人気漫画家がこれまでになかった異色ジャンルに挑んだ(撮影:今 祥雄)

累計発行部数500万部超、2017年に日本テレビ系でドラマ化もされ大きな話題を呼んだ『東京タラレバ娘』をはじめ、『ママはテンパリスト』『海月姫(くらげひめ)』『かくかくしかじか』『偽装不倫』など数々の人気作・話題作を手がけてきた漫画家の東村アキコさんが、新しい漫画を発表しました。

『稲荷神社のキツネさん』。2月下旬に電子書店「コミックシーモア」で独占先行配信が開始され、紙書籍の発売やコミックシーモア以外の電子書店での配信開始を3月25日に控えています。原作は、神託コンサルタントの町田真知子氏。旅行代理店に勤務するしがないサラリーマンの主人公が、京都の稲荷神社で不思議な白狐に出会い、商売繁盛や金運を呼び込むための自身の「才能」に目覚めていきます。

自己啓発的な要素を含む「起業ファンタジー」ともいえるストーリーは、これまでの東村作品とは一線を画す異色ジャンル。東村さんが今、この漫画を発表した狙いや背景とは――。本人を直撃しました。

全年齢をターゲットにしたテーマ

――なぜこれまでとはまったく違う毛色の漫画を描くことに?

友人から「お稲荷さんに関わる本を出したい」と相談を受け、原作を見せてもらったのがきっかけです。「これを漫画にしたら面白い! 私には絶対に思いつかないし、その引き出しもない。この題材を他人にあげたらもったいない!」と思い、漫画化を進めることになりました。

例えば東京の街にはあちこちに「お稲荷さん」が祭られていますが、お稲荷さんは、子どもからお年寄りまで幅広い世代に興味を持たれます。全世代が興味を持つテーマはなかなかありません。例えば『東京タラレバ娘』は、おかげさまでテレビドラマ化されましたが、「結婚」や「婚活」がテーマの作品です。独身を中心としたアラサー・アラフォー世代のニーズは強いですが、子どもやお年寄りには響きにくい。


それにお稲荷さんをテーマにした漫画は人気ジャンルで先行作品はすでにたくさんあるものの、お参りの仕方を詳しくレクチャーしてくれる漫画はないと思っています。

漫画は、売れればたくさんお金が入ってくるし、売れなければお金は入ってこないので、ばくちみたいなところがあります。アートワークや芸術表現のように見られますが、スタッフを食べさせていくためにも、売れるものを創らないといけないので、やっぱり商売ですよね。

芸術的なものを何年かに1度描いて、それがすごく売れる先生ならいいですけど、私の場合はそうではないので、クリエイターというよりも商売人といったほうがしっくりきます。商売人気質で漫画家をやっているので、原作の考え方にピタッと合いました。

――これまでの作品と比べて描くのは難しかった?

スピリチュアルっぽく見えないように描くのが大変でした。

ストーリー的に、「東村さん、いきなりスピリチュアル漫画を描きだして、どうした?」と思われるだろうな、と思いました(笑)。でも、神社はギリギリ、スピリチュアルではないと考えています。日本人は個々に宗派はあれど、皆さん初詣も行くし、子どものときに神社で遊んだ経験を持った人も少なくないでしょう。生活に根付いている神様であり、信仰だと思います。

私は霊感、信仰、願掛けなど、目には見えないスピリチュアルな分野にはまったく縁遠いタイプでした。神様の存在とか舐め腐っていて、初詣に行ってもおさい銭払わずに出店で何か食べて帰るような人間でした。


東村アキコ (ひがしむら・あきこ)/2007年に連載を開始した『ママはテンパリスト』(集英社)が100万部を超えるヒット。『海月姫』(講談社)で2010年講談社漫画賞受賞、 自身の半生を描いた『かくかくしかじか』(集英社)で第8回マンガ大賞、第19回文化庁メディア芸術祭漫画部門大賞をそれぞれ受賞。 2019年には『東京タラレバ娘』(講談社)で漫画界のアカデミー賞といわれるアメリカのアイズナー賞で最優秀アジア作品賞に選ばれる。『海月姫』『東京タラレバ娘』『偽装不倫』(文藝春秋)はいずれもテレビドラマ化。2020年4月から『美食探偵 明智五郎』(集英社)がテレビドラマ化される(撮影:今 祥雄)

