24日、日本テレビ「人生が二度あれば 運命の選択」では、「掛布雅之 33歳で突然の引退 初めて語った引退の真実」と題し、阪神タイガース掛布雅之氏(現・2軍監督)のインタビューを放送。聞き手を務めた松木安太郎氏が、若くして引退を決めた理由に迫った。

「ミスタータイガース」と呼ばれた掛布氏は、長らく阪神の4番に君臨。3番ランディ・バース氏、4番掛布氏、5番岡田彰布氏の強力クリーンナップが今も記憶に残る1985年には、リーグ優勝や日本一にも輝いている。

だが、1986年4月、手首にデッドボールを受けて骨折すると、これまで続けた663試合の連続出場が途切れたばかりか、復帰後は成績が低迷。1985年に40本放ったホームランは、ケガで欠場を繰り返した1986年、9本にまで減った。掛布氏が引退を発表したのは、その2年後となる1988年のシーズン終盤だった。

松木氏から「33歳で引退を決めた理由、1番の理由はなんでしょう?」と訊かれると「引き金になったのは、5年続けて全試合に出てた。で、優勝もした。その翌年に手首を骨折した。それが引き金になったのは事実」と切り出した掛布氏。「良い時も悪い時も阪神の4番としてファンの前に立つというのは、僕自身一つの目標だった」と続けると、"阪神の4番"という重責について語り始めた。

「阪神ファンの方達は非常に厳しい目で我々の野球を見ますので、その厳しい目から背中を向けて逃げるということは、ゲームを休むこと。三振する姿も、エラーする姿も全てさらけ出すのが本当の4番なんじゃないのか」と語ると、引退の引き金になったという手首のケガを「堂々と義務から逃げられるケガ」と表現した。

さらに「これはテレビで行ったことありません」と前置きすると、「安心してしまった。あの厳しい4番のバッターボックスに入らなくていいんだ」と当時の心境を告白した掛布氏。「4番を務められるだけの強い精神力がなくなった時に、7番は打てませんよね。4番としてユニフォームを脱ぐべきだろう」と、その決断に至ったという。

インタビューの最後、松木氏から「あの時に戻れたら、引退しますか、現役を続行しますか?」と訊かれると、掛布氏は「続けたでしょう。休まず、骨折して出続けたと思います」と返答。「なんでそこで弱さを見せたんだということを今感じている」と、ケガで気後れした当時の自分に対する後悔の念を明かした。