発

 ロシアはウクライナ侵略に際して様々な国際法を破っています。加えてロケット打ち上げを担うロスコスモス社は、ロシアの政治的要求を通すために顧客の衛星をいわば人質に取ったと言えるでしょう。こうした行動が重なった結果、ロシアおよびロスコスモス社は国際的な信用を失墜させています。


ISS(国際宇宙ステーション)に係留されるロシアのソユーズ宇宙船(左)とプログレス補給船(画像:NASA)。

 ロケットの打ち上げは、失敗なく決められた時期に宇宙にモノを運ぶこと、すなわち確実性と定時性が求められます。今回の行いは明らかにその両方を満たしていません。そして要求内容が政治的である以上、今回に限った話で終わるとは言い切れません。今回は企業相手でしたが、たとえば国際宇宙ステーション(ISS)向けフライトで「ロシアに制裁した国がISSから手を引かなければ、打ち上げない」と言い出すかもしれない、という疑念が生まれます。こんな状況では、いくら打ち上げ費用が安くとも依頼しようとは思えないでしょう。

 ロシアがISSという大きな国際プロジェクトを受け持っている以上、今後の宇宙開発の枠組みに大きな影響を与える事件だったと言えるでしょう。

世界の宇宙開発への影響は限定的

 一方で、ロシアの商業ロケット打ち上げは世界的に見て大きなシェアがあるとは言えません。技術系コンサルタントのブライステック(BryceTech)社の資料によれば、コロナ前の2019年を見た場合、世界全体の軌道物体打ち上げ回数は102回で、うち商業打ち上げは16回とのこと。その内訳は中国34回(うち商業向け0)、アメリカ27回(同10)、ロシア22回(同1)、ヨーロッパ9回(同5)、インド6回(同0)、ほか4(同0)です。

 ロシアは打ち上げ回数では21.6%を占めますが、商業に限れば6.3%と、非商業打ち上げに重点があると言えるため、商業ロケットの打ち上げ市場に与える影響も限定的だといえるでしょう。なお、非商業打ち上げは主に内需と国際協力なので、これがある以上ロシアのロケット打ち上げそのものが無くなることは考えにくいです。

 ただし、人工衛星は搭載予定のロケットに合わせて作りますから、今まさに進んでいるプロジェクトに影響が出ることは間違いありません。事実上の打ち上げ拒否となったワンウェブ社は、今後もソユーズロケットを使った打ち上げを予定していたため、自社の衛星網構築のスケジュールに遅れが出るのは避けられないでしょう。

 なお、国際宇宙ステーションも、ロシアがいなければ維持できない、あるいはすぐに落下するという状況ではありません。

 今後、世界の宇宙開発事業者がどのような動きを取るのかが注目されます。