三浦 颯大選手(酒田南−青山学院大)「高校3年夏は3本塁打マークした強肩強打の逸材」【前編】
三浦 颯大。高校時代(酒田南)は184センチ80キロと恵まれた体格を武器に強肩、強打を発揮し、プロ注目捕手と騒がれた逸材だ。最後の夏は、山形大会で3本塁打、12打点と大爆発を見せ、その称号にふさわしい活躍を見せた。プロ志望すれば、指名の可能性はあった三浦だが、東都大学野球連盟の青山学院大へ進むことになる。そんな三浦選手の現在とは?高校時代の歩みと、大学で課題として取り組んでいることを伺った。
三浦 颯大選手(青山学院大学)
酒田市出身の三浦にとって酒田南は憧れの存在。進学のきっかけになったのは2学年上の下妻 貴寛選手(現・東北楽天ゴールデンイーグルス)の存在がある。下妻は三浦にとって大先輩で、保育園、小学校、中学校も同じだった。「下妻さんからサカナン(酒田南)に来いよと言われていて、酒田南に行きたいと思うようになりました」
松山中(軟式)では捕手、投手、内野手を兼任。硬式の練習ができる酒田ハーバーベースボールクラブにも所属して、硬式でプレーする準備も行っていった。高校では内野手でプレーすることに憧れがあったが、酒田南では捕手として推薦を受けて入学した。
最初は2番手捕手という立ち位置だったが、入学から打撃でアピールし、打撃の良さを生かして、外野手にコンバートすることになった。デビュー戦となった1年夏では大当たり。17打数10安打の大活躍で、いきなり甲子園出場を果たしたのだ。1年夏の活躍について三浦はこう振り返った。「ビギナーズラックですよ(笑)。とりあえずあの時は怖いもの知らずで振れていて、夏が終わるまで調子はずっと良かったですね」
とはいえ、1年生がいきなり夏の公式戦で10安打を打てるものではない。三浦の打撃の非凡さがうかがえる。そして迎えた初の甲子園。初戦の明徳義塾戦では、内角を厳しく攻められ無安打に終わった。「テレビで見る甲子園の舞台に実際に上がってみて、緊張してあがってしまいましたね。とにかく悔しさで終わった甲子園でした」
甲子園初舞台は苦い思い出で終わった三浦。再び甲子園を目指すため、1年秋には捕手へ再転向してスタートを切った。ここで初めて捕手の難しさを味わうことになる。「一番難しく感じたのは配球面ですね。投手の持ち味を引き出すことと、相手打者のことも観察しなければなりません。そして後輩の立場ながら先輩投手を引っ張っていくことを考えていかなければならなかったので、とても苦労しました」
そのため公式戦1試合を終えるだけでどっと疲れがきたという。三浦はチームの勝利のために先輩や同級生との対話をしっかりと行いながら、捕手としての信頼を得られるよう努力を重ねてきた。守備面で苦労のあった三浦だが、2年夏では13打数10安打と1年夏に続き活躍を見せ、打てる捕手としてアピール。攻守において磨きをあげていった。
だが2年夏は準決勝で日大山形に敗れ甲子園に届かず、2年秋も東北大会準々決勝で敗れて、選抜を逃し、甲子園に行けるのは最後の夏のみとなった。冬場は猛練習で自分を追い込んでいった。2時間連続ティー打撃や、1日600本〜700本の素振りでは、「インサイドアウト」でボールの内側をたたくことを意識して、振り込みを重ねてきた。
そして最もきつかったのが走り込みが中心のトレーニングだ。酒田南は毎年の冬になると、雪が降ってグラウンドが使えないため、室内練習場や、学校の体育館、階段でのトレーニングが中心となる。体育館では、タイム付きのダッシュで制限時間内に切れなければ、罰ゲームで追加のトレーニングというとてもきついメニューである。冬の間はグラウンドを使えないので、延々と走ってきた記憶しかないと振り返る三浦。そしてパワー強化はウエイトトレーニングではなく、自重系の腕立て、懸垂、腹筋、背筋で基礎体力をしっかりと身に付けた。
打撃面は大爆発もリード、打撃に悔いが残った最後の夏三浦 颯大選手(青山学院大学)
迎えた最後の夏。三浦は1年、2年に続き、大爆発を見せた。初戦の米沢商戦で5打数2安打1打点と幸先の良いスタートを切ると、3回戦の九里学園戦では2本塁打含む5打数3安打4打点の活躍を見せる。まず1本目はライト方向への本塁打だった。「ライト方向への本塁打はなかなかなくて、カーブを泳ぎ気味に打ち返したのですが、入ってくれた打球でした。日ごろから逆方向へ意識していたからこそ打てた打球だったと思います。2本目はインコースのストレートだったのですが、反応で打てました」と振り返った。
そして準々決勝の山形城北戦では満塁本塁打。この本塁打を振り返ると、「あの時、0ストライク3ボールになっていて、まず1ストライクを取られての5球目は外してくるかなと思ったら、その5球目がストライクゾーンにきまして、それを打ち返して本塁打にしました。手ごたえは十分で、打った瞬間は最高の気分でした」
これで夏3本塁打目となったが、なぜ1年生の時から夏に強いのか。それは夏へ向けた調整法にあった。「とにかく5月〜6月はしっかりと体を追い込んでいきます。そのときはヘロヘロの状態で練習試合に臨んでいます。そこから少しずつ練習量を落として、寝る時間も夜の10時には寝て、睡眠時間を多く取るようにしてきました。そうすると夏の大会のときには体がだいぶ軽くなるんですよね。チームとして大会前になると練習量を落とすのはやっていますけど、僕は意識的に量を落として調子を上げていくことをやっていました」
三浦なりの調整法があった。チームも順調に勝ち進み、ついに決勝へ。相手は石川 直也(現・北海道日本ハム)擁する山形中央だった。石川とは秋の大会で対戦しており安打も打っていたので、苦手意識はなかった。しかしこの試合では石川が投じるフォークに対応ができず、4打数0安打3三振と全く打てなかった。そしてチームも9回表に逆転を許し、反撃ならず、甲子園を逃した。この試合の悔いを挙げるとすれば、9回表のリードだった。「内角をあまり意識させることができなかったことですかね。決勝打は外角スライダーを踏み込まれて打たれました。もう少し厳しくインコースをつけていたら、違った結果になっていたと思います」
攻守ともに悔しい結果に終わった三浦。それでも夏の大会で本塁打を放った三浦を高校生トップクラスの大型捕手として評価する球団もあった。そんな三浦が選んだ進路は大学進学だった。「2学年上の下妻さんと比較しても、自分はプロにいける実力に達していなかったと思います。大学に進むからには強豪の大学に行こうと決めていました」
こうして東都大学野球連盟の青山学院大に進学した三浦。「名のある大学ですし、そこで活躍できる捕手になれればどこにでも行ける、プロに行ける捕手になるだろうと思っていました。逆にそこで活躍できなければプロに行っても同じだと思い、覚悟を決めて進学を決意しました」
プロ入りを目指して進んだ青山学院大では、レベルの高さに苦しむことになる。
後編では大学に入って学んだことや今後の意気込みについて語っていただきます。
(文=河嶋 宗一)
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