安田純平さんの帰国で巻き起こった日本の「自己責任論」の幼稚さ
先日、40ヶ月にわたるシリアでの監禁生活を経て解放されたジャーナリストの安田純平さんの会見は、シリアの武装組織の一端が垣間見え、世の中に衝撃を与えました。こうしたジャーナリストの拉致・監禁事件などが起こるたびに繰り返される、日本の自己責任論を「幼稚」と断じるのは、メルマガ『NEWSを疑え!』の著者で軍事アナリストの小川和久さん。今回のメルマガの中で小川さんは、日本では語られないジャーナリストの取材活動と国家の関係を明らかにしています。
日本の「自己責任論」は幼稚
安田純平さんの帰国と記者会見を受けて、またぞろ自己責任論が吹き出しています。
これまで同様のケースが起きるたびに同じ議論が繰り返されているのですが、私は違和感を覚えますし、日本の国家的・社会的に未熟な部分が浮き彫りになっている印象さえあります。
勝手に危険な地域の取材に入って、それも自分の不注意から拉致・監禁されたのだから、自業自得だという批判がまずあります。そして、挙げ句の果ては日本政府が出したのかカタール政府が出したのか判らないが、身代金を払うことになったのだから、叩かれて当然だろうというわけです。
ここで整理が必要なのは、「あれか」「これか」、つまり安田さんの行動は是か非かという二者択一で語ってよいのかという点です。
まず、個人としてのジャーナリストは自らの責任でできる限りの安全策を講じなければなりません。新聞記者など企業ジャーナリストの場合も同じです。これは自己責任の範疇です。
しかし、どんなに周到に情報収集と対策を講じても失敗することはあります。そのとき、自己責任だから、自業自得なのだから放っておけという風に考えないのが、先進民主主義国の基本的な姿勢です。
どんなに反体制的な言辞を弄しているジャーナリストであっても、自国民である限り、最大限の努力を傾注して保護するというのが先進民主主義国です。
国家が期待するジャーナリストの重要な役割
日本も間違いなく先進民主主義国であることは、国民と自衛隊の関係を見るとわかると思います。「自衛隊反対」と罵声を浴びせかけるような人々をも含む日本国民を、自衛隊は戦争、災害、テロなどから守っているのです。基本的人権という基本原理が謳われている憲法前文に照らしても、国民を選別することはありません。パスポートに日本国民の保護を求める旨が記されているのも、同じ考え方です。
それはきれい事だ、という声が聞こえてきそうですが、よく考えて欲しい。
テレビのコメンテーターなどが、ホワイトハウスのシチュエーションルームの様子を映した映像を見て、「テレビを見ながら情報収集している」と馬鹿にしたようなコメントをすることがありますが、これはジャーナリズムと国家の関係を理解していない結果のたわ言なのです。
どんな思想的な立場であれ、ジャーナリストは情報機関などが入り込めない場所に肉迫できるという強みがあるのです。そして、ジャーナリストが取材したものだけでなく、ジャーナリストに対する相手の扱いも含めて、それは重要な情報なのです。だから、世界最大規模のインテリジェンス・コミュニティを持つ米国でも、シチュエーションルームでテレビのニュースをモニターしているのです。
そういうことを考えると、ジャーナリストの取材活動と国家の関係について、違う見方ができるようになるはずです。
日本の自己責任論は、そろそろ大人に脱皮しなければならない時期だと思います。(小川和久)
image by: MAG2 NEWS
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