先進国ではいま、「宗教消滅」という事態が進行しつつある。人生100年時代を迎え、死生観が大きく転換するなか、四大宗教はどこへ向かい、これからの宗教には何が求められるのだろうか?

■宗教はいつ、どのように始まったのか

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地球上にある民族や社会のなかで、宗教がまったく存在しない場所は一カ所も発見されていません。宗教は人類の誕生とともに生まれ、人類と同じだけ歴史を重ねてきた。このように言うこともあながち間違いではありません。

ただ、宗教の起源を求めるのは簡単ではありません。

一般的には、時代をさかのぼればさかのぼるほど、人類は呪術的な信仰に支配されていたという考えが強いと思います。初期の人類ほど呪術的で、文明が発展するにつれてだんだんと理性的になっていく。人類は次第に迷信のようなものに囚(とら)われなくなっていったというように、ふつうは考えがち。

たとえば縄文時代の遺跡が発掘されると、当時の建物として立派な神殿を復元したり、縄文土器や土偶の装飾に超自然的な存在を読み込んだりします。

しかし、私はそこに疑問を持っています。最初期の人類が呪術的・宗教的であったことを明確に証明する資料を探し出すことは非常に難しいからです。

実際、日本でも、呪術的な信仰が民衆のなかに広まっていくのは、平安時代に入って密教への信仰が流行してからのことであり、世界のほかの宗教を見ても、神秘的な力に対する信仰が発達するのは、文明が発達してからのことです。

ちょうどいま、私たちはコロナ禍のさなかにいますが、疫病もまた宗教をつくりあげるうえで、大きな役割を果たしてきました。

たとえば、『日本書紀』には、伊勢神宮に天照大神(あまてらすおおみかみ)が祀(まつ)られる経緯について述べられている。また、8世紀に聖武天皇が奈良の大仏を建立したのも疫病と関係しています。当時、天然痘の大流行によって社会は荒廃していました。その復興祈願や国家安泰への願いが、大仏建立には込められています。

このような歴史的な経緯をふまえると、むしろ文明が発達し、広範囲に及ぶ社会や国家の集合体を統合する段階で、複雑な構造をもち、超越的な存在を強調する信仰が生み出されたと考えたほうが現実に即しています。人類は宗教的な存在として出発したのではなく、非宗教的な存在として出発し、次第に宗教性を深めていった。このように考えたほうが事実に近いと考えます。

■人生100年時代には死生観も大きく変容する

では、ここで視点を未来のほうに向けてみましょう。果たして宗教は、この先どのようになっていくのでしょうか。

現代の世界では、先進国を中心に宗教離れの傾向が強まっています。その背景には、平均寿命が延びたことで、人々の死生観に根本的な変化が起こったことが影響しているというのが私の考えです。

これまでの宗教は、寿命が短くいつまで生きられるかわからないから、とりあえず死ぬまで生きようという死生観にもとづいて生み出されてきました。現世は苦しい生活が続く世界であり、そうした世界に生きている人間は、死後によりよい世界に生まれ変わることを望みます。だから宗教にとって、来世のあり方は大きな問題となった。それは、一神教でも多神教でも変わりません。いかに幸福な来世を迎えることができるか。宗教の根本的なテーマはそこに求められたのです。

しかし日本のような先進国では、80歳、90歳まで生きることは珍しくなく、いまや人生100年時代ともいわれています。長寿社会は基本的に、現世で幸福が得られる社会です。現世で幸福に生きられるなら、来世への関心はそれだけ薄れます。だから、短命がデフォルトだった死生観で生まれた既存の宗教は、現在更新されつつある死生観にうまく対応できていません。宗教が、よりよい来世に生まれ変われることを約束し、そのための宗教的な実践の意義を説いたとしても、新たな死生観をもつ人間の関心を集めることはもう不可能といっていいでしょう。

さらに、先述したコロナ禍が長引けば、人々は集まりづらくなります。これは集団的な儀礼や祈祷(きとう)を求心力としてきた宗教組織にとっては大打撃です。したがって短期的にも長期的にも、先進国では宗教が衰退し、消滅する事態が進行しているのです。

もちろん世界にはまだ、平均寿命が短い地域も多いので、そういった地域では既存宗教が延命していくでしょう。しかし大勢を見れば、世界的に平均寿命が延びるのに従って、死生観も先進国型に変わっていく可能性が高い。

新しい死生観に対応するような宗教はまだ生まれていません。長い人類史のなかで、宗教はそれぞれの社会において世界観の基盤となる役割を果たしてきました。したがって宗教の衰退や消滅は、人々が世界観を喪失することでもあります。果たして新しい死生観の上に成り立つ宗教は、これから登場するでしょうか。それがいま、宗教が直面している最大の課題なのです。

