背番号「22」と聞いて連想する、10名のサッカー選手

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本日は10月22日。日本では天皇陛下の即位を宣明する『即位礼正殿の儀』が行われるため、祝日となっている。

今回はそんな日を祝し、「22」を愛用した10名の選手をご紹介しよう。サッカーの国際大会はかつて登録人数が22名でありGKが着用することも珍しくなかったが、そんな番号を愛用する選手とは?

カカ

ブラジル代表やクラブでは8番や10番を付けることが多く、ミランで着用した22番もおそらくは加入当時、8番ガットゥーゾ、10番ルイ・コスタが存在したたために過ぎないであろう。

しかしながらこの「22」をまとった若き青年は、その類まれな才能によってロッソネーロに再び黄金期をもたらすと、2007年、メッシ・ロナウド時代が始まる前最後のバロンドールを受賞し「世界最高の選手」となった。

ウィリアン(チェルシー)

負傷のネイマールに替わり今夏コパ・アメリカで10番を付けたウィリアン。この番号はユース代表でも付けており、今季は退団したエデン・アザールの後を継いでチェルシーの10番に任命されている。

ただ彼はシャフタール時代の2シーズン、そして昨季までの5シーズン半チェルシーの22番を着用しており、近年の22番を象徴する選手の一人として知られている。

中澤 佑二

昨年限りで現役を引退した鉄人センターバックは、“ボンバーヘッド”の愛称とともに「22」を愛することでも知られた。

クラブでは1999年のデビューから2018年まで、1シーズンを除いて22番を着用。110試合に出場した日本代表でもほとんどの期間でこの番号を背負い、2度のワールドカップに出場している。

ディエゴ・ミリート

サッカー界で「最も成功した兄弟」の一組であるミリート兄弟の兄ディエゴ。弟ガブリエルはDFだったがその兄ディエゴは傑出した決定力を誇るストライカーであり、ジョゼ・モウリーニョ体制で三冠を達成したインテルのエースFWだった。

そんな彼のトレードマークが「22番」。2006-07のサラゴサ時代から付け始め、母国のラシン・クラブで引退する2015-16シーズンまでおよそ10年間、この番号を背負っている。

イスコ(レアル・マドリー)

スペイン代表とレアル・マドリーで22番を付けているイスコ。バレンシアでデビュー(当時は26番)し、その後マラガで活躍したことでレアルへ。この時の背番号が22で「イスコのために、背番号22は他のどの選手も着けることはできない」とマラガが声明を出したほどだった。

なお、レアルでは加入当初アンヘル・ディ・マリアが22番を付けていたため23番を与えられたが、2015-16シーズンから22番に変更され現在に至っている。

羽生 直剛

その特徴的な顔立ちから“和製エジル”とも呼ばれた小柄な攻撃的MF。イビチャ・オシム時代のジェフ千葉で急成長し、日本代表にも選出された。

そんな彼は千葉、FC東京、甲府の3クラブでプレーし、2017年限りで16年に及んだ現役生活にピリオドを打ったが、その全てのシーズンで22番を付けている。

ケヴィン・クラニー

ドイツ人の父とパナマの人の母の間にブラジルで生を受けた異色のストライカー。シュトゥットガルトやシャルケで活躍した彼はサッカー界屈指といえる“22番に想い入れのある選手”かもしれない。

クラブチームではデビューから引退まで全てのシーズンでこの番号を付けており、定着できなかったドイツ代表でも可能であれば22番を着用。現在、自身が運営するマネージメントの会社名も『22sm』という徹底ぶりだ。

阿部 勇樹(浦和レッズ)

2010年ワールドカップで中盤の底を務め、日本代表の16強入りに貢献した阿部。彼はジェフ千葉時代に主に6番を付け、代表では中澤佑二の存在もあり2番を付けた。

一方クラブでは2006年に浦和へ移籍して以来、レスターに在籍した2シーズンを含め13年間にわたって22番を付け続けている。ちなみにその理由は千葉時代の先輩であり、前述の羽生直剛が移籍を後押ししてくれたからだとか。

エリック・アビダル

“守備的サイドバック”のお手本ともされた元フランス代表のDF。彼はもともと20番を着用していたが、バルセロナに加入して以来、22番を愛用した。

2011年3月、肝臓に腫瘍が発見されその後クラブを退団することに。すると、それまで2番を付けていたダニ・アウヴェスが友人を想いこの番号に変更した。その際アビダルは「ダニ、心遣いをありがとう。君は単なる友人以上だ。このユニフォームを楽しんでほしい」とSNSに投稿している。

吉田 麻也(サウサンプトン)

日本代表の主将を務めるセンターバックはデビュー以来、クラブでは一度も22番を付けておらず、サウサンプトンでも3番を着用している。

しかしながら「中澤選手が代表を去ってから22番を引き継いで、背中を追いかけてきた」と語っている通り、日本代表では中澤佑二の後を継ぐ形で22番を付けていおり、自身のSNSのアカウントにもこの数字が含まれている。