4月28日、広島戦の初回、横浜DeNAベイスターズ梶谷隆幸はライトスタンドの最上段に、その時点でセ・リーグ最多となる5本目の本塁打を放った。

「もうあとちょっとで筒香に抜かれますんで。そこは僕の仕事じゃないので、ゴウに任せます」

 お立ち台での梶谷の姿からは、チームの主力としての貫禄すら漂うようになった。


大人になった梶谷隆幸がベイスターズを引っ張る 今シーズン、梶谷の雰囲気が違うと感じる。

 開幕から2番、現在は3番に入り、打率こそやや物足りないが好調を維持。本来の調子ではなかった筒香嘉智の分までホセ・ロペスと共に打線を引っ張っているが、今季の”違い”は調子の良し悪しという類(たぐい)のものではない。

 感覚的な説明でしかないのが申し訳ないのだが、今シーズンの梶谷は実に楽しそうに野球をするのだ。その変化は沖縄キャンプから見て取れた。梶谷の熱烈なファンに練習中の写真を見せてもらったのだが、そこに映る梶谷の表情は、打球を追い掛けているときですら微笑みがこぼれている。どちらかといえば黙々と野球をやる印象があった梶谷に何があったのか。その心の内を聞いてみたくなった。

「自分では何も変わってないと思うんですけどね。ただ、周りからは顔つきが変わったねとか、言うことが大人になったなんてことをちょくちょく言われます。まぁ、年を取ったってことですかね。体の方も昔はぶっ通しで12時間ぐらい寝れていたのが2〜3回は目が覚めますし(笑)。精神的な面でも……まぁ、なかなか人には経験できない、いろんな経験をさせてもらいましたからね。変わってきたものはあると思いますよ」

 昨年、CSに初めて出場した横浜DeNAベイスターズ。その中心には豪打をふるう4番・筒香の姿と、攻走守にわたり存在感を発揮する梶谷の姿があった。

 2012年──。「梶・筒」の2枚看板はベイスターズの希望だった。余りある才能を持ちながら、あと一歩突き抜けることができなかった2人。5年の月日を経て、筒香は今やチームだけでなく、日本一の4番打者に成長した。一方の梶谷は低迷する時期もあったが、2013年8月に突如として覚醒。来る球すべてライトスタンドに放り込むような鬼神の如き打撃は、シーズン終了までの51試合で打率360、16本塁打を記録し、小久保裕紀監督初陣の日本代表にも選出されて、一躍ベイスターズの主力となった。

 しかし、その年以降、梶谷は「トリプルスリーに最も近い男」と言われながら殻を破り切れず、好調時は手のつけられない状態になるものの、1年トータルでの結果を見れば、思い描いたような姿にはなれていない。

「そうですね。期待をしてもらいながら、ここ数年、終わってみれば毎年2割7分、15本ぐらいの同じような成績しか残せていない。一時は2013年の好調時の姿を追い求めていた時期もありましたけど、今はもう『あれは別人だった』と割り切れてはいるんです。だけど、なんというんでしょうね……このままでは、終わりたくないんです。ゴウはすごい選手になりました。彼はスーパースターですよ。人間的にも素晴らしいですしね。

 一方で野球人としてやっぱり悔しいという気持ちはあるし、彼に追いつきたいという思いも強く持っています。だからアドバイスももらうし、年齢とかプライドとか関係ないですよ。良いものは得たいんです。僕は何かを変えなきゃいけない。20代最後になる今年、ひと皮剥けないと、後ろにいい選手がいっぱい控えているじゃないですか。30歳を過ぎてからも主力で活躍できる選手になるのか。それともこのまま消えていくのか。僕にとって今年は境目の年になるのだろうなと思っています」

 2012年に就任した中畑清前監督は、まだ無名の若手だった梶谷にひと目惚れし、「すべての才能が開花すれば誰も勝てない選手になる」と根気強く試合に使った。後を継いだアレックス・ラミレス監督は、今シーズンも「梶谷がこのチームのキーマンだ」と言い切る。昨年は梶谷がケガから復帰した5月以降にチームは調子を上げCSに進出した。今やチームになくてはならない存在である。だが、走攻守、そのすべてにおいて、梶谷はまだ本来の力を見せきってはいない。

