小田急多摩線を走ったちょっと不思議な「回送列車」の正体とは?(記者撮影)

東京郊外、多摩ニュータウンの足である小田急電鉄多摩線。10月中旬の2日間、同線をちょっと不思議な「回送列車」が走った。

回送なのに全部の駅に停車し、何度も線内を往復。そして先頭車両には複数の関係者の姿が――。実は、小田急が運転士を対象にした「自動制動」というブレーキでの運転技術を磨く競技会のための列車だったのだ。

自動制動というと最新式の自動運転システムのようだが、実際には古くからある「電車のブレーキの基本中の基本」(小田急運転士経験者)で、操作は近年の方式と比べて難しい。現在は装備している車両も減り、営業運転で使うことはないという。

今、そのブレーキテクニックを磨く機会をあえて設けた狙いは何だったのだろうか。

今では珍しい「自動制動」

鉄道のブレーキはさまざまな方式があるが、基本となるのは空気圧によってシリンダーを動かし、ブレーキシューを車輪に押しつけるなどして停める空気ブレーキだ。


「鉄道最前線」の記事はツイッターでも配信中!最新情報から最近の話題に関連した記事まで紹介します。フォローはこちらから

自動制動は空気ブレーキシステムの1つ。編成の全車両に貫通している「ブレーキ管」に空気圧を常時かけておき、この圧力を下げると逆にシリンダーに空気が送り込まれ、ブレーキがかかる仕組みだ。古くからある方式だが、走行中に連結が解けてブレーキ管が切れるといったトラブルがあっても、空気が抜けて圧力が下がり自動的に作動するため安全性・確実性は高いという。

ただ、操作性などの点から、主流はその後に登場した「電磁直通ブレーキ(電直)」に移行。さらに、現在は電気信号による制御で操作時の反応が迅速な「電気指令式」が全国的に多数派だ。

小田急もほとんどの車両が電気指令式で、自動制動を搭載しているのは1988年から1993年にかけて就役した1000形電車のうち、機器類をリニューアルしていない「未更新車」のみ。同車両の場合も「電直」との併用で、通常の運転には操作が簡単な電直を使い、自動制動は非常用だという。今回の競技会はこの車両を使った。

自動制動は車庫内などで訓練をすることがあるものの、20年以上の運転士経験者でも「営業運転で使ったことはない」(小田急CSR・広報部桐山良一さん)という。今回のように本線上で多くの運転士が参加し、実際に各駅に停車しつつ走る競技会を開いたのは初めてだ。


自動制動を搭載する1000形「未更新車」の運転台(記者撮影)

搭載車両も数少なくなった中でこのような機会を設けたのは、技術の伝承が大きな狙いだ。「若い運転士に車両の仕組みを理解する楽しさを、競技会という形で『わくわく』しながら知ってもらう場をつくりたかった」と、企画者で自らも長く運転士を務めた運転車両部の新井友章さんは説明する。

エントリーした運転士は4つの電車区から各6人、計24人で、実際には23人が参加。各電車区は乗務のシフトによって6つのグループに分かれているといい、各グループから1人が立候補や推薦などで出場した。「予想以上に若手の熱意がありました」と新井さんは言う。

ブレーキ感覚は「お尻で感じる」

1000形の運転台は加速度を調整するマスコンが左、ブレーキハンドルが右にある2ハンドル式。運転士らによると、自動制動はブレーキ管に空気を込めて圧力を高め、ブレーキを緩める「ユルメ込め」位置、ブレーキ管内の空気圧を一定に保つ「重なり」位置、そして管内の空気圧を下げてブレーキをかける「自動ブレーキ」位置という3つのポジションと非常ブレーキがあり、通常は前者3つの操作を組み合わせて減速、停車させる。


ブレーキがかかっていない走行中の圧力計。右側メーターの黒い針はブレーキ管内に圧力(490kPa)がかかっていることを示している(記者撮影)


ブレーキがかかっている状態の圧力計。ブレーキ管内の圧力が低下して右側メーターの黒い針が下がり、ブレーキシリンダーの圧力を示す左側メーターの赤い針が上がっている(記者撮影)

