ANAさんが臨時便を飛ばす3月20日、実は空港の「誕生日」です。

「ウルトラマン空港」とも

 1993年3月20日は、福島空港が開港した日です。この空港は、郡山市から南へ直線距離にして約18km、須賀川市と玉川村にまたがる丘陵地に位置。いまでは『ウルトラマン』の生みの親である特撮監督、円谷英二氏が須賀川市(旧須賀川町)出身であることにちなんで、空港じゅうにウルトラマンの立像などが飾ってあるのが特徴です。


福島空港(2021年、乗りものニュース編集部撮影)。

 一方、利用者の少なさが長年課題となっている空港でもあります。県が公表しているデータによると、コロナ禍以前の2019年度の利用者は約23万9000人(単純計算で1日654人程度)、コロナも重なった2020年度では6万8000人(同186人程度)。他の交通手段が充実していることなどもあり、東北地方でも利用者の少ない部類に入ります。

 ただ、この空港が大きな存在感を発揮することがありました。空港は災害に強いエリアにあることが多く、陸路が絶たれてしまった場合に、救援物資などを運び込む拠点となることがあります。

 2011年の東日本大震災で大きな被害を受けた東北地方。このとき陸路が分断されてしまったことに加え、東北地方の空の玄関口である仙台空港が津波に襲われ、稼働不可能になりました。その仙台空港に代わって大きな役割を果たしたのが、福島空港だったのです。

東日本大震災時の福島空港の暗躍

 福島空港でも最大で震度6強の地震が襲い、管制塔の窓ガラスも割れるなどの被害が発生していたものの、東北の救難拠点としていち早く24時間運用を開始。国内外の救援機や旅客機の臨時便、救援物資などを受け入れ、翌3月12日には、通常の約10倍となる131機の航空機が同空港に離着陸したと記録されています。


福島空港を離陸するANAの臨時便(2021年2月、乗りものニュース編集部撮影)。

 また、2011年3月12日から4月10日にかけ、羽田や中部空港などへの臨時便を運航するなど、暫定的な「東北の拠点空港」のひとつに。便数は平時の1日14便から最大34便まで増え、搭乗者数も、ピーク時には平時の約7倍にも及びました。また、県内で必要とされる食料の3分の2が同空港を経由して届けられるなど、震災後のインフラにおいて、重要な役割を果たしました。

 なお2021年2月、そして2022年3月16日と、東北地方では大きな地震が発生。ともに陸路では、新幹線の不通などの混乱が生じました。このとき福島空港からは、ともに福島〜羽田間の臨時便が運航されています。この空港は、普段こそ発着数の多い東北の他空港の影に隠れているものの、「いざというときに頼りになる」存在であるといえるのかもしれません。