増沢 隆太 / 株式会社RMロンドンパートナーズ

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・永遠の若手
実年齢とは関係なく、自分自身の感覚がいまだにどこか学生気分の抜けきらない状態にあるんだと、人生の大先輩である70代の方がおっしゃっていました。子供のいない私は、50を過ぎても永遠の若手気分が抜けません。

維新の三傑、西郷隆盛は40歳、大久保利通は37歳、木戸孝允は35歳あたりで明治維新を迎えたとのこと。王位を継承したのではなく、貧しい身分から国を変える大事業を成し遂げた人たちがこんな年齢だと思うと、わが身を比較することが罰当たりな気がします。

今の草食化した若者と違い、私たちの世代であれば若い頃独身時代は恋人を追いかけ、結婚した後は子供を養いと、常に人間関係を追い、追われてきました。中年になりますと、さらにここに親が加わります。親元を離れ何年も何十年もたつころ、気付けば親は「お父さん・お母さん」から、「お爺ちゃん・お婆ちゃん」に変身しているのです。

・絶対に失敗しない法
ビジネスの第一線で活躍する方にとって、危機管理という感覚は欠かすことができません。失敗する「率」が一定であるとすれば、仕事をすればするほど、失敗の「数」は増えるはず。バリバリやればやるほど、そこには失敗と常に隣り合わせとなる環境でもあります。

失敗を絶対にしない方法は簡単です。何もしなければ良いのです。一切のチャレンジ、新たな職務、事業、製品、サービスへの挑戦をせず、決まりきったルーチンだけで済むのであれば、年齢・経験とともに失敗をしない能力は高まります。しかし第一線にいるということは、逆に新たな挑戦や前人未到の分野への参入抜きにはありえないはずです。

自らは絶対に挑戦などせず、他人の失敗を揶揄するだけで済むような人間は、確かに失敗しない人生かも知れません。しかしもはやそんな人間に任せる仕事が、少なくともこれから先、あるでしょうか?単なる年功にあぐらをかいて、働かないオジサンでもこれまでは済んだかも知れません。でもこれからそんな人がいられる場所はあるのでしょうか?人生はまだあと数十年はありそうです。

・著名人の訃報をどう感じるか
40代50代と、老齢とはいえない年齢で亡くなる著名人の訃報を見て、「若いのにお気の毒に」と思うようなら、人として真っ当だと思います。もし気の毒以外に、例えば、わずかでもそこに開放感などを感じることはないでしょうか。常に緊張感の下に置かれ、組織の板ばさみの立場で、自分だけのこと以外に家族のことを考える・・・・そんな人生の重荷からの逃亡を夢想することは、別に異常でも何でもありません。それを具体的行動に移そうと思ったら、要注意ですが。

中年の危機とは、ユングが定義したように人間誰しもが経過するものであって、病気や疾患ではありません。そうした変化が来るものだと自覚し、その変化に踊らされるのではなく、受け止め、自覚した上で対処する方が現実的対処といえます。

事業における危険が発生した場合にも対処できるよう、リスクマネジメントは常日頃備えがあるかも知れません。保険加入もその一つ。さらにご自身の人生における危機対応(クライシス・マネジメント)は出来ていますか?クライシスマネジメントでは、危機は「来るもの」として準備する、もう一段高い緊急性があります。

人は誰も年齢を重ねます。その際に考えれば済むこともあるでしょう。ただし、中年期に「危機(クライシス)」が来ることは、かなりの確率で想定しておくべきことといえます。特にビジネスの世界にいる人にとって、現在の大きな環境変化の波は、まずは人事制度の大変革となり、現実に襲いかかっています。次回はキャリアの危機を考えます。