北海道日本ハムファイターズ 宮西 尚生投手(市立尼崎出身)「超一流の中継ぎが実践する調整法」
今季10年ぶりの日本一に輝いた日本ハムの大きな原動力となったのが、人材豊富な中継ぎ陣だ。その中で入団以来、9年連続50試合以上登板という、とてつもない記録を続ける宮西 尚生投手(31)は、今季史上2人目となる通算200ホールドを達成し、さらには39ホールドで最優秀中継ぎ投手のタイトルも獲得。フル回転の活躍で日本一に大きく貢献した。侍ジャパンにも選出され、日本ハム投手陣の精神的支柱でもある鉄腕左腕は、オフをどう過ごし、どんなトレーニングをしているのか、迫ってみた。
宮西 尚生投手(北海道日本ハムファイターズ)
180センチ75キロと、決して体格に恵まれているという訳ではない。一見すると“変則左腕”という、あまり選手寿命が長くはなさそうに感じるタイプだが、宮西にそんな通念はあてはまらない。今季は左ひじの手術明けのシーズンだったにもかかわらず、入団以来続けてきた50試合以上登板を楽々とクリアする58試合のマウンドに上がり、最優秀中継ぎ投手のタイトルまで獲得するおまけつき。打者190人に対して1本の本塁打も許さず、防御率1.52という成績は、誰もが認める優勝の立役者の一人だ。
「今季はすべてがうまくいったという感じです。いや、うまくいき過ぎたんじゃないですか」という言葉にだまされてはいけない。築き上げてきた数字には、もちろん確固たる裏付けがある。
シーズン中、勝利の方程式の一翼を担う左腕は、ほぼ全試合で必ず1度は肩を作る。「毎試合登板する可能性がありますからね。マウンドに上がった時にどこかが張っていたり、ランニングをしすぎて疲れていたり、ウエイトトレーニングで筋肉痛になっていたりというのは通用しない。常に100パーセントのコンディションでマウンドに上がりたいんで、シーズン中は最低限のトレーニングしかしない」というリリーフならではの調整法の中で、これだけの成績を残し続けられている理由は、オフの過ごし方にあった。
まずシーズンが終わってすることは、心身ともにリセットすること。1週間はスッパリと野球から離れ、完全休養にあてる。「本当にまったく何もしません。もちろんノースローですし、体も一切動かしません」。半年以上にも及ぶペナントレースの中で、パンパンに張りつめていた心と体をゼロに戻すことから、中継ぎエースの自主トレは始まる。その後は、宮西の「原点」ともいえるランニングを開始する。
「走るといっても“基礎の基礎の基礎”というぐらいのレベルのジョグですね。有酸素運動で血流を上げて、痛んでいるところの回復力を上げるのと同時に、体をちょっとずつ目覚めさせていく」とランニングの時間は30分程度だが、これがキャンプに入るまでの必須メニューとなる。
走ることをメインに体を作りながら、12月に入るとボールを握り始める。30〜50メートルぐらいのキャッチボールの中で意識するのは、6割程度の力で投げて、その力のボールをしっかりと投げ切ることだ。
「変な言い方になりますけど“60パーセントの力を100パーセント出す”という感覚です。100パーセントの力で投げても100パーセントの力はなかなかボールに伝わらない。70パーセントでも難しいですかね。自分の中では60%ぐらいが、いろんなことをチェックするのに一番いい力なんです」と、キャッチボールの1球に全神経を集中し、自分の感覚を研ぎ澄ます。そこにはリリーバーとしての生き様が集約されていた。
「なんだかんだ言っても、やっぱり肩は消耗品ですから。キャッチボールして、そこからピッチングして、そこで納得いかなければネットスローするというのは、ホントにダメだと思うんですよ。キャッチボールの段階から1球1球丁寧に投げれば、最後のネットスローなんて必要なくなる。野球はキャッチボールが基本。それでフォームを固めるであったり、ボールの質を高めたりという意識が大事」と、基本の重要性をサラリと言えるあたりが、やはり一流だ。
自分に合ったフォームは年々変わっていく宮西 尚生投手(北海道日本ハムファイターズ)