でも原作を読んで、商売の神様であるお稲荷さんのお使いがキツネである理由は、お稲荷さんが稲を中心にした食物の神様でもあって、キツネはお米を食い散らかすネズミを追い払うからだとわかったときにスッキリしました。キャラクターとしてもキツネは好きだし、街角でお稲荷さんのキツネの像を見ると、すごくカッコよく見えます。こんなにも風情があるものを、今までは素通りしていたんだって思いました。

スピリチュアルな内容でも、漫画にすることでマイルドになります。「東村さんヤバイ方向行っちゃった??」と思われて仕事が減るなら、それはそれでいいや、とも思いました。これ以上仕事が増えて忙しくなるのもイヤなので(笑)。

自分で行動して入り込むことに意味がある

――この作品は、日本全国の稲荷神社の総本宮とも言われる、京都の伏見稲荷大社がモデルだと伺いました。

今は新型コロナウイルスの感染拡大で訪日旅行客が激減しているタイミングではありますが、世界最大の旅行コミュニティサイトであるトリップアドバイザーがまとめた「外国人に人気の日本の観光スポットランキング 2019」では伏見稲荷大社(京都府京都市)が6年連続で1位になりました。きっと海外の人も興味があるのでは、と思って外国語バージョンも検討中です。

――東村さんも実際に伏見稲荷大社の頂上でお参りされ、日常的にもお稲荷さんにお参りされているそうですね。

非科学的なようですが、実は不思議なことがたくさん起こるようになりました。偶然と言われたらそれまでですが、息子の茶道教室のお迎えで待ち合わせをする際、集合場所を設定していたわけではないのに、なんとなく細い道が目に入って「ここにいるはず」と思い車を進めていたら、突然お稲荷さんに遭遇したんです。まるでお稲荷さんに吸い込まれたかのようでした。そしたらその先に息子が「ドューン!」って立っていたんです。初めて通る場所でお稲荷さんだけでなく息子にも遭遇したことは、お参りの直後でもあったのでダブルでびっくりしました。

漫画の連載を取りたいという新人漫画家のアシスタントさんも、伏見稲荷大社に登った直後の帰りに連載が決まるということもありましたね。ご利益だとか、キツネさんがよくしてくれたというロマンティックな考えもありますが、私は漫画家なので、それだけではない考え方もします。

商売人の場合は、「絶対この商売を繁盛させる」とお参りで誓うことで、あともう一歩仕事しないといけないときに、潜在的能力を出して、あとちょっとの頑張りを積み重ねていくことで結果が変わっていくのだと思います。


テレビドラマ化もされた人気作『海月姫』に登場するタコクラゲのクララ(撮影:今 祥雄)

昔の人は飢饉や戦争などもあり、現代人よりも生きるのに大変だったと思うのですが、当時は精神を安定させるためのカウンセリングや精神科、ヤフー知恵袋もありません。代わりに神社や占いが精神安定剤になっていたと考えると、お稲荷さんは庶民にとっていちばん手近な精神安定、カウンセリングの役割を果たしていたのではないでしょうか。

歴史あるお稲荷さんの世界観は、デザインされています。街の中に溶け込んでいる神社の空気感に触れながらお参りすることに意味があり、自分自身に誓うムードが大事だと思うのです。ムードがあることで、自分が映画の主人公になったような気になります。例えば結婚式でも、新郎新婦に誓いを立てさせる神父さんはアルバイトでも外国人の方であるケースがほとんどですが、自分を奮い立たせる誓いをするときには、儀式的な要素が大事だと思います。

才能を生かすには矯正のターン、“守破離”が必要

――本作で描かれている主人公に白狐は「才能は苦もなくできること」と説いています。

このくだりが、原作を読んだときにいちばん衝撃を受けた部分です。「才能は、努力した者だけが勝ち取れる」とよく言われます。才能は努力とセットだと思って私は生きてきましたが、20年間、漫画家としてやってきて周りで売れていく漫画家さんを見ていると、やっぱり天賦の才だと思うのです。どんなに努力しても、楽しそうにやって面白いものを描ける人にはかなわない。日本人は努力している人が好きだから、そんなこと言ったら感じ悪いから言えなかったのですが。

