<京都連続殺人>認知症の被告「私、アホやから」忘却は罪か免罪符か、いよいよ判決へ
二転三転する供述
「稀に見る凶悪、重大な事件。極刑を回避すべき事情はない」(10月10日の求刑)
京都、大阪、兵庫で遺産などを目的に夫や交際相手ら3人を毒殺、1人を殺そうとしたとして殺人罪などに問われた筧千佐子被告(70)の裁判員裁判(京都地裁、中川綾子裁判長)は10月11日に結審し、11月7日の判決を待つばかりとなった。
検察が死刑を求刑しても筧被告の表情は変わらず、耳が遠くなりヘッドホンをかけた筧被告はよく机に肘をついて人の話を聞いていた。
10月11日の最終弁論では、主任の辻孝司弁護人ら3弁護士が「(被害者の)死因は病気、自殺、事故などほかの可能性もある。毒を飲ませたという証拠はない」「認知症で犯行時の刑事責任能力も訴訟能力もない」などと主張。ほかに弁護のしようがないと考えたのか「死刑違憲論」まで引っ張り出して熱弁した。
約3か月半にわたる公判で、筧被告は証言を二転三転させて弁護団や裁判員を困らせた。
被告人質問の中で、
「私、複数殺めてますから」
と、犯行を認めたかと思えば、別の日には、
「殺してない」
「殺してもメリットはない」
などと証言を変えた。
弁護団からすれば裁判当初から誤算続きだったろう。
事前打ち合わせで検事や裁判官の質問には黙秘するはずが、
「私が殺めた。前の女性にはたくさんお金をあげていたのに私にはくれない。ベッピンと差別され憎かった」(筧勇夫さん事件の審理で)
と、すらすら動機まで述べた。
不可解な証言の反面、饒舌なときも
筧被告が昨年受けた精神鑑定では軽度の認知症が指摘されたものの、刑事責任能力と訴訟能力には問題ないとする判定が出ている。
しかし、逮捕から約3年、拘禁生活が続いた影響だろうか。認知症は公判中も進行しているようにみえた。
まず、時系列がメチャクチャだった。逮捕よりずっと前の事件を審理しているとき、
「すぐ逮捕されたからわかりません」
と、事実関係を間違え、中川裁判長から、「逮捕されたのはそのときではないのでは」と諭された。
ある日の公判では、お昼休みを挟んで午後の再開時、弁護人が「午前中に何をしたか覚えていますか」と聞いたところ答えられなかった。
さらに弁護人が、
「お昼は何を食べましたか」
と質問すると、
「記憶に残るようなもの食べてません」
と言い放った。
不可解な証言の反面、常に饒舌だった。以下は検事との印象的なやりとりだ。
─結婚相談所で(日置稔さんと)お見合いしたときから殺そうと思ってたの?
「私、そんな恐ろしい女に見えますか!?(怒った口調で)」
─罪を犯さないためにはどうしたらいいか。
「教えてください。わからない」
─被害者やご遺族への思いは。
「1日も早く(私を)死刑にしてください。それだけです」
─慰謝料を払うか。
「(食ってかかるように)年金生活で払えますか。また人を殺せというのですか」
─本田(正徳)さんと知り合ったきっかけは。
「覚えてません。先生は昔の彼女のこと覚えてますか?」
─結婚相談所で知り合ったのではないか。
「わかってるんやったら、なんで聞くの」
まるで人を食ったような返答だった。
起訴状によると、筧被告は2007年から'13年の6年間で殺害したパートナー3人の遺産や死亡保険金など約4000万円を手にした。ほかに知人男性から預かっていた約4000万円を返さずにすんでいる。4人とも筧被告と接触した直後に倒れたとされる。
筧被告は公判で毒物の入手経路を明かし、健康食品のカプセルに入れて飲ませたとする犯行手口まで語った。しかし、事件発覚が遅れたため物的証拠は乏しく、検察側は状況証拠を積み上げた。
女性裁判員に見せた女のプライド
筧被告は福岡・北九州市の進学校在学中、担任教師から国立の九州大学への進学をすすめられた秀才だった。しかし、父親から「女が大学なんかに行くな」と言われたため高卒で銀行に就職した。
公判では、
「私も昔は賢かったけど、今はアホになってる」
と悲しい発言も飛び出した。
どこまで病状を認識しているのか、時折、「私アホやから」と繰り返した。
裁判官の心証をよくしようとする姿勢はゼロだ。中川裁判長が捜査段階の供述書の署名を確認しようとすると、
「私しかありません。聞くだけ野暮です」
と神経を逆撫でした。
検事、弁護人、裁判官、裁判員問わず「愚問です」と言い放ち「知ってるのになんで聞くのか」とたたみかけた。
女性裁判員に対しては妙なプライドを覗かせた。
ある女性裁判員が「反省は?」と聞くと、
「あなたのような若い人に言われたくない。失礼です」
別の女性裁判員が「遺族に申し訳ないと伝えようとは思わなかったか」と聞くと、
「少女ドラマじゃありませんよ。失礼です」
と語気を強めた。
やりきれないのは被害者遺族だ。公判終盤、遺族らの意見陳述があった。筧勇夫さんの兄は「事件の日に駆けつけたら家におせち料理があった。正月を楽しみにしていただろう。どんな思いで死んでいったのか。最高の刑を」と述べた。
妹は「兄は信じ切っていた。それを虫けらのように殺すなんて許せない」と極刑を求め、筧千佐子被告の呼称についてマスコミに「筧という名を使わないでほしい」と訴えた。ほかの被害者遺族は出廷せず意見陳述が代読された。
筧被告は公判で、認知症を象徴するように同じ話を繰り返した。会社員時代、上司から何でもメモを取れと教わったこと。娘から「お母さん物忘れが激しい」と言われ国立病院に行くと、保険がきかず、びっくりするほどお金をとられたこと。
このふたつのエピソードを壊れたテープレコーダーのごとく繰り返し、裁判長から「そのへんにしときましょうね」となだめられた。
辻弁護士は裁判員に「法廷で見聞きしたことだけで判断してほしい」と訴えた。
忘却は罪か免罪符か。難しい裁判になった。