江陵高等学校 古谷 優人選手「『世の為、人の為』に生きる左腕として」【後編】

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■江陵高等学校 古谷 優人投手 「『自分を変える』を突き詰めて」【前編】から読む

 前編では「メンタル」の角度から古谷 優人選手の変化に迫っていきました。後編では最速154キロを記録した北北海道大会の追想と、剛腕左腕になるまでの取り組み。さらに福岡ソフトバンクホークスでの意気込みを語っていただきます。

フォーム×体づくり×スタビリティ=154キロの土台

古谷 優人選手(江陵高等学校)

 2年ぶりの北北海道大会出場。江陵をけん引する主将としては素晴らしい結果を残した反面、古谷はエースとして悩んでいた。頭に残る帯広農戦の序盤。そんな彼に谷本 献悟監督が救いの手を差し伸べる。

 谷本監督はPL学園中出身。当時、寮内の先輩であり、現在は日大東北の監督を務める中村 猛安監督の縁を辿り、この人を幕別町に招いた。名古屋商科大総監督・中村 順司氏。中村 猛安監督の実父というよりもあのPL学園高黄金期を作り上げた名将という表現が適当だろう。そして、中村氏のアドバイスは単純明快であった。

「投球時に、右手の小指を少し握る感じで投げること」

「だいぶフォームがしっくりきました。フォームのバランスが良くなったんです」これで古谷が求めていた最後のパーツが埋まった。それは裏を返せば彼が常に様々な観点から自らを突き詰めていたからである。 

 配慮は精神的な点はもちろん、様々な部分にも及ぶ。まずはフォーム。「全身を大きく振りかぶったワインドアップから、ゆったりと右足を高く上げて、滑らかなテイクバックから一気に体を回旋させる」。これを古谷は常に頭に入れている。その方法論も彼は淀みなく説明する。「僕が大事にしているのは回旋運動と重心移動をしっかりとできるか。そのためにはしっかりとした軸の強さが必要で、その軸がないと、不安定なまま回転してしまうので、バランスが崩れます。軸の強さがあることで、キレイで無駄のない回転ができる。体幹トレーニングはこだわっています」 

 その種目はいわゆる「スタビリティトレーニング」。毎日自宅ではテレビを見ながら地道に取り組んだ。チームではランニング、スクワット、ランジ系など下半身中心のメニューが中心の筋力トレーニング。谷本監督考案の丸太を持ったまま雪の上を走るランニングや、雑巾がけなど、体の機能性を高めるトレーニングと多彩なメニューをこなし、融合させる中で古谷は強く・柔らかな身体を手にしていった。

 2年時からは食事にもこだわった。西田 つばさ部長の提案で始まった食事計画表により日々の食事内容を記入。量だけでなくバランスにもこだわった。結果、入学時の身長171センチ・体重60キロは最後の夏になると、176センチ76キロまでにサイズアップ。154キロへの堅固な土台はこうして築かれた。

指先感覚を活かす「投球術とスライダー」

 土台が整えば次は技術論。古谷と谷本監督は「自然とシュート回転してしまう」ストレートを最大限活かす投球を考えた。他の投手と比べて指の向きが独特であることから右打者の外角、もしくは左打者の内角にストレートを投げようとすると、どうしてもシュート回転してしまい、コントロールが乱れる古谷のストレート。当初、古谷はベース板にキレイにコントロールしようとして、力を加減する傾向があった。

 そこで谷本監督は2年秋「指先の感覚を活かす」ため発想を大転換する。アドバイスは「シュート回転してもいいから、真ん中を意識において投げろ」。するとナチュラルにシュート回転する剛速球が外角に決まるようになった。そうしていくうちに古谷は安定した剛速球を出す秘訣を見出す。ポイントは「プレートの使い方」である。右打者に対してはプレートの一塁側に立ちクロスファイアを意識。左打者に対してはプレートの三塁側に立ちシュート気味のストレートをより際立たさせる。これが功を奏した。

スライダーを投げる時のリリースポイントを説明する古谷優人(江陵高等学校)

 古谷が最も自信を持つ球種としている「スライダー」も自分で、時には谷本監督から助言を受けながら試行錯誤を重ねて完成形に近づけた。そのポイントを自らが語る。「僕のスライダーは縦横の変化を付けてるんですが、縫い目を支える中指と薬指がポイント。ボールを中指の腹で切るイメージで投げるんです。その指の動きで、縦と横の変化を投げ分けています」

 加えて、どのコースへ投げるのか、どう落としたいのか「目標物」を定める。これも谷本監督のアドバイスにより、3年春から感覚を掴んできた。本人の感覚は「マックスの出来ではない」。しかし、北北海道大会で古谷 優人のストレートはうなりを上げた。旭川西戦でついに「最速154キロ」を連発。釧路工戦では20奪三振。「スライダーが本当によかった。あとは春から習得してきたカーブがうまく決まった」と、新たな投球の引き出しを見せてネット裏のNPBスカウト陣をもうならせた。 

 甲子園まであと2つ。しかし連日、雨の中で力投を続けてきた古谷は心身ともに限界だった。準決勝・滝川西戦では3失点。12奪三振も力尽き、最後の夏はここで終わることに。ただ、この頃になると「高校トップクラス・最速154キロ左腕」という高評価は動かしようのないものになっていた。

古谷 優人投手と谷本 献悟監督「世の為、人の為」にこれからも

「早くプロにいって活躍することが谷本監督の恩返しになる」と9月28日にプロ志望届を提出した古谷。その結果は10月20日のドラフト会議・福岡ソフトバンクホークスからの2位指名で成就した。「こんなに高い評価をいただいて嬉しいです」。嬉しい理由はもう1つある。実は古谷が目標とする投手は「球速よりも速く感じるストレートをずっと追求している中で、あのようなストレートを投げたいと思っていた」和田 毅投手(関連記事)。さらに松田 宣浩選手(関連記事)にも「ファンとして」憧れを抱いていた。

 これからは、そんな2人と共に福岡ソフトバンクホークスの屋台骨を担うための歩みが始まる。その第一歩は「世の為、人の為」と書かれた色紙を掲げて、自己紹介をした11月22日の入団会見。「社会に飛び込んだ時に、社会人としてどう振舞えるか」。師の教えを忘れず実践した古谷の姿勢は、早くも信頼を得つつある。

 入団会見後、すぐに谷本監督には福岡ソフトバンクホークス荒金 久雄・北海道担当スカウトから連絡が入った。「『古谷は球団の方々にしっかりと挨拶をしていて、球団の方々も本当にしっかりしているといわれた』と。僕はそれを聞いて本当にうれしかったです」(谷本監督) 

「変わりたい」。江陵への入学を決意した理由。それは間違いなく正しかった。「監督さんに『ダマされたと思って生活面を磨いてみろ』といわれて、本当に実行したら、野球もうまくなりました。自分自身、変わったと実感できます」 

 だからこその「世の為、人の為」。「自分のためだけならば、妥協をしてそこで終わりです。しかし人のために動くということになったら、妥協したら、迷惑をかけてしまいます。人のためならば頑張れます」 

「谷本監督を男にしたい」江陵での3年間と縁深い幕別町での想いを胸にして、今度は福岡ソフトバンクホークス、応援してくれるファンの為に。鷹のエースの階段を古谷 優人は一歩ずつ登っていく。

(インタビュー=河嶋 宗一)

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