日本人といえば、やっぱり「お米」! あったかいお味噌汁に、焼き立てのお魚やお肉、そしてほかほかのご飯。特に炊き立ての「ご飯」は本当に美味しいですよね。でも、もし私たちがいつも食べている温かいご飯が、1日に1回しか食べられないとしたら……。皆さんは「冷や飯」を、どう工夫して食べますか? 今回は江戸時代の「冷や飯」のお話です。


江戸時代の「冷や飯」レシピとは?



1日3食、朝昼晩とご飯を食べるのが常識な現代。
ですが、江戸時代の初期は1日2食が当たり前で、3食になったのは元禄時代以降。
行燈(あんどん)などの明かりが発達し、夕飯が食べられるようになったからだと言われています。

昔のご飯は一汁一菜が基本。
ご飯は玄米で、お米が何よりも大事な食材であったのは今と同じです。
でも、よくよく考えたら、昔は炊飯器がないので、保温機能などはありませんよね。
つまり、温かいご飯を食べられるのは1日1回。
ほかは、いわゆる「冷や飯」を食べなければいけませんでした。

では、その炊きたてのご飯を食べられるタイミングはいつだったのか?
それは、朝ご飯。
江戸っ子のほとんどはお弁当を持って働きに出ていたため、朝、お米を炊いて、そのまま炊きたてのご飯をいただき、そして昼用のお弁当に詰める……という流れが定着したのだそう。

これが京都や大阪になると、お弁当を持って出かける人が少ないため、お米を炊くのは昼。
夕飯と翌日の朝ご飯は冷や飯を食べるのですが、朝にはだいぶ固くなってしまっているので、お茶などを入れて「茶粥」として食べていました。
関西では、お粥を「おかゆさん」と呼ぶことがあるそうですが、こうした文化から、お粥への親しみが強いのかもしれませんね。

さて、朝に炊いて食べていた江戸っ子にとって、一番困るのは夕飯の「冷や飯」。
夏ならともかく、冬にもなると冷たいご飯はあまり食が進みません。
ではどうしていたかというと、残った味噌汁や惣菜と一緒に煮込み、食べていました。
「おじや」です。
味噌汁にネギや大根、ニラなどを入れて冷や飯を入れて煮立て、最後にとき卵で閉じる……うーん、美味しそう!
お米を美味しく食べるために、日本人はいろんな工夫をしてきたんですね。

文/岡本清香

TOKYO FM「シンクロのシティ」にて毎日お送りしているコーナー「トウキョウハナコマチ」。江戸から現代まで、東京の土地の歴史にまつわる数々のエピソードをご紹介しています。今回の読み物は「江戸っ子がご飯を炊くのはいつ?」として、4月11日に放送しました。

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