現代ならではの「ご縁」かも...由緒不明だったお寺のご本尊の来歴が、ツイッターを通じて明らかになる
岐阜県関市に、千手院という曹洞宗のお寺がある。寺の縁起によると、関の刀鍛冶の祖である元重の娘婿「千手院包永(かねなが)」が開基と伝えられている。刀鍛冶と縁が深く、現在も元重の石碑と位牌が安置されており、毎年11月には供養祭も行われているという。
この千手院の公式アカウントから2016年3月24日、次のような写真付きのツイートが投稿された。
現座道場 十一面千手観音菩薩様もご遷座完了し、仮のお部屋にてお待ちいただいております。 pic.twitter.com/KMBwSe2H3Z
- 千手院 (@senjuin1010) 2016年3月24日
写真は千手院のご本尊である「十一面千手観音菩薩」だ。これがきっかけとなって、ご本尊の縁起と由来が徐々に明らかになっていく過程が、まるで推理小説のようだと注目を集めている。いったいここからどんなドラマが展開していったのだろうか。
「三尊とも〇〇世紀、〇〇〇の作に見えます」
冒頭のツイートには、26日、こんなリプライが返された。
@senjuin1010 失礼ですが、千手観音の脇侍さんは、赤精童子(雨宝童子)と八大龍王ですよね。
- 麻加羅孟宗 (@kaunaya) 2016年3月26日
なぜに長谷寺式三尊の変わりバージョン??????????
千手院からは......
@kaunaya 初めまして。はい、そのお二方だと思われます。由来や縁起は全く伝わっておりませんが、お祀りいたしております。1743年に伽藍が全焼失しておりますが、その前からの方なのかどうかもわかっておりません。
- 千手院 (@senjuin1010) 2016年3月27日
これには、こんな返信があった。
@senjuin1010 不躾な質問への回答、ありがとうございます。この三尊は滝、清流、山岳にかかわる尊格として祀られることがおおいのですが。また、画像からみるかぎり、1743年以降のものではなく、三尊とも17世紀、京仏師の作にみえます。蛇足ながら。
- 麻加羅孟宗 (@kaunaya) 2016年3月27日
「三尊とも17世紀、京仏師の作にみえます」という重要な診断である。こうやって両者間で交わされるツイッターを通して、その制作年や十一面千手観音菩薩を作った仏師などを読み解いてゆくのだ。
例えば、こういったやりとりもあった。
@kaunaya ちなみにご本尊様の座面、蓮華台にはこのような墨書がありました。遊学という方方の作だそうですが... pic.twitter.com/TXsm7Q7IXU
- 千手院 (@senjuin1010) 2016年3月27日
@senjuin1010 「佛工京・・・学」たしかに京仏師だったですね。次の行は「・・・州関千手禅院」おいおい、「元禄十六癸未年(1703)」という墨書もありますよ。制作年ですね。おそらく。
- 麻加羅孟宗 (@kaunaya) 2016年3月27日
本尊の蓮華台に残された墨書から、制作年が1703年だと突き止められる。
さらに......
@senjuin1010 仏師わかりました。「佛工京・・友学」で、江戸中期を中心に数代つづく京都仏師のようです。https://t.co/0nrJINAikU
- 麻加羅孟宗 (@kaunaya) 2016年3月27日
関西大学の長谷洋一先生が江戸時代仏師の研究をなさっているので、きいてみたらいかがでしょうか?
「仏師わかりました」という投稿だ。仏師の名は「佛工京・・友学」、「江戸中期を中心に数代つづく京都仏師のようです」と推測している。
そして、仏師の名が明らかになっていくのだが、その全貌は千手院住職自身によって、「トゥギャッター」にまとめられているので、そちらをご覧いただこう。
千手院外観(千手院ウェブサイトより)