フォームのチェックポイントは、軸足である左足の内転筋でしっかりと体を支えられているかということと、もう一つは右足の上げ方。「自分で居心地のいいところに足が上がってくるかどうか。毎年、体は違ってくる。年齢も重ねて、なおかつこれだけ投げていれば、疲労も完全に抜けることはない。だから去年のフォームが良かったからといって、今年もそれがいいとは限らない。その年のコンディション、体型というのがあると思うんで、それに合ったフォームをいち早く自分の中で見つけ出すこと。これはキャンプの中盤ぐらいまで探し続けますね」と試行錯誤を繰り返しながら、その年のフォームを作り上げていく。
じっくりと自分の体と対話しながら仕上げていき、ブルペンに入るのはオフの後半から。「ここではまだ立ち投げで、力も50パーセントぐらい。徐々に球数は増やしていきますが、最高でも70〜100球以内ですね」と焦ることはない。キャンプインまでに100パーセントの力で投げられる状態にはもっていくが、捕手を座らせて投げる時は30〜50パーセントの力で十分だという。
「若い頃は結構早い時期からバンバン投げていましたけど、体さえしっかり作っておけば、そう簡単にフォームは崩れない。体に染みついたものもありますから」と、納得できる体を作ることを最優先し、オープン戦から開幕にかけての実戦でフォームを完成させていく。
こんな調整法には9年間、リリーフエースとして培われてきた経験が随所に散りばめられているが、宮西はあくまでその土台となる基礎練習の重要性を強調する。「自分の原点は高校時代。あれがあるからこそ、今の自分がある」と、市立尼崎高での徹底した走り込みを今でも忘れてはいなかった。
「ホントによく走りました。走ることしかしてなかったと言ってもいいぐらい。練習が始まってから終わるまで、延々と走っていました。ピッチングが休憩みたいなものでしたから」と当時を振り返った。練習ではまず30分間走り込み、その後はポール間のインターバル走を20本。続いて30〜50メートルのショートダッシュを10本こなし、さらにはシャトルランを加えることもある。
「ショートダッシュまでのメニューは、基本的に開幕まで毎日やりますね」と12月中旬からの約1か月間は、毎年母校に戻って自主トレを続けているのも、自分の原点を忘れないためだ。その背中を見てきた後輩たちは今夏、33年ぶりの甲子園に出場した。
手術明けの1年で球速も出なかったけど、その分引き出しが増えた宮西 尚生投手(北海道日本ハムファイターズ)
「リリーフは先発と違って、シーズン中は走り込めないんですよ。だからこそオフに走り込む。年齢的にもそろそろメニューの強度を考えないといけない時期かなとも思いますけど、やっぱり追い込んでしまいますね」と、オフは恩師・竹本 修監督(52)の視線を感じながら走り込むことで、宮西の一年は始まる。
そんな愚直な姿を、普段は辛口の日本ハム・中垣 征一郎トレーニングコーチ(46)も評価している。「ずっと同じことをやっている中で、少しずつテーマを変えてトレーニングしている。彼は天才的にそれがうまい。自分の中にしっかりと確立したものを持っている選手」と毎シーズン、高いレベルでコンスタントに成績を残し続けている理由を説明してくれた。
今オフもすでに黙々と走り込みを始めている鉄腕は、来季節目となる10年目を迎える。「今年は手術明けの1年目ということもあって、オフには腕周りのトレーニングが全然できなった。その結果、シーズン中は球速も130キロそこそこしか出なかったけど、丁寧に外の出し入れをしてきた分、引き出しが増えました」
転んでもタダでは起き上がらない。そんなプロ中のプロが、高校球児に呼びかけた。「自分は高校時代、球もすごく遅かったし、コントロールも悪かった。それでもあきらめずにやり続ければ、プロで活躍できるところまで来られた。強豪校じゃなくても、エースじゃなくても、たとえメンバー外でもあきらめないでほしい。うちのチームにはソフトボールからプロ入りした選手もいる。野球をやっている限り、プロになれる可能性は必ずある」と、熱烈なエールを送ってくれた。
(インタビュー・文/京田 剛)
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