懐かしの「アンカレッジ経由」まさかの復活? 航空ファン伝説の地 いま世界が再注目のワケ
日本から欧米に行く際の経由地として、長年使われてきた米アラスカ州の「アンカレッジ」。なぜこの地が有名になり、そして、近年名を聞かなくなったのでしょうか。2022年、この地が再度大きな注目を集めそうです。
実は、最初はハワイ経由?
アメリカのアラスカ州「アンカレッジ」――かつて日本人の航空ファン、海外旅行者には馴染み深かったものの、ここ数十年で、あまり耳にすることがなくなった場所が、2022年、にわかに注目を集めつつあります。どのようなところなのでしょうか。
アンカレッジは、かつて空路で日本から欧州・北米を行き来する際の“経由地”として知られていました。かくいう筆者も1980年代初頭に降り立ったことがありますが、周辺に何もない、まさに「極北の僻地」という感じの場所だったものの、出発地や到着地の時間帯の関係から、便が集中することがあり、降り立った時間帯は賑やかだったと記憶しています。欧州、太平洋航路の一大中継基地という存在感に対し、周辺の閑散とした雰囲気に、大きなギャップがあったことを覚えています。
アンカレッジ拠点で設立予定のノーザンパシフィック航空のボーイング757-200(画像:ノーザンパシフィックエアウェイズ)。
アンカレッジの名が日本人に知られたのは、アメリカ線、ヨーロッパ線の双方がここを経由していたためです。ただ、その理由は、アメリカ線、ヨーロッパ線で多少異なります。
まずは、日本〜アメリカ線で「アンカレッジ経由」が発生した理由から見ていきます。これは一言でいうと、飛行機のスペックの問題です。
旅客機の航続距離は長いあいだ、“大西洋を横断する欧米線”を基準に設計されてきたともいえるでしょう。たとえばDC-8、ボーイング707などの初期のジェット旅客機は、ニューヨーク−パリ間の約6000kmをノンストップで飛べることを最低条件とし、航続距離が設定されていました。また、超音速旅客機「コンコード(コンコルド)」がこの路線に就航していたことからも、航空の本場、欧米では大西洋横断路線が飛べる“6000km”は重要な値で、一種のよき指標だったことは明らかです。
ただ、アジア〜アメリカ路線では、この指標はあまり当てはまりません。東京〜ロサンゼルス・サンフランシスコまでは直線距離で8000km以上、東京〜ニューヨークでは1万kmに及びます。
そこで、航続距離に強みのあるモデルを投入し、日本から届く距離に経由地を作ることになりましたが、実は当初選ばれたのは、アンカレッジではなく、なんとハワイでした。
アメリカ線、ヨーロッパ線では事情が違う?
しかし、ハワイには一つ大きな課題がありました。燃料補給に関して、ハワイでは原油が埋蔵されておらず自給できないため、アメリカ本土から船で海上輸送しなければならなかったのです。そこで、アンカレッジがベストの経由地として選ばれるようになり、そこを経由し日本からアメリカの各都市へ就航するようになったのです。
一方、日本〜ヨーロッパ線のアンカレッジ経由は、航続距離の問題に加え、全く別の理由もありました。
JALのダグラスDC-8。アンカレッジ経由時代の主力機のひとつだ(画像:JAL)。
戦後長い間、日本と欧州をつなぐ空路は、ソビエト連邦(当時)の上空を通る「シベリアルート」が領空制限で飛べず、遠回りする形の迂回を余儀なくされていました。この“迂回ルート”、ヨーロッパ線ではおもに香港、バンコク、デリーなどを経由する「南回りルート」、そしてシベリアを避けつつ北極圏を通る「北回りルート」の手段を取ることができました。
この北回りの経由地がアンカレッジで、同地で給油をしたのち、北極を通過して欧州へと向かっていたのです。日本の航空会社のシベリア・ルートの運航禁止は、1972(昭和47)年に一部解除、1989(平成元)年の冷戦終結後に、ルートの使用が許可され、本格的に開放されたのです。ただ、同ルートの通過には料金が必要だったため、この支払いを回避すべく、一部便は経由をしばらく続けました。また現在でも、貨物便などは燃料を多く搭載するよりも、積載容量の増やすことを重視し、アンカレッジ経由をする場合があります。
なお、1990年代には、航続距離1万kmを超える飛行機も続々出現。これも“脱アンカレッジ”に拍車をかけました。
さて、このような経緯で「アンカレッジ経由」は聞かなくなってしまったのですが、このアンカレッジ空港は、どのようなところなのでしょうか。
アンカレッジ空港どんなとこ? なぜいま注目?
当初アンカレッジ国際空港と呼ばれた場所は、オールド航空ファンが知る「テッド・スティーブンス空港」とは別のところにありました。1930年に開設された旧アンカレッジ空港は、アンカレッジ近郊の湖に隣接する小さな空港で、かつては、リーブ・アリューシャン航空がDC-3を使用してチャーター飛行などを実施していました。この飛行場は現在、600m、800m、1200mと3本の滑走路と持つメリル空港として、自家用機がおもに使用しています。東京でいえば、羽田空港に対する調布飛行場のようなイメージでしょう。
現アンカレッジ国際空港は、1951(昭和26)年に建設。アンカレッジ郊外にあり、2500mと1500mの滑走路を備え、1953(昭和28)年にターミナル・ビルがオープンしました。同空港ではアラスカ航空やリーブ・アリューシャン航空が路線を開設し、ノースウエスト航空も使用していました。
アンカレッジ国際空港のウェルカムサイン(写真出典:americanspirit/123RF)。
そして、「アンカレッジ経由」の増加にともない、1980(昭和55)年には3本目の3000m滑走路を新設し、需要に対応することとなりました。このころ、日本発着便が集まる時間帯には、日本国内の空港と見間違うほど、ターミナルビル内が日本人だらけになるときもあり、ビル内には名物の立ち食いそば・うどん屋も開店。現在は残念ながら閉店してしまったそうですが、古くからの航空ファンには語り草となっていたお店です。
このように、かつては日本から欧米へ向かう際も、経由地として栄えたアンカレッジですが、冒頭のとおり2022年は「注目の地」となりそうです。
ひとつ目の理由はアラスカを本拠・そして経由地としボーイング757で日米を結ぶLCC(格安航空会社)「ノーザンパシフィックエアウェイズ」の登場です。立ち上げに向け準備が進んでおり、最速2022年の就航を計画していること。同社が就航すれば、アンカレッジが目的地にも経由地にもなります。
そして、もうひとつは3月現在、世界を混乱に陥れているロシアの軍事行動です。欧米との対立の結果、現在ロシアは欧米などの航空会社に対し「シベリアルート」領空に飛行制限を設けました。日本の航空会社はまだシベリアルートを飛ぶことができますが、海外ではすでに、航空会社から利用検討の問い合わせが同空港に入っているという報道も。この意味でも、今後場合によっては「アンカレッジ経由」が復活するかもしれません。