――東村さんの自伝であり、代表作の1つである『かくかくしかじか』(集英社『Cocohana』で2012年1月号から2015年3月号まで連載)で描いたご自身は、美大に入るために絵画教室に通ってそこで恩師から熱烈な指導を受け、まさに絵を「描いて描いて描きまくって努力した存在」に映ります。

私は絵を描くのが好きだし、紙を与えてくれたらいつまででも絵を描いているような子どもだったので、そういう意味では、「頑張らなくてもできる才能」だと思いますが、美大に入る受験勉強は頑張りました。受験用の絵を描くことで、型を矯正されたのです。人生において好きなことを仕事にする場合、それをアマチュアからプロの領域に引き上げるための矯正のターンは必要です。


「大事な仕事の前に近所のお稲荷さんを拝むと、精神が安定して気持ちが落ち着くんですよ。自分を奮い立たせる誓いをするときには演出をかましていくことが大切だと思います」(撮影:今 祥雄)

例えばボールを好きに投げていた野球選手でも、もっと選手として花を咲かせるためにはフォームの矯正をしますよね。矯正がなくて好き放題やっていると、プロになったときにモノにならなかっただろうなって思います。『かくかくしかじか』に登場する絵画教室の日高先生に出会っていなかったら、自分で好きな絵を描いて個展をやっていたとしても、今のようにプロとして死ぬほど描くという生活は無理だったと思います。あの矯正のターンがあったから今があると思っています。

受験のとき、矯正されていてつらいといっていましたが、やっぱり心の奥底では描くことは楽しかったです。「好きこそものの上手なれ」というのは、悩むことも含まれていると思います。締め切りに追われてつらいこともありますし、0から1を生み出すことに悩むときもあります。

例えばライターさんは、執筆をそんなに苦もなくできますよね。普通の人は、「この文章をこの文字数書け」と言われたら「どうしよう」って思います。テレビ出演の際も、私はタレント業が向いていないと思ってしまいます。まず、テレビ局に行くのがものすごくおっくうで、守衛さんからのチェックから始まり、窓のない控室で待つのも、「だっるい!!」と思い、1分も耐えられないほどイヤなんです。スタジオで、見知らぬスタッフさんがバタバタしている環境も苦手です。

でもタレントさんや芸人さん、女優さんは、この一連のことがまったく苦にならないんだと思います。私の場合は資料を読み込み、漫画を描く作業がまったく苦にならないしとくに頑張らなくてもできるけど、きっとタレントさんはモノを書けといわれたらその一連のことが大変なんだろうなって。

頑張らなくてもできることを仕事にすれば

――普通の仕事にも通じますね。

「なんで君こんなこともできないの?」ってバイト先で言われている若者っていますよね。「なんでピザの具、均等にのせられないの?」みたいな。でもね、ピザの具を均等にのせられなくても、電話の予約をホイホイ受けられたり、バイクでピザを崩さずに運ぶのが上手だったり、いろんな才能があったりもするんですよ。

「適材適所」という言葉がありますが、その分野では思いどおりに仕事ができなくても、ほかの分野で、たとえ“得意”とまでは言わなくても、「なんかできる」という程度の“頑張らなくてもできること”を仕事にして、そこに身を置けばいいと私は考えています。

自分の才能を見つけられず、やりたくない仕事をしながら給料もそんなにもらっていない、苦労している若者に“生きる場所”を見つけてほしいですね。苦もなくできることは、誰にでも絶対にあるので。『稲荷神社のキツネさん』にはそういうメッセージも込めました。

――本作では「才能があっても、そこから発展性と創造性がないとお金に換えられない」ともいう教えも描かれています。東村さんご自身は、どのように創造性を培っていますか?

ひたすらインプットをしています。映画鑑賞や読書、NetflixやHuluなどで、若い人が観ている流行っているものをなんでも観ます。漫画家さんのなかには、インプットしないでも描ける人もいますが、私は0から生み出す才能がないので、まねるところから始めます。例えば「ライバルもの」「成長もの」というように、型を決めてから取り掛かるのです。

“まず型にはめてみる”ということを美大で学んだので、完成形の型をある程度設定してから、その中で自由にやらないと、「ビャアー!」ってフルーチェみたいにこぼれ落ちてしまうんです。だからクリエイター志望の人は舞台や小演劇、ミュージカルなどをたくさん観ることをお勧めします。型の制約が大きいのは舞台やミュージカルだと思うので。

バッドエンドは絶対に描かない理由

――東村さんは現在44歳ですが、1人の人間としても職業人としてもさまざまな経験を積んでこられたと思います。『稲荷神社のキツネさん』は今だからこそ描けた?

