【開発の重要人物へ聞く】トヨタGRヤリス お手頃ドライバーズカーのベスト AUTOCARアワード2021 前編
20年ぶんの経験を失っていたtext:James Attwood(ジェームス・アトウッド)translation:Kenji Nakajima(中嶋健治)
AUTOCARがトヨタGRヤリスの試作車へ試乗したのは、2019年12月。詳細テストでも高い結果を残すことは、充分に予想できる内容だった。量産版の試乗では、予想が確かな気持ちへ変わった。
【画像】詳細テストで満点獲得 トヨタGRヤリス 開発現場の様子も 全65枚
2020年末に実施したお手頃ドライバーズカーのベストを決める比較試乗でも、ホンダ・シビック・タイプRやフォード・フィエスタST、8代目フォルクスワーゲン・ゴルフGTIを撃破。トヨタGRヤリスがトップの座を掴んでいる。
トヨタGRヤリス(英国仕様)
AUTOCARとして最終評価を下すのは、ロンドンの北、ミルブルック試験場での詳細テスト。とても厳しい評定を経て、GRヤリスは見事に満点を獲得した。驚かれた読者も、少なくなかったのではないだろうか。
どんなクルマにも、開発の重要人物がいる。トヨタGRヤリスには、ガズーレーシング・チームのメンバーが関わっていた。
「素晴らしい評価をうれしく思います。ですが、控えめな意見ながら、われわれは完璧なクルマを作れたとは思っていません」。GRプロジェクトで開発主査を務める、齋藤尚彦氏が答える。
「ゼロから開発する必要がありました。20年ぶんの経験を失っていたんです。つまり(GRヤリスは)、われわれのスポーツカー開発の始まりに過ぎません。将来に向けて良くし続けることが、重要だと考えています」
ホットハッチとして素晴らしい輝きを放つGRヤリスだが、開発は順調ではなかった。トヨタは世界最大の自動車メーカー。賢明なクルマ作りと、ハイブリッドで定評がある企業だ。ヤリスもその代表例。
世界クラスの高性能モデルを開発したい
そんなヤリスを、四輪駆動のラリースペシャル的なマシンへ作り変える。馬鹿げたアイデアだと、社内で受け止められても不思議ではない。
これを可能としたのは、ガズーレーシングと世界ラリー選手権のチームだけではなかった。会社のトップに至るまで、幅広いサポートがなければ難しいに違いない。
トヨタGRヤリス(英国仕様)
GRヤリスの量産に向けて原動力となった1つは、次世代ヤリスWRCのベース開発という目的。しかしそれ以上に、トヨタが世界クラスの高性能モデルを開発できることを証明したいという、CEOの豊田章男氏の決意が大きかった。
豊田氏は初代GT86やGRスープラの開発で、高性能モデルへのカムバックをリードした。さらに次の水準へ引き上げたいという思いもあった。
「彼はモータースポーツで学んだことを、自社のロードカーへ反映できることを示したいと考えていました。自分たちでスポーツカーを開発し、自分たちの工場で作りたいという情熱が、開発のカギです」。齋藤氏が説明する。
トヨタはこれまでも、レースやラリーへ積極的に参加してきた。厳しい条件を並べ、ガズー・レーシングへすべてを託したわけではない。豊田氏自ら、4年間の開発に深く関わったという。
GRヤリスの開発主査は齋藤氏だが、豊田氏こそ、その肩書がふさわしいと彼は考えている。「プロジェクトをリードしたのは彼でした。クルマのあらゆる側面を話し合い、多くの最終仕様をともに決定したのです」
トミ・マキネン・レーシングとの密接な関係
日本人技術者と、当時のWRCチームの運営をマネージメントしたトミ・マキネン・レーシングとの密接な関係を築いたのも、豊田氏だった。
「豊田さんの指示でフィンランドへ向かい、レースに用いるスポーツカー開発や、ラリーカーの技術に対して、現地チームとディスカッションを重ねました。彼らも4回は来日し、われわれも数えられないほどフィンランドを訪問しています」
トヨタGRヤリスの開発現場の様子
「多くを彼らから学びました。当初から、GRヤリスを今後のホモロゲーション・モデルに想定していました。空力性能を向上させる低いルーフラインや重心高など、要件を協議しています」
「彼らもモチベーションは高く、ロードカーの開発には意欲的でしたね」。トミ・マキネン・レーシングは、四輪駆動システムの開発にも重要な役割を果たした。セリカGT-FOURは1999年に生産が終了し、トヨタの高度な技術には20年のブランクがあった。
齋藤氏が続ける。「質問できるスタッフは、トヨタには不在。セリカGT-FOURの開発技術のレポートは残っていましたが、内容を承認した人物は退職済み。ゼロからのスタートでした」
「この種の技術開発は、止めない継続が重要だと思います」。四輪駆動システムの重要性は、WRCドライバーがGRヤリスのプロトタイプを試乗した時に判明した。初期のクルマは荒削りすぎ、運転できるギリギリの境界だったという。
笑いながら齋藤氏が答える。「本当です。ラトバラさんとマキネンさんから、雨や雪、ターマックなど路面に応じた四輪駆動システムのマネージメント方法や、必要な変更部分を学びました。GR-FOURシステムの開発のカギです」
この続きは後編にて。