操作時の目安となるのは運転台に2つ並んだ圧力計だ。右側のメーターの黒い針がブレーキ管内の圧力、左側のメーターの赤い針がブレーキシューにかかる圧力を示しているが、「運転を始めて最初の1駅や2駅は車両のクセをつかむために計器を見るが、基本的には『お尻で感じる』んです」(運転車両部長・田島寛之さん)。制動力やタイミングを「体感」で把握することが重要なのだ。

自動制動の難しさは、現在主流の電気指令式ブレーキなどと比べ、操作から効き始めるまでのタイムラグが長いことだという。また、機構的に何度も追加のブレーキをかけると効きにくくなる特性もあるといい、電直や電気指令式の車両とはブレーキをかけるタイミングも変わってくる。

運転歴38年半のベテランで、かつて走っていた「荷物電車」で営業運転での自動制動を経験している前田隆文さんは、「ブレーキのかけ始めから実際に効いてくるまでが、今の電車と比べるとはるかに遅い。逆に手前で止まりそうだからといっても簡単に合わせることはできない。難しい機械で、本当に体感で覚えるしかないですね」と、その奥深さを語る。

競技会列車は多摩線の終点、唐木田駅を10時02分に発車。16時過ぎまで6往復し、1人1回片道の運転で腕を競った。今回の競技会は厳密な試験とは異なるが、ブレーキ時の衝動や停止位置、時間などがチェック項目になる。衝動の判定には、小田急社員が独自開発した揺れを検知するタブレットのアプリも使用した。


「自動制動」でブレーキをかける様子。ハンドルを右側に回している(記者撮影)


ハンドルを左側に回してブレーキを緩めている様子(記者撮影)

運転室の後ろでは各部署から来た見学者らが見守る。駅に近づくといよいよブレーキのタイミングだ。自動制動の場合、コツは「停まる位置の手前をめがけてブレーキをかけていき、そこから緩める」(田島部長)ことだという。

「シューッ」と空気が抜ける音が聞こえると、電車のスピードがみるみる下がっていく。ブレーキ管の圧力が下がり、ブレーキが効いている証しだ。営業運転では使わないというものの、どの運転士も操作はスムーズだ。

理想とされるのは、1度のブレーキ操作で大きく減速し、追加のブレーキをかけることなく「緩め」の操作を行って衝撃なく停める「1段制動」。プロから見てレベルの高いブレーキ操作が決まるたび、車内には「うまい!」「いいねえ」「衝動ほぼゼロですね」との声や拍手が湧き起こった。

第1走者だった若手運転士の関口靖人さんは運転歴3年目。「普段は使わないブレーキなので緊張すると同時に、運転士としてのやりがいを感じました」と語る。とくに途中の2駅では理想的な停車だったといい、「やっぱり1段制動で停められると誇りもあり、自信もつきました」と笑顔を見せた。

「競技会」もう1つの狙い

競技会は、技術の伝承やメカニズムへの理解を深めるといった目的だけでなく、さらに別の理由もあった。小田急電鉄とグループの小田急トラベルは今年10月から11月にかけ、数少なくなった1000形の未更新車をテーマにしたツアーを開催。この中で「自動制動」を体験するコースがあり、競技会は同列車の運転士候補者を選ぶ機会でもあった。

審査の結果、1位は運転歴4年目の古賀捷一郎運転士、2位は関口運転士と、若手2人が上位に。自動制動を経験したことがなくても、日常の運転で得たブレーキ感覚や学んだ内容が生きていることの証しだろう。


競技会の審査には衝動を計測できる独自開発のタブレットアプリも使用した(記者撮影)

初の試みだった自動制動の運転競技会。「最初はベテランしか参加しないかと思っていました」と企画者の新井さんは語るが、実際には新人から長年の経験者まで積極的な立候補があったという。競技会という形で「わくわく感」を高めつつ技術の基礎を知るという狙いは成功したといえそうだ。

近い将来には姿を消すであろう自動制動の車両。だが、今後新しい技術が次々に導入されたとしても、基礎的な安全性の考え方や仕組みを知ることの重要性は変わらないと新井さんはいう。テクノロジー全盛の時代であっても欠かせない人間の力。日ごろ利用していると気に留めることもない「電車のブレーキ」だが、そこにはプロの技が凝縮されている。