112年前の3月10日、現在の阪急宝塚線と箕面線が開業しました。

1年半で開通にこぎつける


箕面駅で発車を待つ阪急箕面線の電車(草町義和撮影)。

 1910(明治43)年の3月10日。阪急宝塚線と、その支線である箕面線が開業しました。

 これは阪急の歴史で最初期にあたる路線です。きっかけは、現在のJR福知山線を経営していた「阪鶴鉄道」がかつて目論んでいた、池田〜大阪の支線建設の計画です。

 支線といっても本線にほとんど並行するようなルートで、混雑緩和のためのバイパス路線のような位置づけでしたが、実現しないまま阪鶴鉄道も国有化されました。その後「箕面有馬電気鉄道」により、計画が再浮上したのです。1906(明治39)年のことでした。

 当初の鉄道建設計画は、現在の宝塚線と箕面線、さらに今津線の原型となるものでした。箕面線は箕面からさらに渋谷・鉢塚を経由しぐるっと回って石橋に戻る循環線(!)とされ、さらに宝塚線も生瀬から有馬街道沿いに山を越えて有馬温泉へ向かうというものでした。

 最初は阪鶴鉄道の元社員たちが中心だったこの計画ですが、小林一三が携わるようになり、社名も「箕面有馬電気軌道」となって、いよいよ計画は具体化していきます。

 資金のやりくりにかなり苦労したようですが、1908(明治41)年10月に工事認可をうけ、わずか1年半のスピード工事で完成、1910年のきょう、梅田〜宝塚間と石橋〜箕面間が開通となりました。

 当時の宝塚駅周辺は鄙びた温泉地にすぎませんでしたが、阪急の創業者・小林一三はここを大規模なリゾート地にする計画を立てました。武庫川をダムで堰き止めて人工の貯水池を作るという構想もあったそうです。鉄道開業の翌年に、室内プールを備えた娯楽施設「宝塚新温泉」が誕生。現在の宝塚歌劇団の原点となる舞台公演も開始されました。

 その後、箕面有馬電気軌道は神戸進出を図り、現在の神戸線の建設計画に着手。この方針転換に伴い、有馬温泉への延伸計画は取り下げとなっています。また社名も「阪神急行電鉄」に変更。誕生した「阪急」は関西大手私鉄へ発展を遂げていきます。