若いときだったら描けませんでした。「私を認めて、褒めて」という承認欲求がありましたし、自分さえよければそれでいいと思って生きていました。でもこの歳になってくると、スタッフやファンの方にうまくいってほしいと心から思います。

私は『かくかくしかじか』を描き終えたときに、もうやり遂げたと思いました。あとは余生を楽しく生きていきたいと思いました。奉仕の精神ではないですが、おせっかいに「こうしたほうがいいよ」って言えるのはある程度歳とらないと言えないですよね。そういう意味では私も“いいおばちゃん化“してきたなって思います(笑)。

――東村さんが漫画を描き続けるモチベーションはどこに?

きれい事のようですが、私自身、今の生活に悩みもなく、満足していて毎日楽しく生きているので、鬱屈したものを作品として出したいというのがまったくないんです。

今はアシスタントさんと部活みたいにやっていますから、アシスタントさんがいなくなったら、生活がつまらないのです。仕事場に行くのも、アシスタントさんとしゃべりたくて行く、というチーム感がモチベーションになりますね。


東村さんのアトリエには代表作のキャラクターが勢ぞろいしたイラストが飾られていました(撮影:今 祥雄)

読者の方からの感想なども励みになります。自分が描きたいものがあってそれを貫くというよりも、悩んでいたり困っていたりする読者が、漫画を通して元気になってくれることもモチベーションにつながっています。

子どものときから学級委員をやっているような面倒見のいいおせっかい女子で、人の悩みに答えたり相談を受けるのが好きなタイプなので、落ち込んでいる人を見ると、かわいそうに思えて仕方がないのです。おこがましいかもしれませんが、そういう人たちを助けたい、喜ばせたいって思いながら描いているので、バッドエンドは絶対に描きません。私は着物さえ買えればいいのです(笑)。

――どんなアシスタントさんを選んで採用されているんでしょうか?

何か好きなものがある「オタク」な人じゃないとダメですね。「君のメインジャンルはなんなの?」っていうのをいちばん最初に聞くようにしています。好きなものに対して我が強い人でないと、面白くないし、突き詰められないですよね。

――東村さんは『偽装不倫』を発表する際、先にスマホアプリで無料公開(2017年11月〜2019年9月)した後に紙で書籍化して販売するなど先駆的な取り組みに挑戦してこられた印象があります。今のインターネット、デジタル時代における漫画の置かれた状況をどうご覧になっていますか。

あれを始めた頃は、漫画を無断で掲載していた海賊版サイトの「漫画村」が跋扈(ばっこ)して、売り上げが落ちていた時期で、海外で漫画を売らないとお金が入らなくなると思っていました。漫画村は2018年4月に閉鎖されましたが、新しいことにチャレンジしていこうと思っています。グズグスしていても時代は進む一方でしょ? 戻ったことなんて1回もないんだから、適応していかないとしょうがないですよね。

これからは無料で読んでもらってはやらせた後に、映像化やグッズにしたり、どうマネタイズしていくかが大事ですね。子どもたちのお小遣いからお金をもらうことは考えず、大会社からお金をもらって描くというように切り替えないといけないと考えています。これからはポイントという名のお金をあげて読んでもらう時代が来るかもしれませんね。

「50歳で辞めて新聞の4コマ漫画を描きたい」

――東村さんはいつまで漫画を描き続けるつもり?

今44歳ですが、「50歳で辞める宣言」をしています。息子の大学の入学金を払ったらもう辞めたいですね(笑)。

漫画家はみんなそうですが、私は20代前半から、20年間ずっと締め切りがある生活を続けています。それがつらかったわけではないですが、人生一度きりなので、締め切りがない生活を送ってみたいです。50歳で一区切りつけたら、新聞の4コマ漫画を描きたいです。私だったら4コマ漫画に時事ネタを盛り込んで、オチを畳みかける2段オチの漫画を描きますよ。


今後、『ママはテンパリスト』のように実体験を基にしたエッセイ漫画も描きたいという。「子どもの頃に面白かった事件を映像のようにいくつも記憶している。いつか1冊にまとめたい」(撮影:今 祥雄)