冷戦期、ソ連の軍用機につけられた西側呼称、いわゆる「NATOコード」には、カッコよさとは対極のひどいものが多いですが、ここにメーカー自ら「樽」と呼んだ戦闘機があります。サーブ29「トゥンナン」、どのような機なのでしょうか。

サーブの第1世代ジェット戦闘機は空飛ぶ「樽」

 搭乗員の士気にもつながるのでしょうか、古今東西、軍用機の愛称にはカッコよいものが多く見られますが、そうしたなか、メーカー自ら「樽」と称する戦闘機があります。しかもこれがなかなかの高性能機だというのですから、世の中わからないものです。


スウェーデン空軍博物館に展示されているサーブ29「トゥンナン」。愛称の「トゥンナン」はスウェーデン語で「樽」を意味する(竹内 修撮影)。

 第2次世界大戦のさなか、ドイツは後退翼と呼ばれる技術の研究を進めていました。「後退翼」とは左右の翼の端が付け根よりも尾部方向にある翼のことで、左右に向かってまっすぐ伸びている翼に比べて速度性能を高めることができます。

 戦争に敗れたドイツから後退翼の研究資料を得た国々は、後退翼を採用したジェット戦闘機の開発に取り組みます。アメリカは航空自衛隊も採用したF-86F「セイバー」、旧ソ連はMiG-15、イギリスはホーカー「ハンター」という傑作戦闘機をそれぞれ世に送り出していますが、後退翼の資料を得たのは大国だけではなく、スウェーデンも同時期に、航空機を含めた防衛装備品の開発と製造を手がけるサーブが「サーブ29」という、後退翼を備えたジェット戦闘機を開発しています。

 F-86FとMiG-15、「ハンター」が、ジェット戦闘機らしい細身の胴体に後退翼を組み合わせるなか、サーブ29は太く短い胴体に後退翼を組み合わせた、ジェット戦闘機らしからぬデザインの戦闘機でした。

 サーブの戦闘機には、スウェーデン語で有翼獅子を意味する「グリペン」、同じくスウェーデン語で竜を意味する「ドラケン」といった、強そうな架空動物に由来したニックネームが付けられていますが、サーブ29に限っては、そのずんぐりむっくりしたフォルムから、スウェーデン語で「樽」を意味する「トゥンナン」というニックネームが付けられています。

 F-86FやMiG-15に比べればお世辞にもカッコよいとはいえず、鈍重な印象すら与える「トゥンナン」ですが、見た目とは裏腹に飛行性能は良好で、1954(昭和29)年には500km区間の世界速度記録977.35km/hを樹立しています。

サーブ29「トゥンナン」実はマルチロールファイターの先駆け

 当時アメリカや旧ソ連といった大国は、任務ごとに最適化された各種の軍用機を運用していましたが、そうした大国に比べれば国力の小さいスウェーデンには複数の軍用機を開発、運用する余裕はありませんでした。

 そこでサーブ29は、ひとつの原型から3つのタイプが開発されています。すなわち、機首部に20mm機関砲を搭載した空対空戦闘機型の「J29」、機関砲の代わりに偵察用のカメラを搭載した「S29」、対地攻撃機型の「A29」です。

 現代の戦闘機は、空対空戦闘も対地攻撃攻撃も偵察もこなせる「マルチロールファイター(多用途戦闘機)」が主流となっていますが、ひとつの原型機から複数の任務に対応する航空機を作り出すことに成功したサーブ29は、戦闘機のマルチロール化の可能性を開いた、革新的な航空機であったといえます。

 スウェーデンは、19世紀からEU(ヨーロッパ連合)に加盟する1995(平成7)年まで中立政策を採用しており、中立政策を事実上放棄した後も、一度も他国との戦争を行なっていませんが、にもかかわらずサーブ29は実戦に参加しています。

 1960(昭和35)年、ベルギーの植民地であったアフリカのコンゴはコンゴ共和国(現在のコンゴ民主共和国)として独立しましたが、独立直後に南部カタンガ州がコンゴ共和国からの分離独立を宣言し、さらに国内での権力闘争も起こったことで、同国は大混乱状態に陥っていました。

 国際連合は事態を打開するため、国連平和維持軍(コンゴ国連軍)を派遣することを決定し、スウェーデンに協力を要請。スウェーデンは要請に応じて、1961(昭和36)年9月28日にサーブ29を運用する第22飛行隊を編成して、コンゴに派遣しました。

実戦投入されたサーブ29「トゥンナン」 結果は…?

 第22飛行隊の派遣から3か月後の1961年12月に行なわれた、カタンガ独立勢力の基地に対する攻撃に参加した「トゥンナン」の戦闘機タイプJ29は、最初の6日間で150時間の作戦飛行を実施し、作戦に参加した9機のうち8機が対空砲火による損傷を受けながらも、ロケット弾による攻撃などで大きな戦果を挙げています。

 さらに、天候の不順なコンゴは航空偵察が困難な戦場だとみなされていましたが、偵察タイプのS29は地上目標の偵察と写真撮影でも成果を挙げ、地上部隊の作戦の遂行を大いに助けたといわれています。


サーブ29「トゥンナン」の機体下方より。初飛行した1948年当時、その後退翼は最先端の技術だった(画像:Stefan Holm/123RF)。

 コンゴ国連軍には、エチオピア空軍が派遣したF-86F「セイバー」戦闘機なども参加していましたが、劣悪な環境下で短期間にて作戦での運用終了を余儀なくされていました。これに対しサーブ29は1963(昭和38)年まで活動を継続し、着陸時の事故で1機が失われたものの、戦闘による損失はゼロで任務を完了しており、タフさと能力の高さを世界に示しました。

 兵器の輸出では、実際に戦闘に臨んだ際の好成績が有利に働くことが多いのですが、コンゴで大きな結果を残したサーブ29は、同じ中立国であるオーストリアに30機が輸出されたにとどまりました。

 輸出市場でサーブ29が成功できなかった最大の理由は、東西冷戦の真っただなかだった当時、中立国であったスウェーデンから戦闘機を導入することにメリットを感じた国が少なかったためであって、決してF-86FやMiG-15に比べていまいちカッコよくなかったからではなかったことを、隠れた名機であるサーブ29のためにお断りしておきます。