なぜ「忍者」はアメリカ人にここまで愛されるようになったのか?
世界的に人気のある日本文化の一つに「忍者(NINJA)」があります。中でもアメリカ人の忍者好きは有名ですが、Voxが「なぜ忍者はここまで一大事になったのか?」というルーツについて考察したムービー「How ninjas went mainstream」を公開しています。
How ninjas went mainstream - YouTube
「なぜ忍者はこれほどまでに一大事になったのか?」
1981年に公開された映画「燃えよNINJA」のワンシーンである、忍者が生身で滝に飛び込む場面はアメリカ人が忍者好きになったルーツの一つです。
「筋肉番付」のアメリカ版は「忍者 WARRIOR」として登場し……
LinkdInにはニックネームに「ninja」を入れる人は6万人以上いるなど、アメリカ人の忍者愛は相当なレベルです。
西洋人、中でもアメリカ人にとって、日本の伝統的なキャラクターである「忍者」は愛すべき存在です。
しかし、日本では、「極秘で諜報活動を行い、戦士であり暗殺者でもあるクールな存在」の忍者ですが、文化圏によって独特の位置づけを持っています。では、忍者はどのようにして欧米で受け入れられるようになったのでしょうか?
中世のペルシャに語源を持つ「ASSASSIN(暗殺者)」というフレーズは、アメリカではそれほど頻繁には耳にしません。
しかし「忍者」の場合、「ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズ」ですっかりおなじみです。
「Shadow Dancer」は忍者が登場するゲームですが、登場する忍者は日本の伝統的な忍者を正確に表現するものではありません。
大雑把に言えば、忍者は伝統的な「忍術」を使う特殊な任務を持つスパイであり暗殺集団で、1400年代から1800年代にかけて日本に存在していました。
忍者は専用の道具を使うのが大きな特徴。
脚に装着するこの道具は、水の上を歩くために使われました。
しかし、忍者は必ず「黒い忍び装束」(アメリカでいうジャンプスーツ)を身に着けていたわけではなく、一般大衆に紛れるようにして活動していました。
ジャンプスーツは舞台からやってきたイメージかもしれません。
これは歌舞伎の絵ですが、黄色の丸で囲まれた中にジャンプスーツ姿の忍者が見えます。
実は忍者ではなく、観客からは見えないという(忍術のように幻想的な)約束事のもと舞台に現れる黒衣(くろご)です。
日本の伝統的なマンガにも魔術(忍術)を使うジャンプスーツの忍者が登場します。
忍術を使う忍者のイメージは20世紀の日本の文化にも引き継がれており、小説にもよく登場します。このように、忍者は特別な力を持ち、時には人の目に見えず、時にはジャンプスーツを着るという存在として描かれてきました。
しかし、これらの伝統的な忍者のイメージは、日本映画が欧米に進出することで変わり始めました。日本映画が世界に出るきっかけとなったのは、黒澤明の「七人の侍」。1950年代、60年代の日本の映画黄金期の象徴的な存在の作品です。
七人の侍は、アメリカでも「荒野の七人」としてリメイクされるほど大きな影響を与えました。
その後、シリーズ化された「忍びの者」は、忍者が忍術を使うという神話的なイメージが変わり始める作品になりました。
忍びの者では魔術の要素は排除されたことが特徴です。
さらに、忍者は欧米の映画の世界にも登場していきます。これは「007は二度死ぬ」のシーン。
「NINJAのトレーニングスクール」なるものが登場。
空手や柔道のような道着を着た、新しい忍者が過酷な訓練を積む者として登場します。
当時の日本映画の忍者と違って、機関銃を手に取る忍者が描かれています。
そして、1980年代のアメリカで忍者ブームを巻き起こしたのが「Enter The Ninja(燃えよNINJA)」
「忍者スター」のショー・コスギは、暴力的な忍者を演じました。
この忍者ブームは、20週にもわたってニューヨーク・タイムズ・のベストセラーになった「The NINJA」という本によって加速されました。
忍者を題材にした多数の本や……
ゲームが1980年代、1990年代に生まれました。
そして、ティーンエイジ・ミュータント・ニンジャ・タートルズのころになると、忍者は子どもたちにも人気のキャラクターに。
アメリカ文化は忍者を「NINJA」として独自に解釈することを楽しみ始めました。
そして仕上げは「求人」
文章を書く人を「Writing Ninja」というように、人材を「NINJA」と表現することが広まりました。
アメリカのNINJAは、日本の伝統的な忍者のように闘いが多くないのは事実です。
しかし、忍者は姿形を変えて、日常生活のいたるところに忍び込むようになったのは、アメリカも日本も同じようです。