およそ兵器というものは、誰でも使え、故障の少ない堅実なつくりをよしとするものですが、時として新機軸を盛り込んだ野心的なものが生まれます。旧ソ連時代にウクライナで作られたT-64戦車は、輪をかけて斬新すぎるものでした。

還暦迎えるT-64戦車 改良重ねなお現役!

 2022年2月24日早朝(現地時間)、集結していたロシア軍が一斉にウクライナへ侵攻を開始したニュースは世界を驚かせました。事態は2022年3月1日現在も進行形で判然としませんが、ロシア軍はウクライナの北部、東部、南部方面で前線も後方地域も同時に制圧する「全縦深同時打撃」という、古典的ともいえる作戦を採ろうとしたようです。

 ロシア/ソ連はドイツと並ぶ戦車王国であり、今回の作戦にもロシア陸軍のT-72、T-80、T-90などの主力戦車が参加しています。一方のウクライナもまた旧ソ連の流れを汲む戦車王国の一角を構成していました。ウクライナは農業国ですが旧ソ連以来の軍需産業があり、最近ではIT産業も成長し、日本国内でも聞いたことがあるようなオンラインゲーム運営会社や、模型メーカーも拠点を置いています。


ソ連からの独立記念日(8月24日)にキエフの独立広場でパレードするウクライナ軍のT-64BM(画像:ウクライナ国防省)。

 ウクライナの戦車保有量は2021年時点で約2600両とされ、数的に主力となっているのがT-64という戦車です。制式化されたのは1966(昭和41)年でしたが、滑腔砲、自動装填装置、複合装甲、エンジンとトランスミッション一体型のパワーパックなど、現代の第3世代戦車にも通じる新機軸を盛り込んだエポックメーキングな戦車です。

 開発したのはソ連戦車の主要な設計局のひとつであった、ウクライナのハリコフ機械製造設計局で、アレクサンドル・モロゾフ技師のチームが担当しました。ソ連軍の戦車開発を管轄するGABTU(装甲車輌総局)から1958(昭和33)年に、NATOに対抗する新型戦車「オブイエークト430」の名称で発注を受けたハリコフ設計局のモロゾフ技師は、新機軸を盛り込んだ夢の戦車の構想をこのオブイエークト430に反映しようとします。

 そのおもなコンセプトは、「主砲照準装置には光像合致式(ステレオ式)測遠器を装備して長射程の命中精度を向上させる」「砲塔をコンパクトに収め発射速度を速めるため自動装填装置を採用する」「装甲は西側の対戦車ミサイルを意識して、ハニカム構造のセラミック材や積層ガラスを圧延装甲またはチタンプレートに挟み込むという複合装甲を使う」「エンジンは新開発のコンパクトで高出力が期待できる2ストローク水平対向エンジンとトランスミッションを一体化したパワーパックを搭載する」というものでした。

斬新すぎて開発難航 最後は見切り発車!

 この新機軸モリモリの野心的すぎる設計案にGABTUは不安を持ちますが、モロゾフ技師の執念に根負けし、将来の技術発展に期待するということで開発を許可します。第2次世界大戦期のドイツにも見られる、技術者の机上の夢を最優先する「技術の暗黒面」に陥る予感がします。

 1960(昭和35)年にオブイエークト430の最初の試作車ができますが、やっぱりトラブル続出でした。特に新開発のエンジンは、戦中戦後に入手したアメリカやドイツのエンジンを参考にして造られたものの、不調に悩まされます。複合装甲も冶金技術の未熟さから品質が一定せず、予感通り「技術の暗黒面」に陥っていました。


クビンカ戦車博物館に保管されているオブイエークト430(画像:Serguei S. Dukachev、CC BY-SA 3.0〈https://bit.ly/3HEN0Zs〉、via Wikimedia Commons)。

 その間にアメリカがオブイエークト430の100mm砲を上回る105mm砲搭載のM60戦車を完成させ、ソ連は焦ります。そこでGABTUは主砲の口径を115mmに拡大するよう要求し、実用化の目途が立たないオブイエークト430を中止させます。

 GABTUはハリコフ機械製造設計局に対し、より装甲貫通力の高い115mm滑腔砲(砲身に砲弾を回転させるライフリングがない)を搭載する「オブイエークト432」としてプロジェクトを再立ち上げするよう命じるとともに、失敗した場合の保険として、やや性能は劣っても新機軸を盛り込まない安全確実な従来技術で115mm滑腔砲を搭載できる「オブイエークト140」を別の戦車設計局であるウラル車輌工場に発注します。これが後にT-62になります。

 オブイエークト432開発も、前作430と同様に順調には進みません。しかし当時、大きな権力を持っていたウスチノフ国防相も技術の暗黒面に片足を突っ込んでいたようで、「社会主義国ソ連は技術競争でも西側に勝利しなくてはならない」とモロゾフ技師を支持します。このような政治力学も働いて、オブイエークト432は見切り発車のように1966(昭和41)年、T-64として制式化されます。

ソ連/ロシアが諦めた一方で改良重ねたウクライナでは…?

 T-64は秘密兵器扱いで輸出もされず、ソ連軍のみが使用しました。受け取った部隊も、NATOとの最前線である東ドイツ駐留ソ連軍などのエリート部隊です。乗員には特別な訓練が必要で、運用にはジェット戦闘機なみの繊細さが必要ともいわれ、そして限られた兵役期間ではこの複雑な戦車に習熟するのは困難でした。


まだ秘密兵器扱いだった1980年に撮影されたといわれる、東ドイツ駐留ソ連軍所属のT-64(画像:アメリカ国防総省)。

 そうしたことからT-64は、部隊として練度が維持できず、故障率の高さも相まって、稼働率の悪化という事態に陥りました。また生産コストが高く、製造工数はT-62の4倍、価格は2倍以上とされています。

 このようにT-64は、技術的には見るべきものが多かったものの、成功作とみなされていません。ソ連崩壊後のロシアとウクライナそれぞれの軍がこれを引継ぎますが、ロシアは扱いにくさと、開発製造拠点がウクライナにあって部品供給や保守整備に不安があったことから、2017(平成28)年に全車を退役させています。このころには、戦車王国を構成する同胞だったロシアとウクライナのあいだに「政治の暗黒面」が拡がって、対立関係にありました。


フランス軍のルクレール戦車と共にNATOとの合同訓練に参加したウクライナ軍のT-64BV(画像:ウクライナ国防省)。

 ウクライナでは、自国内で部品供給や整備保守ができ、使用実績を重ねて不具合が解消したことで、T-64B、T-64BV、T-64BMなど近代化改修を続けてウクライナ陸軍の主力戦車の地位を確保しています。21世紀に入ると、ウクライナのT-64はライバルだったNATOの訓練にも参加し、ドイツのレオパルド2などとも列線を並べるようになります。旧東西陣営戦車の共同訓練はヨーロッパ新秩序の象徴にも見えましたが、NATOとの関係をめぐって、同じルーツを持つロシア軍戦車と敵味方になり砲火を交えるという、最悪の「暗黒面」に陥ってしまいました。