■世界四大宗教を知る

世界の四大宗教の成り立ちや現状を客観的に学び、相互理解を深めたうえで、これからの宗教を考えよう。

信仰により死後、罪からの解放をめざす

■キリスト教

● 三位一体(父なる神、子なるイエス・キリスト、聖霊)
● 信者数:約24.5億人
● 開祖:イエス・キリスト(前4年ごろ〜後30年ごろ)
● 教典:聖書

■ユダヤ教、イスラム教のような宗教法がないキリスト教

キリスト教は、ユダヤ教のなかから生まれた宗教です。イエス・キリストはユダヤ人であり、その使徒となった人物たちもみなユダヤ人です。だから、原始的なキリスト教にはユダヤ教の改革運動としての性格があり、必ずしも独自性をもってはいませんでした。

キリスト教がユダヤ教の枠を脱するのは、イエスの死後にイエスを救世主として信仰するようになる伝道者のパウロが、その信仰をユダヤ人以外の人々に伝えるようになってからです。その布教活動をとおしてキリスト教は民族宗教の枠を脱し、ローマ帝国全体、さらには世界宗教へと発展していくことになります。

同じく一神教であるユダヤ教やイスラム教と比べて、キリスト教には大きな違いがあります。それは日常生活を律する宗教法がほとんどないことです。この特徴はローマ帝国の統治のあり方と関係しています。

ローマ帝国では紀元前5世紀中ごろから「ローマ法」が成立し、世俗社会を律する法律として機能していました。そのために、キリスト教という宗教が広まっていく段階では、世俗の世界を支配するような宗教法が必要とされなかったのです。

キリスト教の教義には、人間は罪深い生き物であるという「原罪」の観念があります。これは旧約聖書に出てくるアダムとイブの物語をもとにしたものですが、同様の物語を共有するユダヤ教やイスラム教には、原罪という考え方はありません。罪深い人間を救うことができるのは神の代理機関であるカトリック教会だけです。こうした教義が教会に絶対的な権力を与えることになりました。

16世紀に登場するプロテスタントは、教会の権力を否定して、聖書中心主義の立場を打ち出します。神と人とを媒介する組織を認めない点で、プロテスタントとイスラム教は似たもの同士なのです。

アッラーに従い、平和・平等な暮らしをめざす

■イスラム教

● 一神教(アッラー)
● 信者数:約18億人
● 開祖:ムハンマド(570年ごろ〜632年)
● 教典:クルアーン(コーラン)

■イスラム教には組織的な教団は存在しない

イスラム教は約18億人の信者を抱え、今日ではキリスト教についで世界第2位の宗教となっています。

イスラム教は、キリスト教やその母体となったユダヤ教と比較して後発の宗教です。イスラム教が誕生した7世紀はじめ、イスラム教の開祖であるムハンマド(マホメット)が宗教活動を展開したアラビア半島では、すでにユダヤ教やキリスト教が広まっていました。それを踏まえると、後発の宗教としてのイスラム教は、ユダヤ教やキリスト教の影響を色濃く受けて成立した宗教といえるでしょう。

イスラム教で信仰の対象となるのは「アッラー」です。ただし、これをイスラム教の神の名前と考えるのは大きな誤解です。というのも、アッラーとは神のことを指すアラビア語の一般名詞であり、特定の神を指す固有名詞ではないからです。したがってイスラム教徒が信仰するアッラーは、ユダヤ教の神でもあり、キリスト教の神でもある。少なくとも、イスラム教ではそのように考え、ユダヤ教とキリスト教は兄弟宗教と認識しています。

イスラム教の際立った特色として、組織というものが存在しないことが挙げられます。一般に、宗教においては、信者が結集する教団という形の組織が存在しますが、イスラムには信者をとりまとめる教団がないのです。

モスクは一見すると、組織であるようにも見えますが、あくまで礼拝所にすぎません。たまたま近くにいるムスリム(イスラム教徒)が礼拝に来るというだけで、それぞれの人間が特定のモスクに所属するという形態にはなっていません。

その点では、日本の神道に近いところがあります。神社も参拝するための場所であり、参拝した人がその神社に属しているわけではありません。また、礼拝時に身を清めることを重視するところもよく似ています。

教団組織の存在しないイスラム教では、宗教法もすべて自発的な戒めです。イスラム教徒が豚肉を食べたとしても、本来的にはそれで罰せられることはありません。教団組織が存在せず、教義を実行するかどうかは個人に任されているという点で、イスラム教は規制の緩い宗教なのです。

元は土着信仰。信仰とヨーガ修行で解脱をめざす

■ヒンドゥー教

● 多神教(ヴィシュヌ神、シヴァ神など、さまざまな神)
● 信者数:約10.25億人
● 開祖:なし
● 教典:なし

■いまなおカースト制度が残っているのはなぜか?

