なかなか本題に入らない母親の話を機嫌を損ねずに終わらせる「魔法のひとこと」
※本稿は、黒川伊保子『母のトリセツ』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
■毎日のように電話で「子どもできた?」と聞く母だった
私の母は、基本、自由な人で、私に「勉強しろ」だの「お行儀よくして」だのと言ったことがなかった。二十歳の誕生日のとき、母は私に「これからは親友になろうね」と言ってくれて、本当に仲よしの女友達になった。
とはいえ、厄介でなかったわけじゃない。私の男友達には、まるで自分の恋人選びみたいに厳しかった。この世代(昭和ひとけた生まれ)の母親の常で、「医者か、それをはるかに凌駕するエリートと結婚してほしい」と強く望んでおり、医学生の男友達にだけ、めちゃくちゃ依怙贔屓してたっけ。あとは大学の偏差値順に愛想がいい(苦笑)。
現在の夫が、両親に初めて会ったとき、母は冷ややかに、「なぜ、東大に行かなかったの?」と質問した。彼は、柔和な表情のまま、行儀よく、「東大には興味がなかったので」と答え、父がその答えをとても気に入ってくれた。「こりゃ、案外大物だな」と。
あとからわかったけど、夫は本当に、「東大と、それが象徴するエリート人生」にまったく興味がなかったのだ。まぁ、東京のど真ん中に家土地を持ち、蓄えもある両親のひとりっこ長男だし、若いときはけっこうハンサムだったし。寝る間を惜しんで受験勉強をしてまで、手に入れないとならないものが、彼にはなかったのである。
夫と結婚した後は、母は一日も早く孫をと望み、毎日のように電話をかけてきて、「できた?」と聞く。こうなるともう吹き出すしかなかった。
そう、母の望みは、あまりにも率直で、子どもが駄々をこねるようで、厄介というより面白かった。
本当に厄介なのは、電話の長さである。
■母親の長い話を機嫌を損ねず止めるには
母の話は、「今日、病院の待合室で、野村さんの奥さんに会ったのよ。野村さん、覚えてるでしょ? ほらあの」のように始まって、今日の出来事を綿密に報告してくれるのである。これに、「やんなっちゃったこと」や「多少の人生訓」がくっついて、長い長いショーが終わる。
実家を出てからは、理系(実験系)の学生で、バブル期のエンジニアで、やがて働くお母さんになった私。どこにも時間の余裕のない人生だったので、母の電話の「長さ」は、いつも悩みの種だった。母と話すこと自体は好きだったけど、なにせ長すぎる。
今は、LINEなどで、ショートコミュニケーションを重ねるスタイルが多いので、母親の話が長いことに辟易する娘は少ないのだろうか。いや、それでも、母親の「目的の分からない長い話」を、機嫌を損ねずに短く終了したい子どもたちは、ゼロではないと思う。
というわけで、母親の長い話を止める方法。
■電話は「案じること」から始める
まずは、母親から電話があったとき、「うん、おれ」とか「ああ、私」とか、気の抜けた返事をしている場合じゃない。即座に「あ、お母さん。どうしたの?」「何かあった?」と聞いてあげるのである。「いつもいつも母親を案じていて、電話があったから、どきっとして心配になった」というふうに。こうすれば、娘や息子を安心させるために、母たちは、早めに用件を切り出してくれる。
母は、一度だけ「何かなきゃ、電話しちゃダメなの?」とからんできた。私が「なに言ってるの。私は、24時間365日ずっと母さんのこと思ってるから、電話があれば、まず、そのことばが浮かぶだけ。何もなければ、幸いよ」と返したら、以降、用件がないときは、「ううん、ただ、あなたの声が聞きたくて」「どうしてるかと思って」と言うようになった。
そんなときは、たわいもない話を聞かせてあげる。専業主婦一筋の母は、働く娘の日常を、まるでドラマを楽しむように楽しんでくれるから。こちらの話を聞かせる分には、こちらのペースで一段落つけられる。「明日もまたがんばるわ。じゃ、お風呂に入るね」という感じに。
■自分の話を織り込む
「ことのいきさつ」派は、「心に浮かんだことをしゃべって」気づきを得ようとする脳神経回路を多用するので、「特に何があるわけでもなく、ただ話がしたい」モードに入ってしまいがち。子育ての際の、子どもへの気づきに有効なので、女性、特に子育てをした女性は、このモードに頻繁に入ってしまうのである。さらに子どもが近くにいると、その確率は跳ね上がる。
というわけで、母と子の会話が、このモードに入ってしまうのは、ある意味必至。一方的に聞き役になると、話はあらぬ方向に逸れて、延々と長くなる。対話の目的が「伝えたいこと」や「質問」ではなく、「話したい」なのだもの。
