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LUNA SEAのヴォーカルで、ソロアーティストとしても活動中の河村隆一さん。LINE BLOGも始められた隆一さんに、10月28日に発売したニューアルバム『Magic Hour』について、敢行中のライブツアーについて、LUNATIC FEST.で感じたこと、主催されているチャリティーゴルフのことまでうかがってきました!

――LINE BLOGを毎日書いてくださっていて、ありがとうございます! 更新される内容はどんなふうに決めていらっしゃるんですか?

今は感じたことを日々書き続けようと思っています。将来的には、書いたものをファイルに分けて、まとめようと考えています。感じたことファイル、物語ファイル、ワインや空を撮った写真ファイルなどです。

――先日書かれていた夢のかなえ方についての記事も、隆一さんが書かれるからこそ、重みがありました。

ありがとうございます。自分自身が実践したくて、実践しきれていない部分も人間なのであるんですけど。ポジティブシンキングを意識して、目的にフォーカスして、日々を過ごしています。怠けたり遊んだりする日があっても、それも目的を持ってやっています。今日はこの映画を見ることで、何かが生まれるはずだ、とか。

――かなえたい目標が決まったら、そこからそのためにやることを細かく決めていく、と書かれてましたね。

かなえたいことって、みんなあるんですよね。だけど、たとえば今から王様になりたい、とは思わないはずで。かなわないことは最初から思わないんですよ。かなうと思うから考えることができるんです。たとえば、音楽家になりたいって思ったとしたら、次のステップは目標を達成するために自分に何が足りなくて、どんな毎日を歩んだらそこに近づけるのかということまで考えるべきなんですよね。だから、まずはかなうんだ、と思うところから自分は始めるようにしています。

――「失うものはないんだから」と書かれていたのがとても印象的でした。

僕は学歴がそんなにあるわけじゃないし、子どものころから何かに秀でていたわけでもなくて。それでもやっぱり自分には音楽だと思っていました。たくさんの夢を今までかなえてきたし、きっとこれからもかなえていくんだろうと思います。あと不思議なのは、この人に会うな、と思った瞬間に、その人に会えたりします。

 ――ええ!

以前、『007』の曲をLUNA SEAでやらせていただいたんですが、そのときにもギターのSUGIZOと一緒にソフィー・マルソーと食事したんですけど、ソフィーに会うなってその前から思っていたんです。そしたら、やっぱり仕事のオファーがきました。同じように、たとえばみなさんがテレビでジョニー・デップを見たとして、「わーかっこいい! ジョニー・デップに会いたい。けど会えないだろうな」って思ったとします。そうしたら「会いたい、会うんだ。どうしたら会えるんだろう」って考えてみる。会える方法は絶対にあるはずなんですよ。まずは会えたときのことをイメージしてみる。そのためには自分でどう努力しようかと考えるのも、また楽しい作業なんですよ。

――そういった隆一さんの気持ちを知ることができるのも、ブログの魅力だなぁと思っているんですけど、ファンの方々のコメントは読まれていますか?

全部読んでいます。 100とか200とかみんなが書き込んでくれたものを読んで、いいことも悪いことも、次の記事に生かしています。何か自分の思いを書いたら、それに対して「私もそう思った」というコメントもあれば、「私はそんなふうにはなれない」というコメントもあります。それなら、もう少し、わかってもらえるような書き方があったんじゃないかと考えるんです。



ニューアルバム『Magic Hour』で表現したかったこと

――少しお話を変えまして、新しいアルバム『Magic Hour』についても教えてください。リリースされてから少したちますが、ファンの方々の反応はいかがでしたか?

今回は静かで大人っぽい作品なので、どう出るかなと思っていました。僕のファンの中には、LUNA SEAの熱狂的なファンもいますし、河村隆一のファンもいるし、今年はTourlbillon(トゥールビヨン)もありますし、いろんなファンが混在しているので、とらえられ方も違うんですよね。でも今のところ耳に入ってくる感想は曲が素晴らしいと言ってもらえているので、ちょっとほっとしています。

Magic Hour
2015年10月28日(水)発売\3,241(税別)



――大人でおしゃれな曲ばかりで、自分の部屋で聞いていても、空間がおしゃれに感じました。


全曲、仮タイトルはワインの名前だったんですよ。曲を書いている最中はワインを飲んだりはしないんですけど。今回は曲が先にできていて、詞をあとからあてはめたので、曲ができあがってからは、ひとりホテルにこもって、ワインを飲みながら書いていました。

――このアルバムは、ご自身が60歳になったときのことを考えて書かれたんですよね?