ヒンドゥー教という呼称は、西欧の人間の発案によるもので、その意味するところは「インド人の宗教」というものです。ですから、一つの固有の宗教を指し示す言葉ではないことに注意しましょう。

一般にヒンドゥー教は、インド最古の宗教であるバラモン教が、民衆に広まった民間信仰を取り入れ、また仏教の刺激を受けながら再編成されて成立したものだと考えられています。

前身であるバラモン教がもっとも重要とした宗教的な課題は“輪廻(りんね)の繰り返しから離脱すること”でした。これは仏教やヒンドゥー教でも同様です。

インドでは、現世での行いによって、来世にどんな存在として生まれ変わるかが決まると考えます。だから、来世では人間ではなく、動物や虫に生まれ変わってしまうかもしれない。たとえ人間に生まれたとしても、その次はどうなるかはわからない。つまり、輪廻転生を繰り返すかぎりは、完全な平穏は訪れないため、永遠に苦が続くことになります。

輪廻の繰り返しから逃れる解脱の方法として開拓されたのが「ヨーガ」の技法であり、それがヒンドゥー教にも引き継がれていきます。

インドは伝統的に歴史を記録する文化がなく、ヒンドゥー教の具体的な形成過程もいまなおあまりよくわかっていません。しかし経済的な発展が著しい現代のインドにおいてもなお、生きた信仰として機能しており、ブラフマー、ヴィシュヌ、そしてシヴァなど、多くの神々が信仰の対象となるとともに、各種の儀礼や祭り、占いなどが実践されています。出家して修行に専念する「サドゥー」と呼ばれる苦行者も多く、立ち続けたり、爪を伸ばし続けるなど特異な修行を売り物にしていたりします。

その一方、ヒンドゥー教の下でも、バラモン教以来のカースト制度は存続しており、その差別的な素地はいまも残っています。カーストはいわば既得権益です。職業はカーストによって規定されているため、カーストに属していないとできない仕事があります。逆に、カーストに属していれば、何らかの仕事が保障される側面もあるため、いまだにインド社会に、とりわけ農村部には残り続けているのです。

輪廻の「苦」から逃れるため、ブッダの「悟り」をめざす

■仏教

● 一神教でも多神教でもない
● 信者数:約5.2億人
● 開祖:釈迦(ゴータマ・シッダルタ)(前463年ごろ〜前383年ごろ)
● 教典:お経などの仏典(多種存在)

■哲学的な大乗仏教と生活に根ざした上座部仏教

仏教の開祖は釈迦(しゃか)で、ブッダともいわれます。ただし、ブッダが実在したことを証明する資料はまったく存在しません。私自身は、最初期の段階では、複数の悟った人間たちの体験や出家が個別に語られ、それらがやがて一人のブッダの生涯として集約されていったと考えています。

仏教において根本的なことは、ブッダの悟りの体験です。仏伝が説明する釈迦はあくまで人間であり、創造神でもなければ、唯一絶対の神でもありません。仏教では、ブッダの悟りに至ることが最大の目標であり、その方法をめぐってさまざまな解釈が仏典として記録されていきました。

しかし肝心なブッダの悟りがブラックボックスであるため、経典や宗派によって教えの内容は大きく異なります。とりわけ、初期仏教への批判から大乗仏教が生まれたことで、さまざまな思想や教えが展開されました。日本の仏教に至っては、宗派仏教になったため、宗祖の教えのほうがブッダの教えよりも尊ばれるという不思議な現象も起きました。

仏教は、発祥の地であるインドではヒンドゥー教に吸収される形で衰退してしまいましたが、初期仏教に近い上座部仏教はスリランカ、ミャンマー、タイなどで定着し、大乗仏教は中国、チベット、日本などで多様な展開を遂げることになりました。

上座部仏教の特徴は厳格な出家主義が守られている点にあり、その点で在家仏教の傾向が強い大乗仏教とは異なっています。教えの内容もシンプルであり、大乗仏教のように哲学的な思索が華々しく展開することはありませんでした。

しかし、出家した僧侶は戒律に則った生活を実践することで、在家信者から尊敬を集めています。上座部仏教の僧侶は僧院で集団生活を営み、生産活動をいっさい行いません。食事は1日1度の托鉢(たくはつ)を行い、在家信者からの布施を受ける。在家の側は、布施によって徳を積めると考えられています。このように上座部仏教では、僧侶と在家信者が相互関係を築きながら、人々の生活に根ざした宗教活動を展開しているのです。

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島田 裕巳(しまだ・ひろみ)
宗教学者、作家
放送教育開発センター助教授、日本女子大学教授、東京大学先端科学技術研究センター特任研究員、同客員研究員を歴任。『葬式は、要らない』(幻冬舎新書)、『教養としての世界宗教史』(宝島社)、『宗教別おもてなしマニュアル』(中公新書ラクレ)など著書多数。
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(宗教学者、作家 島田 裕巳 構成=斎藤 哲也)