恋人同士なら、お互い「声を聞いていたい、些細な日常も知りたい」関係なので、それでいいのだろうが、生まれたときから聞いている母親の声で、代わり映えのしない日常を延々と語られてもねぇ。向こうだって、自分の話にそのうち飽きてくる。
というわけで、話を適度にスリム化して、相手の対話満足度まで上げるのが、「こちらの話を聞かせてやる」なのである。
私は、こちらに持ちネタがあるときは、母の話が始まる前に、「母の電話が待ちきれなかった」かのように、それをしてあげた。「今日ね、銀座のお寿司屋さんで、お寿司食べたのよ。あの有名な○○」のように。母自身の話題は、母の脳からも吹っ飛び、私のペースで会話を終えられる。こちらが“演者”なら、「いつか、一緒に行こうね。じゃ、夕飯の支度するから、またね」みたいに、幕を下ろせるからね。
■愛を伝える「オチのない話」
実は、これ、妻や話の長い女友達との日常会話にも応用できる。
残業して家に帰って、ほっとしようと思いきや、妻の「今日の出来事(愚痴つき)」を延々と聞かされて、さらにくたくたになっちゃうようなとき。
妻の話を短くするコツは二つ、積極的に共感することと、自分の話を突っ込むこと。
できれば、会話の口火を切るのは、こちらが望ましい。「今日、川土手の菜の花が咲いてたよ。きみも見た?」とか「昼さぁ、麻婆豆腐食べようと思ったら、売り切れててさぁ」みたいな、なんでもないことがいい。男性脳には果てしなく苦手な、何の目的もない、唐突なショートショートストーリィ。
実はこれ、女性脳にとっては、最高のプレゼントなのである。「何の目的もない話」「オチのない話」をするのは、「(用事もないのに)きみと話がしたい」の意思表示だからだ。母親や長年連れ添った妻にとっては、愛の告白にも値する。本当です。
女同士は、これを自然にやっている。
会議が始まる前に、女性たちが「こないだ、○○のケーキを食べた」「マンホールのふたで滑って転びそうになった」「髪切った?」みたいな世間話を交わしているのを知っているでしょう? ときには、世間話が沸騰したまま、怒涛のように会議が始まることも。
男性から見ると、ひとりの話が完結していないのに、もうひとりが別の話題をぶちこむので、「女は人の話を聞いていない」「女は自分がしゃべりたいばっかり」と感じるようだが、ぶぶぶーっ、それは不正解、大きな誤解です。
あれは、「あなたたちと話したい」の意思表明をしあっているのであって、会議の準備体操なのである。
■姑にも「オチのない話」をしてあげよう
「オチのない話」ができる男性はモテる。「オチのない話」をしてくれる子はかわいい。母親の電話は用件だけで切るっていう男子、たまには、「今日、コロッケを食べたんだ。近くに揚げ物売ってる肉屋があって」くらい言ってみて。「あなた、好きだったものね」とか「肉屋のコロッケ、美味しいものね」なんて、返ってくるはず。
要件だけで済んだ会話は、対話とは言わない。こういうなんでもない、生産性のない会話があってこそ、母親は息子と対話したと感じるのである。
娘はたいてい自然にそれをしている。ただ、嫁は、姑にそれをする回数が少ないのでは?
うちのおよめちゃんも、最初のうちは言葉少なで、「オチのない話」なんてしてくれなかった。最初にそれをしてくれたときの嬉しさが忘れられない。「帰りに、かき氷食べたんだ」とか、そんなたわいのない話だったけど、「ひゃ〜、うちにも娘ができたんだ!」と実感して。我が家の息子も、けっこう自分の話をしてくれるが、かき氷くらいじゃ口にしてくれない。娘(うちの場合はおよめちゃん)、可愛すぎる。
----------
黒川 伊保子(くろかわ・いほこ)
脳科学・AI研究者
1959年、長野県生まれ。人工知能研究者、脳科学コメンテイター、感性アナリスト、随筆家。奈良女子大学理学部物理学科卒業。コンピュータメーカーでAI(人工知能)開発に携わり、脳とことばの研究を始める。1991年に全国の原子力発電所で稼働した、“世界初”と言われた日本語対話型コンピュータを開発。また、AI分析の手法を用いて、世界初の語感分析法である「サブリミナル・インプレッション導出法」を開発し、マーケティングの世界に新境地を開拓した感性分析の第一人者。近著に『共感障害』(新潮社)、『人間のトリセツ〜人工知能への手紙』(ちくま新書)、『妻のトリセツ』『夫のトリセツ』(講談社)など多数。
----------
(脳科学・AI研究者 黒川 伊保子)