え!浦島太郎って創作じゃないの?浦島太郎が玉手箱を開けた場所が実在した?
日本の昔話として有名な「浦島太郎」。
たまたま旅先を調べていたら「浦島太郎が玉手箱をあけた場所」があってびっくり。浦島太郎って創作じゃないの?
寝覚めの床
長野県の中山道。妻籠宿や馬籠宿を擁する、江戸時代の名残を留めた宿場町が連なる観光地があります。その一つ、「上松」という駅からほど近いところに「寝覚めの床(ねざめのとこ)」という場所があります。
木曽川沿いに巨大な奇岩が並ぶ景勝地で、その岩はまるで石切場から切り出して運んできたかのような不思議な光景。なんとここに浦島太郎が玉手箱を開けたという伝説があるんですね。
伝説によると、浦島太郎は竜宮城から玉手箱と弁財天像と万宝神書をもらって帰ってきましたが、諸国を遍歴中に木曽にたどりつき、そのまま住み着いてしまったそうです。
しばらくは日がな釣りを楽しんだり、霊薬を売るなどして暮らしていましたが、あるとき訪ねてきた者と竜宮の話をしている際に、この奇岩の上でうっかり玉手箱を開けてしまったそうな。300歳の老人と化してしまった浦島は、天慶元年(938年)、この地から姿を消したといいます。
寝覚めの床を見下ろす臨川寺には、浦島太郎が使っていたという釣竿が所蔵されており、寝覚めの床中央には浦島堂が建っています。
浦島太郎は、帰ってすぐに玉手箱を開けたわけではなかったんですね。霊薬を売って生計を立てていたというのも、なんだか怪しい(笑)。これぞ竜宮の妙薬などと宣伝していたのでしょうか。
そもそも彼の故郷ってどこでしたっけ?
お御伽噺「浦島太郎一代記」(国立国会図書館より)
浦島太郎の出身地は?
室町時代に成立した『御伽草子』が、物語としての浦島太郎の型になったといわれています。そこには「昔丹後の國に浦島といふもの侍りしに、其の子に浦島太郎と申して、年のよはひ二十四五の男ありけり」とあります。
丹後の国は山陰道と呼ばれる、現在の京都府北部から兵庫県、鳥取県、島根県にあたる場所。
更に古い文献では、8世紀に成立した『丹後国風土記』『日本書紀』、そして『万葉集』にも登場します。中でも一番詳しい『丹後国風土記』によると、浦島にあたる筒川嶼子(つつかわのしまこ)は開化天皇の先祖だとされています。
西暦456年頃の時代、見目麗しい青年だった嶼子の前に大きな亀が現れます。その亀は美女に変身し、彼を蓬莱の海上の島に連れて行きます。その後の展開は概ね同じですが、玉手箱を開けると煙ではなく「何か美しいものが空へ飛んでいった」、という表記が一般的な物語と違うところです。
ただの漁師だと思っていたら、浦島太郎は掘れば掘るほど驚きの伝説を持つ人物でした。
浦島伝説は神奈川県横浜市や香川県三豊市にもあり、各々がそれなりの説得力を持った伝承が残されています。しかし文献が古いことから、丹後国出身の誰かがモデルだったと考えるのが自然ですね。
しかし木曽の浦島伝説。老人と化した後、彼は一体どこへ消えたのでしょうか…なんだかミステリアスですね。