はい。今年、日本武道館で運良く、ポール・マッカートニーのライブを見ることができたんです。自分が子どものころからいる人たちが、今でも世界のトップスターとして、70歳をこえているのに光り輝いてパワフルなことに感動しました。僕らにとっては、神様みたいな人だから。ポールが弾きはじめると空気が変わるんです。その場にいる人たちの心が、動いているのがわかるんですよね。コンポーザーとしてはもちろん、ベーシストとして、奏者として、こんなすごい人がいたんだと思うほどのベースだったんです。

――そのときのライブに影響を?

自分がこれからも歌を歌い続けて、60歳、70歳になったときに、果たしてどんな歌を歌っているだろう? とそのときに思ったんです。ずっと歌い続けている人はミック・ジャガーもいるし、デビット・ボウイもいる。自分が60歳になったら、きっと一番、フィジカル的にも、歌うことが楽になっていると思うんです。経験も今より15年積んでいるし、きっと新しい高みを目指しているんだろうなとか、考えながら曲を書きました。

――年齢を重ねて、なお、輝く自分を想像されたんですね!

こういう作品を作ることで、自分が子どものころに思っていた、70歳になったらおじいちゃんになる、みたいな感覚をちょっと消して、70歳のロックスターである自分を投影してみたかったのかもしれないですね。70歳になったら当然、今よりも年を取るわけじゃないですか。それでも会いたいなと思っている人がいたり、ほしいものがあったり、音楽にも探究心を持っていて、けっしてゆるまない自分がいたら、すてきだなと思うし。そこでね、もう長くやってきたから充分だ、みたいなことだけは思いたくないなと思って。そのまま書いたんです。 

――CDジャケットもすてきですよね。

上野の国立博物館で撮ったんですが、リアルに歳を重ねている風景を撮りたい、ということで選びました。ヨーロッパは特に多いと思うんですけど、博物館というのは、威信をかけて贅沢に作っています。日本は地震があるから、あまり重厚な建物が少ない中で、国立博物館はすごく大切にされているんだなと思いました。

――少しライブについてもおうかがいできたらと思うのですが、『Magic Hour』のライブを今まで、六本木、府中、仙台と終えられてみて、いかがですか?

今回のライブは会場の音に影響されることが多くて。『Magic Hour』の曲は、本当にそこで歌っているように聞こえる音像にしてあるんです。となると、リバーブをほとんどかけず、デッドな会場だと本当にデッドな音が、響かないままに伝わってくる。そのへんが鍵でした。今回は選んだ会場がとても音のいい会場だったので、今のところとても順調に、会場の音響を受けてライブができています。

――ライブ中に何か、印象に残ったエピソードはありますか?

今言ったことをちょっと覆すようになっちゃうんですけど、六本木のブルーシアターは、もともと芝居小屋で、響かないように作られていますね。ちょっとロウだけ響いたり、いろいろバラつきがあったので、レコーディングのようにみんなキューボックスを従えて、ヘッドホンをしてもらって、中の音をモニタースピーカーからあまり返さないようにしました。中はレコーディングのときのように、シーンとしていて。ちょっと冷静になりすぎて怖いぐらいの音だったんですけど。結局、外のスピーカーって音を増幅させていますよね。中の音が濁っていると、その濁りも増幅されちゃうんですよ。それはすごく新しい体験でした。エンジニアさんからのオーダーで「隆一さん、そういうことであれば、キューボックスを試してみたいです」と言われて。ライブでキューボックスは、最初はカルチャーショックでした。

――ここでも新しい挑戦を!

キューボックスはレコーディングでよく使うんですけど、要はひとりひとりの音が各フェーダーにあがっていて、それを自分のヘッドホンの中で、ひとりひとりがミックスできるんです。1番にドラム、2番にベース、3番にピアノ、となっていたら、ドラムとベースを聞きたい人は、ドラムとベースを上げたり、といったことができるんです。自分の耳が1番聞きやすい音を選んで聞けるものなんですけど、ライブだとなかなかないんですよね。モニタースピーカー以外はほとんど切られていたと思います。ゼロだったんじゃないかな。