 そんな梶谷が、今季の目標に25本40盗塁という数字を掲げた。トリプルスリーを期待され、30本塁打や60盗塁を目標に掲げていたこれまでの年とは明らかに違う。キャリアハイに少し上乗せした現実的な数字は、ポテンシャルを思えば少し寂しくもある一方、今年に懸ける強い思いを伺わせる。

「期待をしてもらえることは本当にありがたいです。だけど僕自身はそんな選手じゃないと思っています。去年はケガから始まって、5月に戻ってきてから、いろんな方に梶谷がチームの雰囲気を変えてくれたと言ってもらいましたが、僕としては不調が長引いて……かなり苦しい時間でしたし、逆にラミレス監督の配慮で助けられたと感謝しています。一番悪かった交流戦の頃、僕の打率は2割を切っていて、『このままだったらファームに落ちることもあるな……』とテンションが落ちたまま野球をやっていました。

 そんな時に9番を打たせてもらったんですけど、ラミレス監督から『状態が悪いのはわかっている。ただ、カジは外さない。今は悪くとも試合に出続けていれば、終わった頃には絶対にいい成績が残っているから心配するな』という声をかけてもらい、気持ち的にすごく楽になりました。そういう気遣いが本当にありがたかったし、絶対に応えなきゃいけない。トリプルスリーっていうのは、いつかやりたいって思いはありますけど、現実的には夢の夢ですよ。自分の可能性を諦めたというわけじゃない。まずは、これまでの自分を超えることを目指して、”ありえる高い数字”を目標にした感じです」

 これまで梶谷が安定した成績を残せなかった原因に、調子の波の激しさがある。好調な時はどんなボールがきても反応して対応できてしまう天才的な打撃をするが、不調に陥った時は、素人目に見てもバットに当たる気配がなくなってしまう。その波をどれだけ小さくできるかが、今年も大きな課題となる。

「好不調の波の激しさは自覚しています。毎年、4月がよくて5月途中から落ち始め、6月になると親からも『6月どうにかならないの?』って言われるぐらいダメになる。夏場の体重が落ちたあたりにまた調子がよくなるので、多分、ファンの方たちは『梶谷は体重がない方がいいんじゃないか』と思っているでしょうね。でも、僕は体重がある方が体はキレるんです。調子が落ちるのは、身体よりも技術とハートの部分が9割ですね。だいたいあの時期はキャンプからシーズン序盤の疲れが出てきて、技術的な面でバッティングのフィーリングが合わなくなってくる。

 さらに、僕は悪くなるとバッティングフォームを変えたくなる。毎年毎年、自分の中での迷いがめちゃくちゃあって、ああしてみよう、こうしてみようって……いい時は何も考えなくても打てるけど、悪い時は『何が悪いのか』をどうしても考えてしまいます。ただ、去年あたりから調子がいい時に『どこがよかったのか』を考えるようにしたんです。そのことは悪くなってから役に立ちました。具体的にいえばバットの軌道とタイミングですね。今年は去年の後半からの調子が維持できているので、落ちてきても基本的には変えずに我慢することが大事だろうなと思っています」

 昨シーズン、不調から脱し7月から調子を上げた梶谷は、そのままCSまで大崩れせずに乗り切った。その中で大きな変化があった。試合中にガムを噛むのをやめたのだ。もともとガムを噛み始めたきっかけは2012年、試合に出てはミスを繰り返し、連日厳しいファンからの声に晒されながらプレーをしていた頃。乱れた感情のままミスがミスを呼び、思うようなプレーが何ひとつできない。そんな中で、ワラにもすがる思いで手にしたのがガムだった。

「僕は感情の起伏がすごくあるんです。表向きは見えないかもしれませんけど、エラーや打てないとすぐにカッと乱れてしまう。一喜一憂して次の打席をおろそかにしたくないから試合では自分を作りますし、感情や心拍数を抑えたくて、ガムを噛むようになりました。リズムを整えられる利点もありましたし、心を落ち着かせるために何年か噛んでいたんですけど、やっぱり日本人ですからね。ガムを噛んでプレーしていると、『カッコつけてる』とか印象が悪いんですよ。僕自身もずっとやめたかったんですけど、精神的に落ち着くので……。それが、昨年の夏ぐらいに自然とやめられたんですね。噛んでいないのに、『あれ、全然リラックスしている』と気がついて。なんでだろう。何があったというわけでなく、徐々に変わってきたような気がしますね」

