まるで峡谷のよう? 「誰もいないスケートパーク」の無機質さゆえの魅力
スケートボードの写真を撮るといえば、宙を舞うスケーターが離れ技を決めているところを思い浮かべるかもしれない。しかし、アミル・ザキの写真では、スケーターの姿はどこにもない。
カリフォルニア州ボーモントでスケートボードとともに育ったザキは、何よりもこのスポーツ選手たちに尊敬の念を抱いている。しかし、地元のスケートパークにカメラを向けたとき、興味の先はプレイしている光景ではなく、スケートパークそのものに向かった。
「スケートボードを題材にした写真撮影はこれまでもありますが、どれもパフォーマーに焦点を合わせたものばかりです」と、ザキは説明する。「たくさんの写真家が取り組んでいて、とてもうまく撮影しています。でも、違うことをやりたかったのです」
誰もいないスケートパークを撮影するため、ザキは現場に夜明けごろにやって来た。満足のいく完璧な光だ。「スケーターは早起きじゃないからね」と、彼は笑う。
たいていはボウルの底で撮影している。撮影スポットが決まると、パノラマ写真用のGigaPanの自動三脚ヘッドに、デジタル一眼レフカメラを装着する。こうして高解像度の画像を何十枚と撮影して、あとでひとつにつなぎ合わせるのだ。出来上がった画像のサイズは数ギガバイトで、60×75インチ(約152cm×約191cm)サイズでディティールを損なうことなくプリントできる。
ひとつのアングルでスケートパークを撮影するとしたら、広角の魚眼レンズが必要になるだろう。ザキはそれが嫌いなのだ。
建築物ではなく「潜在的な要素をはらんだ空間」
完成した作品は風景写真を思わせる。無機質で何もないように見えるコンクリートの場所が、彼の写真では息を飲むような峡谷やカルデラ、高原や山の頂きへと姿を変える。ザキは、監視塔を題材としたシリーズの制作にこれまで打ち込んできた。一見ありふれたものに美を見出すのが彼の仕事のあり方だ。
その写真は、マイケル・ハイザーのようなランドアートの分野におけるパイオニアたちの作品を思わせる。ハイザーの記念碑的な存在に当たるプロジェクトに、ネヴァダ州の砂漠における「City」がある。ここでの作品は、見る角度によっては世界最大のスケートパークのようだ。
ザキは一連のスケートバークの写真を「Empty Vessels(空っぽの器)」と名づけている。東洋哲学への関心と、スケートパークを建造環境という枠から捉えようとする腐心の跡が透けて見える作品群だ。
「スケートパークは『反建築的』なものだと考えています」と、ザキは語る。「スケートパークは正確には建築物とは言えません。そこでこれから起きる活動によって全体が成り立つという意味で、いわば『潜在的な要素をはらんだ空間』といえます。カーヴ、ヒップといった要素はどれも、これから起きるアクションのために設計されているのです」
ザキによるスケートパークの写真集 「California Concrete」は、出版社のMERRELLから2019年9月に出版される。プロスケーターのトニー・ホークと建築家のピーター・ゼルナーによるエッセイを収録した1冊だ。これに併せて、個展がカリフォルニア州コスタメサのオレンジコースト・カレッジで開かれる。ザキの作品は、ロサンジェルスのEdward Cella GalleryやシアトルのJames Harris Galleryから購入できる。