パール・ジャムがシアトルで開催する大規模展示会の全貌:盟友バンドマンに捧げた企画展

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エディ・ヴェダー手書きの歌詞やアルバム『Ten』のジャケットで使われた文字、シアトルのロック・パイオニアのブロンズ像などが展示されたバンドの回顧展「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」がシアトルで開催されている。同バンドのベーシスト、ジェフ・アメンが発起人となった展示会の全貌を、盟友とのエピソードと共に紹介する。

5年前、パール・ジャムのベーシスト、ジェフ・アメンは当時はまだ恋人だったパンドラと一緒に、アメンのバンドメイトだったアンドリュー・ウッドの墓参りをした。ウッドはグランジのパイオニア・バンドの一つだったマザー・ラヴ・ホーンのリードシンガーで、1990年に薬物の過剰摂取で24歳の若さで他界した。これによって同バンドのアメンとギタリストのストーン・ゴッサードはバンドの再編成を余儀なくされ、そうして組んだバンドがのちにパール・ジャムへと発展する。アメンはウッドの大きくて力強い性格と、シアトル・ロックの礎を築くために果たした役割を決して忘れなかったのである。

しかし、ウッドの墓を見てアメンはがっかりした。「俺は思わず『なんてことだ、もっと立派な墓じゃなきゃダメだよ』って思ったね」と言ったあと、アメンは墓石のウッドの名前が刻まれている下にあった星型の飾りを誰かが穿り出したせいで、その部分に穴が空いていることまで教えてくれた。そして「そんな感じだったから、帰り道、俺たちはずっと『俺の知り合いで彫像を作るべき人間はヤツだ』と何度も話したよ。ヤツも自分の彫像を絶対に気に入るはずだから」と語った。

ウッドの銅像が、シアトルのミュージアム・オブ・ポップ・カルチャー(MoPOP)で開催される展覧会「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」で展示される。アメンは2.4メートル近いモニュメントをマーク・ウォーカーに発注した。ウォーカーはシアトルのプラット・ファイン・アート・センターでかつてパンドラに教えていたブロンズ像の講師だ。アメンは地元のクラブ、メトロポリスでウッドのパフォーマンスを見たときの思い出をウォーカーに語った。このメトロポリスはグランジ生誕地として知られている。「それを聞いた彼は『僕たちはオリンパス山の麓にいるんだよ、みんな!』って言ったんだ(※ギリシャ神話の神々が住んでいたオリュンポス山の英語名はワシントン州のオリンパス山と同じで、メトロポリスは古代ギリシャの植民地)。そして、この像のコンセプトを決めていく途中で、『熱帯雨林から彼が生まれ出てくる姿にしよう』となったんだ。苔、ヒトデ、潮溜まりなどが全部入っている」と。


アンドリュー・ウッドの銅像

ウォーカーは、自分自身をウッドの写真で囲うようにして、実際に森の中に入って、木の幹の土台からウッドの姿が出現し、両腕が伸びている彫像を製作した。ウォーカーは小さなモデルから作り始め、それを360度カメラで撮影し、巨大化し、発泡体に印刷し、ブロンズで鋳像したのだった。そして、重さ約5.9トンのブロンズ像が完成したのである。この製作にかかったコストは「たくさん」とアメンが笑って答えた。しかし、やる価値があったと言う。「彼という人間がいなかったら、俺だけじゃなくて、シアトルの音楽シーン全体が今とはまったく違うものになっていたと思うからね」と。

「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」は米国現地時間8月11日にオープンし、2019年の年始まで公開される。この展覧会のオープニングは、パール・ジャムの5年ぶりのホームタウン公演ザ・ホーム・ショーズの直後となる。ザ・ホーム・ショーズと銘打った一連のコンサートは、シアトル市内のホームレス問題を救済するために寄付金をすでに115万ドル(約12億7500万円)集めている。

MoPOPのキュレーター、ジェイコブ・マクマレイとパール・ジャム活動家兼ビデオグラファーのケヴィン・シャスが協力して、200以上のアイテムが展示されるこの展覧会を実現した。シャスはパール・ジャムの友人でありビデオグラファーだった時代に収集した約30年分のアーチファクトを引っ張り出してきたのである。エディ・ヴェダーの大理石柄のノートとタイプライター、歌詞が手書きしてある紙、ステージとビデオで使用した小道具、ライブのチラシ等など。バンドのリハーサル室を再現した空間があり、ファーストアルバム『Ten』のそびえ立つ文字も展示されている(ここはファンにとって最高の撮影スポットとなるだろう)。シャスがバンドと仕事を始めた28年前、これらのアイテムがミュージアムで公開されるなど夢物語以外の何物でもなかった。「展示物一つ一つがその当時の情景を思い起こさせる」とシャス。「中には金額的に他のものよりも価値の高いものもあるけど、どこかで配布された小さなチラシでも、そういうものに負けないくらいの価値があるね」。

アメンにとって、今回のホームタウン公演は、1992年にシアトルのマグナスン・パークで行った伝説のドロップ・イン・ザ・パーク公演の拡大版という立ち位置だ。ドロップ・イン・ザ・パーク公演はチケットが配布された無料のライブだった。当時、パール・ジャムはシアトルで15公演をすでに終わらせていて、そのお返しに何かしたいと考えたのである。「当時の俺たちのお返しは無料ライブを行うことだった。今のお返しはシアトルからホームレスがいなくなるように協力することさ」とアメン。「年を経て俺たちのアイデアが大きくなったし、これがこのバンドの素晴らしいところの一つなんだよ。俺たちは何でもできるって思うタイプなのさ」。

のべ10万人のファンが来場すると目されている展覧会のあと、アメンは展示したウッドのブロンズ像の終の棲家を見つけなくてはいけない。アメンは展望台の床をすべてガラスにする補修工事が終わったばかりのスペース・ニードルがランドマークのシアトル・センターのスタッフと話し合っている最中だと言う。「このブロンズ像を設置できるスペースがどこかにあるか探している最中だ」とアメン。「俺はもともと、アイツが育ったベインブリッジアイランドの森の中に置くので大満足だったけどね」と。


パール・ジャムのメンバーがライブ中に壊した楽器。

これはウッドの母親トニーにとっても嬉しいことのようだ。彼女は展覧会場でブロンズ像を初めて見て「今日、あとで泣いてしまうと思います」と話したという。今でもベインブリッジアイランド在住の彼女は、パール・ジャムのメンバーたちが3年前に寄贈したトレーラーハウスに住んでいる。彼女はブロンズ像を「あの島に置くべきです」と言う。それもベインブリッジの「タウン&カントリー」というスーパーマーケットの横に。「いつも彼を迎えに行くのがそこでした。『母さん、車で迎えに来てくれる?』と言って、あのスーパーの前で待っていたんです。当時の彼は本当に可愛らしかった」と、トニー。

数日前のことらしい。トニーの知り合いが着古されたマザー・ラヴ・ホーンのTシャツとアンドリューを描いた絵をトニーにくれたと言う。「その絵の息子を見た途端、心が痛み始めて『ああ、あなたがまだ生きていてくれたら。あなたに会いたい』と言ってしまいました」。

「そしたら、彼があそこにいたのです」と、トニーが続けた。「アンドリューは絶対にあのブロンズ像を気に入るはずだし、ありがたく思うはずです。今、天国は大騒ぎだと思いますよ。アンドリューが『ジミ、俺にも像ができたぞ!』って触れ回っているに違いありません」。

「パール・ジャム:ホーム・アンド・アウェイ」の展示写真はこちら(写真11枚あり)