福山雅治

 今冬に妻で女優の吹石一恵が第1子を出産する予定の歌手で俳優の福山雅治(47)が22日、テレビ朝日系『徹子の部屋』(毎週月〜金曜・正午)に出演。17歳の時に亡くなった父親への想いを明かした。

 司会の黒柳徹子が、「学者のお家の坊ちゃんかしらと思ってたんですけど、お父様はお酒飲むのと博打が好きだったんですって」と質問を切り出し、福山は自身の父親について、話し始めた。

 福山の父親はもともと「宅建取引の免許を持ってたっぽい」と説明。自宅も「〇〇不動産」の看板を掲げていたが、物件情報は貼っているものの自宅兼事務所には誰もおらず、「人が来るのを見たことがない」と当時の様子を明かした。

 更に、福山は小学生時代を回想する。「通学していると、向こうからでっかい牛乳瓶を持ってグラングランに酔っぱらって来る危ない人がいるなと思ったら、父親だったんです」とも。父親は「おい雅治、なんばしよっとか」「ちゃんと勉強してこいよ」と声をかけるも、当時の福山は「この人に言われたくないなと思いながら」とし、「たいがい昼までは寝てるんですよね」と自身の記憶にある父親を語った。

 さらに、父親は麻雀が大好きで、「雀荘に入り浸っている人で、家に電話がかかってきたら、こう言え。社長はいまいません。これだけを教えられて、そんな家でした」と父親との関係性を話した。

 ただ、福山は「褒められた」記憶もあるようだ。父親に頼まれ、タバコを買いにおつかいに出かけた時のこと。近くのタバコ屋に父親が求める銘柄はなく、福山は遠くまで買いに出かけた。帰って来ると母親は当然のごとく「帰りが遅いけん、心配したやろ」とを声をかけた。

 ところが、父親は別のことを言ったという。「『いやいや、雅治は俺が頼んだやつを探して遠くまでわざわざ買いに行ったったい。あきらめずに買いに行ったったい。こいつは根性だけはあるんだ』っていうことを言ってくれたんです」。それが唯一、父親から褒められた記憶になっているという。

 そして、自身が上京して以降、音楽や芝居の才能があると自身では思ったことがないと話す福山にとって、「父親が言ってくれた『こいつは根性だけはある』という、そのことがすごく自分を支えてくれていた気がするんですよね」と、父親の言葉が自身の励みになっていたことを明かした。

 福山が17歳の時、父親がガンを患い、1年間に及ぶ闘病生活を送った。そのときが「福山家にとって、僕ら家族にとって一番つらい1年間でしたね」と話す。

 「ちょっとヤンチャというか、どっか他のお父さんとちょっと違うやんちゃな感じの父親が好きだったんですよね。どっかで自慢もあったんですよね」と福山は自身を実直に見つめる。死ぬことに後悔がないと話していた父親が、闘病生活の終盤に抗がん剤等で体を弱らせる中、「『死にたくない』ということを良く言っていて、こんなに突っ張っててヤンチャだった親父でもこんなに弱っちゃうんだなって、すごく、しんどい一年でしたね」としみじみと振り返った。

 ただ、福山は父親の葬式を「すごく良い葬式だった。自分もそういう葬式をいつかしてもらえらいいなと思っちゃったりするんですよね」とも。

 自宅でおこなわれた父親の葬儀には、麻雀仲間が駆けつけた。ヤンチャな人が多い中、特にヤンチャっぽいと福山が称した人が泣きながら麻雀牌を並べたという。それは『九蓮宝燈(チューレンポートウ)』という難しい役。「それが出たら死ぬと言われているような、なかなか揃うような役満じゃないらしいんですけど、それを泣きながら並べてる人がいて、良い葬式だなって思って、父親の人生はこうやって良い友達のいる人生だったんだなって思って、それは嬉しかったですね」と子供心に父親の人生を受け止めたようだ。

 そして、福山は父親と同じく、今冬に父になる。黒柳は子供が生まれるとき、どんな風に感じると思うかと質問をぶつける。福山は「泣くと思います。絶対に泣くと思います。泣きにかかってるところもありますけど」と笑いながら、「これは泣こうと。赤ん坊が泣くのと同じくらい泣こうと」と、自身の心境を打ち明けた。

 さらに、「なんでしょうね。もちろん、感動の涙だと思うんですけど、悔しくて泣くとか、悲しくて泣くというのは今までの人生でもたくさんあったんですけど、嬉しくて泣いたのってあんまりないんですよね。きっと、赤ん坊、子供と対面するときはその感情には何とも名前をつけがたく、何とも説明できない、説明する必要もないのかもしれないですけど、すごく嬉しくて泣くんだろうなと思います」と率直な気持ちを語った。

 最後に、「僕が泣いてる姿を撮っておいた方が良いですね。非行に走りそうになったら」と笑顔で語り、第1子誕生を心待ちにする様子を語っていた。