 高卒で入団した頃は足が速いだけで、打撃ケージから打球がなかなか出ずに、プロでやるには厳しいと思われた選手だった。やっと試合に出始めても、ツボに入れば凄まじい打撃を見せるが、大きなポカもやらかす。

 調子がいい時も悪い時も、全打席ライトスタンドを狙うかのような荒っぽさ。ファンからの声に心を痛めて精神的に追い詰められてしまう繊細さ。ストイックな肉体改造でムキムキになる一方、食べることに興味がなく夏場に必ず元に戻るもったいなさ。体重を減らさないように、どら焼きをたくさん食べたり、お酒を控えめにしたり。10年間、自分のスタイルを見つけるために悩みに悩み抜いてきた。

 そんな梶谷から、ここ数年「勝ちたい」という言葉がよく聞こえてくる。最下位が続いていた以前から言わなかったわけではないが、その言葉は月日を追うごとにより切実に、現実味を帯びて聞かれるようになってきた。

「本当に勝ちたいという欲がどんどん大きくなっているんです。最終的にチームを勝たせる選手がナンバーワンですよ。なんでもいい。チームが勝つ方向に持っていける選手が一番すごい選手なんだろうなと思うんです。若いうちは一軍に残るのに必死でした。極端にいえばチーム状況より、とにかく自分の結果が欲しかったんです。でも2年3年とレギュラーで使ってもらっているうちに、チームが勝たないと、自分の存在意義がないということに気がつくんです。昔は自分のことしか考えてないから、ファンの声に本当に落ち込んだり腹が立ったりしていましたけど、今はもう何とも思わないですね。若い選手がファンからの声に腹を立てていても、『いやいや、俺も昔はあったよ。結果を出せば何も言われなくなるよ』なんて言葉も出ますから(笑)。

 やっぱり勝てるようになってきたこと。お客さんが増えてきて、空席がほとんどなくなって……勝ちたいですよ。自分が打てばもの凄く盛り上がってくれるんですよ。本当に応援は力になると実感したし、チームが勝てばどんどん大きくなってくる。そういう意味でも僕はかなりいろんな経験をさせてもらいました。野球界でもなかなかいないんじゃないかってぐらい、結構”味わって”きましたからね。その分成長させてもらえたと思いますよ。腹決めてやればいいという風に思えていますから」

 昨年のCSファーストラウンド。梶谷は見たことがないほど青く染まった東京ドームに震えるほど感動した。死球で左手の薬指を骨折し交代を告げられた際に、プロに入って初めて涙が溢れてきた。自分に克つために抑えてきた感情が抑えられなくなるほどの衝動を感じていた。

「CSの東京ドームは本当に衝撃でした。ああいう風景を見せられちゃったらね……。あ、頑張りたいなって思いますよ。僕、プロに入ってからずっと苦しくて、野球が楽しいと思えたことなんて一度もなかったんです。小学校から高校まで楽しくてしょうがなかった野球が、どこか苦しいものになっていた。それがようやく去年、試合の中で自然と思えたんです。楽しいって。

 あのクライマックスを体験してしまったことで、その先にある優勝というものが、どれだけ良いものなんだろうって想像するようになりました。ちょっと前の僕には絶対にわからなかった感情です。ベイスターズが低迷していた時代、僕は一軍のベンチにも入れない選手でした。父親にも『チームの控えが遊んでる暇はないぞ』ってよく言われて。すごく嫌でしたよ。だからなのか、今は具体的な数字よりも、強いチーム、常勝チームの主力選手と呼ばれるようになりたいんです。ベイスターズ、すごくいいチームですから」


 梶谷にとって勝負の年となる2017年。スタートから打撃が好調の一方で、4月には右太腿の違和感で欠場するなど、危うさも露呈した。この先には魔の6月も待っている。振幅の大小はあれど、今年も山あり、谷ありの1年となるのだろう。

 もう一度、確認しておきたい。横浜の看板は「梶・筒」である。

 天才なんかじゃない。回り道をしてきた誇りがある。だからこそ、こんなもんじゃ終わらせられない。

「I CAN DO IT」。以前より大人になった梶谷は、自分に言い聞かせる。大丈夫。梶谷ならできる。

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