見落とされて実刑、明らかな犯罪でも無罪……年々増加する “認知症犯罪” の現状
万引き逮捕が無罪に
大阪市内の商店街で大根の漬物2袋(500円相当)を万引きした男性(72)を家族は「盗み癖がある」と責めていたという。以前にも3度、万引きで捕まり、有罪判決を受けていたからだ。
衝動を制御できず万引きを繰り返す、クレプトマニア=窃盗症という精神疾患がある。男性もそう目されていた。
「当初はクレプトマニアの弁護を専門に扱っていました」
そう話すのは、窃盗の弁護を多数扱う鳳法律事務所の林大悟弁護士。ここ4年ほどで認知症を患う人の弁護をすることが増加したと話す。
「ご家族の方もクレプトマニアかもしれないと相談に来られるのですが、年齢や状況を聞いて、脳の検査をしてみてくださいとすすめます」
その結果、かなりの確率で明らかになるのが、前頭側頭型認知症(fronto temporal dementia、以下FTD)だ。
冒頭の男性は、2015年12月に万引きで逮捕された際、執行猶予中だった。収監が避けられない中、裁判官が精神鑑定を促し、認知症の症状であることが判明。心神喪失の疑いがあるとして今年3月、無罪判決が言い渡された。
よく病名が知られた「アルツハイマー」に「レビー小体」「脳血管性」「FTD」を加え“4大認知症”と呼ばれている。発症数もこの順番に多いが、FTDは他の認知症と違い、指定難病にも認定されている。
認知症の専門医である東京医科歯科大学の朝田隆特任教授が説明する。
「アルツハイマー型やレビー小体型のように、記憶の障害はそう目立たないが、引きこもったり、社会常識を守らなくなったりするなど人間性が変化することが大きな特徴です。発症も、40代から60代と若年性に非常に多く、病状もゆっくりと進行します」
近年ではあまり使われないが、かつてはピック病とも呼ばれていた。そして朝田特任教授が、こんな事案を明かす。
「一部上場企業の常務が、ペンチを持って文房具店に行き、鎖を切ってペンを盗んだことがありました。まじめな方で、生活に困っているわけでもない。しかも悪いことをしているとわかっているわけです。これは病的ですよね」
前出・林弁護士も、
「いい大人が欲しいから盗んだといったら、おかしいと疑わなければならない」
というFTD。朝田特任教授は“自制心の病”と話す。
「脳の前方に病変が目立つ。目と前頭葉が接している“眼窩面”という部位は、自制心をつかさどる部位なのですが、ここが破壊されることで、このようなことが起こると考えられます」
3人が死亡した放火事件では
昨年10月、愛媛県松山市の女性被告(当時66)の万引き裁判でもFTDの影響が認められた。'09年2月、神奈川県茅ケ崎市の市職員の男性(当時59)が万引きで逮捕されたとして懲戒免職処分となった(不起訴処分)。だが、FTDの影響があったことが認められ処分が撤回された。
ところが事件は、万引きだけにとどまらない。
'04年12月、埼玉県さいたま市で起きたディスカウントショップ『ドン・キホーテ』の放火事件。店員3人が死亡し、8人が負傷した。
当時47歳だった女性被告は二審の東京高裁で、精神鑑定で脳の萎縮が認められ、FTDの可能性が疑われた。
しかし東京高裁は、70〜80代の高齢者と同程度の判断能力はあったとし、一審判決同様の無期懲役を言い渡した。'08年11月、最高裁は被告の上告を棄却。無期懲役が確定した。前出・林弁護士は、
「3人が亡くなっているので、量刑については難しい事案です。死刑であってもおかしくないことを考えると、無期懲役という部分で考慮されたのかもしれません」
認知症の診断は脳画像検査などで行うが、
「脳画像は、病気の存在と病気の程度を知らせるものです。それを踏まえ、犯行時の動き、動機、捕まった時の様子、普段の生活などを総合的に判断して、責任能力の有無は判断されるものです」(林弁護士)
万引き以外の犯罪にFTDが疑われるケースについても、
「FTDは衝動を制御する機能が低下することもそうですが、倫理観や道徳観なども初期の段階で低下するとされています。人によってさまざまですがFTDはこだわりや執着なども強く出る。窃盗以外の犯罪に結びつくことも十分に考えられます」(林弁護士)
'14年、元タクシー運転手(当時72)が、同じ病院に入院していた女性(当時82)の首を絞め、殺害した事件。
裁判官は、男性のFTDを認め、攻撃的な性格が先鋭化され、衝動的な行動を抑えることが非常に困難だったと判断し、懲役3年、執行猶予5年の判決を下したが、
「誰も気づかずに、有罪にされたケースもあるはずです」
と、林弁護士は司法の見逃しについて説明する。
65歳以上の受刑者で認知症は約1100人
「万引きのような軽微な犯罪は、大量に案件があり、検察官はひとつの事件に深く関わっていく余裕がない。そのため量刑相場の中で、事務的に進めていく。この構造が変わらなければ、認知症が原因で犯罪行為をしても見逃されてしまう。病気の人に矯正教育をしても無意味です。司法も変わっていく必要がある」
と、厳しい注文をつける。
'15年、法務省が実施した調査によれば、65歳以上の受刑者で認知症の傾向が認められたのは全国に約1100人と推計される。収監後に認知症になったのか、犯罪時から認知症を患っていたのかは不明だが、刑務所内にも高齢化が進む日本で、今後この数は増加の一途をたどると見られる。
医療現場でも「初期の段階では異常がまったくなく、判別がつかないこともある」(林弁護士)というFTD。他の認知症でも、犯罪に結びつくケースも出ている。
'16年2月、当時70歳の夫が68歳の妻に暴行し、その後、妻が死亡する事件で、夫は、5年前からアルツハイマー症の進行を遅らせる薬を服用していたという。抗認知症薬を服用した結果、副作用として暴行や暴言など攻撃性が高まることがある。
前出・朝田特任教授は、
「確かに事件を起こすのはFTDの人だけではない。結局のところ、脳の機能が全体的に落ち、律する心が弱くなり犯罪に至ってしまったということだと考えられます。だが、薬が原因で殺人につながるというのは別問題。薬が原因だというのは、違和感がある。
今後、増加していく認知症について、家族だけでなく、社会全体で見守る仕組みづくりをすることが大切です」
と社会的な解決を促す。
前出・林弁護士は、
「高速道路の逆走やブレーキの踏み間違えなどが社会問題となっていますが、私のところに来るクライアントでは、FTDの方は事故歴が非常に多い傾向がある。ご自身でもご家族でも、おかしいなと思ったら専門医で検査してほしいですね。何も異常がなければ安心ですから」
老老介護や老後破産など新たな社会問題に直面する超高齢化社会ニッポン。脳の疾患が犯罪を誘発する時代が本格的に到来すると社会はさらに頭を抱えることになる。