これがアルティメット東武鉄道だ! 未成線・貨物線まで網羅、総距離650キロの「空想路線図」
群馬から東京湾岸まで、東武鉄道の野望がすべて実現していたら、こんな風になっていたずだ。
廃線・未成線も入れたフルマップシリーズ第2弾は、東武鉄道です!
— カオストレイン@路線図や鉄道動画 (@chaostrain) 2019年3月5日
全て現存していたら総延長は約655キロで、近鉄を上回り私鉄トップに。
需要があまり無さそうな路線も多々有りますが...
(※高崎?渋川を結ぶ計画だった渋川線は他路線とかなり重複するので割愛)#路線図 #東武 pic.twitter.com/xWwlBsjVFd
貨物線・未成線まですべて現役だったら......という究極の東武鉄道(カオストレイン(@chaostrain)さんのツイートより)
先日、名鉄の廃線をすべて現役路線につないで路線図で再現したカオストレインさんは、今度は関東の東武鉄道に挑んだ。現役路線・廃線・未成線を網羅した「完全形態」の路線図化を実現。総距離650キロを超える、北関東一円を支配せんばかりの幻のネットワークが視覚化された。
伊香保温泉から越中島まで
今でも東京・千葉・埼玉・栃木・群馬の1都4県に約460キロの路線を展開している関東最大の私鉄の東武鉄道であるが、まず廃線を復活させてみただけでもかなりにぎやかになる。栃木県には路面電車の日光軌道線とケーブルカーの日光鋼索線が走っていて、宇都宮周辺には大谷石の石材輸送から始まった大谷線があった。
墨田区の東武博物館に保存されている日光軌道線の電車(Rs1421さん撮影、Wikimedia Commonsより)
もっと凄いのは群馬側で、高崎・前橋から線路を伸ばして渋川で合流し、はるか伊香保温泉に至る総延長約45キロの伊香保軌道線・高崎軌道線・前橋軌道線の3線の路面電車が戦前から昭和30年代にかけて存在していた。
北関東エリアが網の目のように充実している。緑系のカラーの線が群馬の路面電車
さらに高崎線熊谷駅からの熊谷線もしっかり描かれている。こちらは戦時中に急ピッチで建設された非電化路線。小泉線と接続する計画もあったが結果的に孤立してしまったローカル線である。
これらの廃線たちは終戦直後には皆現役だったが、1950年代から徐々に廃止されていき、83年廃止の熊谷線を最後に消滅した。約半世紀前の路線であるので、もはや覚えている人も少なくなりつつある。
次に未成線を見てみると、東武鉄道の野望がうかがい知れる。まず大師線をさらに西に伸ばし、東上線上板橋駅につなぐ西板線が路線図の下方に見える。戦前に計画だけで頓挫し、大師前止まりになってしまった路線だが、実現していれば伊勢崎線(スカイツリーライン)と東上線の幹線同士ががっちりつながっていたわけで、東京北部の鉄道の様子も今とかなり違っていただろう。
2両編成の短い電車が行き来する大師線だが、西板線として完成していればどうなっていただろうか(Nyao148さん撮影、Wikimedia Commonsより)
その東上線(冒頭の路線図では正式な線名の東上本線)は記事トップの路線図をごらんいただくと現在の終点・寄居から高崎まで未成線が伸びている。
池袋からはるか75キロ離れた寄居駅からさらに先へ行こうとしていた(keyakiさん撮影、Flickrより)
そう、東上線はもともと群馬(上州)まで路線を伸ばす計画で、だから東上線と命名され、実際に渋川まで敷設の免許も降りていた。知識として知っていても、地図で見ると池袋から高崎まで東武線でつながるインパクトは大きい。群馬の路面電車と合わせるとJRの路線がいらないくらいの充実ぶりである。
なお実際は渋川まで路線免許が交付されていたが、高崎から先は高崎軌道線などとルートが重複するので路線図では省略したとのことである。
未成線区間ではルートや駅名に注目していただきたい。カオストレインさんは東武の社史や官報を参考に丹念にルートを推定し、当時の地図で人口の多い町に駅をプロットしていった。東上線もルートが近い八高線の駅と比べてみるとおもしろそうだ。
駅名も工夫が細かく、例えば「幻の東上線」は途中群馬県の藤岡市を通るが、日光線に既に藤岡駅があり、同じ藤岡市内には八高線に群馬藤岡駅があった。よって重複を避けて「東武群馬藤岡駅」と命名した。実在の駅・施設と重複しない工夫が凝らされている。
他にも東京都内から北関東まで支線的存在の短い貨物線なども網羅したが、ここまでくると資料も少ないので「記録に残っていない線もあるかもしれません」とのことだ。
このようにして丹念に歴史をたどっていき、北は伊香保温泉から南は越中島まで、東武鉄道のアルティメットな路線を作ることに成功した。
明治時代に越中島まで線路を敷くことを計画していたという東武。越中島駅も東武のものだったかもしれない(LERKさん撮影、Wikimedia Commonsより)
ちなみにこの中で、カオストレインさんが最もカオスだと思うのは大谷線・会沢線・大利根砂利線の3線だという。
ちなみに東武の貨物線はいずれも現存しませんが、個人的なカオスポイントは下記の三つです。
— カオストレイン@路線図や鉄道動画 (@chaostrain) 2019年3月6日
・宇都宮を走っていた、複雑すぎる大谷線(軽便線・軌道線)
・葛生の先に在った、会沢線の「第一会沢」「第二会沢」「第三会沢」
・誰も詳細を知らない、謎に包まれた大利根砂利線 pic.twitter.com/2QGzjIkQA9
カオストレインさん曰く、大谷線は路線が網の目のように複雑に分岐していて、どこが貨物線でどこが旅客線かもあいまいで、停留所の数や位置も正確な記録が残っていない。ある意味適当でフレキシブルな運行だったのではないかと推測している。栃木県の葛生駅から伸びていた会沢線は貨物線で、途中の駅名を機械的に第一会沢・第二会沢・第三会沢と命名していたところが興味を引いたそうだ。
ローカルな今の葛生駅だが、昭和40年代まではここから先にさらに貨物線が伸びて列車でにぎわっていた(LERKさん撮影、Wikimedia Commonsより)
大利根砂利線にいたっては文献にも地図にもほとんど記録がなく、埼玉県の羽生駅から利根川の砂利採取のために利根川べりまで伸びていたことくらいしかわかっていないとのこと。現地にも痕跡はほとんど残っていないというミステリアスな存在になっており、ここまでくるともう半分考古学のような世界である。
東武鉄道は1897年創業の老舗であるがこれらすべてを建設・計画したわけではなく、東上線は東上鉄道、群馬の路面電車は東京電灯など、別会社が建設したものも多い、それらの合併を繰り返して現在の東武の広大なネットワークになった。今でも福島県・神奈川県にまで直通列車を走らせている東武鉄道だが、冒頭の路線図の前にはそれすらもかすんでしまう。
現在の東武の路線図。関東最大規模のはずだがさきほどの路線図を見てしまうと物足りない(公式サイトより引用)
幻の路線図で壮大な歴史を知った後だと、東武の電車を見る目が変わってくるかもしれない。
高崎・渋川まで伸びていれば、東上線にもスペーシアのような特急が走った可能性を考えたくなる(Faww05さん撮影、Wikimedia Commonsより)
Jタウンネット編集部・大宮 高史