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 山本一郎(やまもといちろう)です。平和が一番だなと思う小市民です。

 ところで先日、暁星高校でのいじめが理由とみられるナイフ傷害事件が学内で発生し、物議を醸しておりました。



 その後も、いろんな報道が出ておりましたが、情報を総合するに、大人しい16歳の高一少年に対するいじめが日常的に繰り返され、親御さんが学校に相談をしていたにかかわらずいじめが収まらず、いじめられた子が思い詰めたうえでナイフを学校に持参したところ、自習中の教室でのいじめに堪えかねてナイフを持ち出し傷害事件に発展したぞという話であります。

 個人的には「辛かったろうな、頑張ったんだな」と思う一方で、自分自身の経験に照らし合わせると「この子は凄い思い切ったな」って感じるわけです。やれと言われてできることじゃない、下手をすると自殺を考えたかもしれない、不登校から進学を諦めたかもしれない。でも、学校に行き続けることで開ける未来のことを考え、友達付き合いで悩みながらもグッと我慢して登校を続けてきたんだろうな、と想像します。

 自分で考えて、思い詰めた結果だとするならば、この子には罪はないですよ。

 これをもって、この事件をキレやすい子供の犯行だ、犯罪だ、だから厳罰に処するべきだ、とするのは私は早計だと思います。普通、本当にキレてしまう子は、学校には行かなくなりますし、その前から爆発していてもおかしくないのです。ある意味で、16歳になるまで、耐えたのでしょう。親にも相談し、学校にも申し入れたけど改善しないという現実に直面しながらも、自分の心の中に殻を作って、極力目立たず穏やかにすることで、辛い学校生活をやり過ごそうとしたんじゃないかと感じると、私自身も決して順調満帆とは言えなかった学生時代を思い出します。

■環境が生んだ悲劇

 規律のしっかりした暁星OBの話を聞くと、往々にして「こういういじめに近いことはあった」「限度が超えない程度ではいじめられている級友はいた」と言います。経験談として「ナイフはさすがになかったけど、いじめに堪え切れなくなったクラスメートが鉛筆で刺して親同士でオオゴトになったよ」という話も出てきます。言われてみれば、私も校庭で後ろからどついてきた級友に左ストレートを浴びせて学校と先方の親にお詫びにいったことを思い出しますが、そういう短絡的な発散もなかなかできない子が、今回やらかしてしまったのだとすると、やはり環境の問題ではないかと思うのです。

 また、暁星OBは自分たちでは「暁星は進学校ではない」と言います。ただ、受験をさせる親からすると、暁星を受ける理由はやはり幼稚園もある小中高一貫校であり、進学実績を見て「ここが良い」と感じるからでしょう。もちろん、御三家に比べれば実績面で劣る部分はあるかもしれないけど、比較的質実剛健な教育方針であるというイメージが広がっている暁星を選びたいという人は少なくないと感じます。

 そういう長い時間をかけて学生生活を送る学園で、親しく語り合える友人を持ちえない学校生活がどれだけ監獄のようなものであるかを考えれば、もしも暁星が学校として事前に親御さんからいじめの相談をされていたなら真摯に対応しなければなりません。また、今回の事件をきっかけに、過去の学生同士の殴打事件が揉み消されたなどの一般的な学内の事件が多数掘り起こされることだって考えられます。

 とりわけ、不満足な学校生活を送った卒業生が、この事件をきっかけに学校に対して復讐する、なんてことのないよう願うばかりですが、それ以上に、このナイフを持ち出したいじめられっ子の将来が気がかりです。

 恐らくは、残念なことに本件はそう簡単な処罰では済まないであろうし、暁星学園も学校として、いま一度、悩み多き子供たちの教育について、また心のケアについて考え直してほしいと思うところですが、私は「思い切ったね。このぐらいで済んでよかったね。さあ、前を向いて人生を拓こう」とこの子には言いたいのです。多くの卒業生にとっては良い環境であった暁星が、たまたまこの子には合わなかった、というだけです。異なる環境はいくらでもある、待っている人を作ることもできる、才能を試す場もたくさんあるのです。ナイフよりも、鉛筆を、キーボードを持つことで、いくらでも自分の人生をデザインすることはできるのですから。

著者プロフィール


ブロガー/個人投資家

やまもといちろう

慶應義塾大学卒業。会社経営の傍ら、作家、ブロガーとしても活躍。著書に『ネット右翼の矛盾 憂国が招く「亡国」』(宝島社新書)など多数

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やまもと氏がホストを務めるオンラインサロン/