10年ぶりのTourbillonのライブ

――11月27日からはTourbillon(※RYUICHI(河村隆一)、INORAN、H.Hayama(葉山拓亮)の3人によるユニット)のほうもライブが始まります。こちらはどんなライブになりそうですか?  
Tourbillonのライブは約10年ぶりなんです。今回、ベストアルバム(新曲3曲含む)を出して、11月27日の国際フォーラムでのライブ、そして12月4日のZepp Nagoyaからツアーが始まります。Zeppをまわっていくということで、ファンもたぶん、最初はどう出るんだろうと思っているんじゃないかな。僕とLUNA SEAのINORANと葉山君も一緒に、どうするこうする、って話しながらこれから進めていくと思います。自分たちも不安と期待でいっぱいですね。今回もドラムの沼澤尚(ぬまざわたかし)さんを始め、ベーシストのTOKIEさん、それからギタリストの土屋昌巳(つちやまさみ)さん、サックスのyukarie(ユカリ)さんが集まってくれます。前のメンバーがそのままそろうような状態なので、懐かしさもあるし、きっと楽しいライブになるんじゃないかなと思っています。

――これから演奏されるにあたって、ここはあの頃と変えてみようとか、思いはありますか?

今まさに、過去の曲を聴き返しているところです。どうやって歌っていたかな、と思い出しながら。約10年ぶりに演奏するナンバーもあるので。でも僕はLUNA SEAの、ある意味ストレートなロック像と、河村隆一という、ソロワークのスタンダード性やポップス的なものだったりという面も持っているので、Tourbillonには実験的な要素をライブでも盛り込みたいなと思っています。どこかで何曲かは他のセッションではないチャレンジというか、実験的な、世界でどこもやっていないことをやりたいですね。



LUNATIC FEST.で得たもの

――6月に行われたLUNATIC FEST.のお話も少しうかがってよろしいでしょうか? あれから半年近くがたち、ご自身で振り返ってみて、どんなイベントだったと思われますか?

最初LUNATIC FEST.の話を、SUGIZOがメンバーと話したのは、3年前ぐらいにさかのぼるのかな。その時は、自分たちでフェスやるの? ってちょっとピンと来なくて。どのぐらいの人達が賛同してくれるんだろうとか、不安のほうが大きかったです。でも、進めるにあたって、JもINORANも真矢も、自分ももちろんですけど、みんなでいろいろ会話しながら、じゃあ誰には俺が電話するねとか、決めていって。

――メンバーの方々がそれぞれ親交のあるバンドへオファーされたんですもんね。
 
そうですね。あと、このバンドを入れると全体の毛色がこう変わるんじゃないか、今自分たちが求めているフェスのイメージってこうだから、このバンドに出てほしいよねとか。そういう水面下の5人の話し合いをたくさんしました。僕はあんまり知らなかったんだけど、LUNA SEAのDNAを引き継ぎながら今のシーンを引っ張ろうとしている若い子たちに対してもどこを呼ぼうかみたいな話もしましたね。

――隆一さんは LADIES ROOMのステージで『酒と泪と男と女』を歌われましたよね。「hideさんが歌っていて、心に残ったので」とおっしゃっていました。
X JAPANのhideさんは、一番最初にLUNA SEAを目黒の鹿鳴館に見に来てくれて、気に入ってくださった方なんです。hideさんからYOSHIKIさんを紹介してもらって、その後、エクスタシーレコードから「LUNA SEA」というインディーズ盤を出すんですけど。だから、LUNA SEAのデビューのきっかけになったのはhideさんだったと言っても過言ではないんです。

――hideさんがLUNA SEAを見つけてくれたんですね。

僕がhideさんと最初に会ったのは地方だったんですよ。その時にイベンダーさんに紹介してもらって、夜飲みに行くことになって、行ったお店にカラオケがあったんです。ステージみたいなのもあって、バンドとかも演奏しそうな感じの場所でした。そこでhideさんも何曲か歌われたんです。その中で1番印象に残ったのが、『酒と泪と男と女』だったんです。

――出会いの場で歌われた曲だったんですね!

この曲はフォークロックなんですけど、hideさんが歌うとロックのメロディになっちゃうんだよね。「この人ギタリストなのに、こんなに歌の表現力があるんだ」って、大先輩hideさんに対して僕はびっくりして。hideさんがソロをやる前だったから、「ソロでやらないんですか?」って言ったぐらい。思い出深い曲なんです。



後輩たちに伝えたいこと
 ――すてきなお話をありがとうございます。LUNATIC FEST.の際に、「自分達が音楽を次の世代に引っ張りたい」ということをおっしゃっていたのがすごく印象的で。隆一さんに憧れて音楽を始めた後輩の方々もたくさんいらっしゃると思うんですけど。今、後輩の方たちに伝えたいことはありますか?

そうですね。僕は最近ブログにも書いているんですけど、自分がなりたい姿やほしいものについて、いつも考えるようにしていて、決してマイナスのことは考えないんです。あと最近大事だなと思うのが、自分らしくいることと、人と比べないこと。例えば、ひとつの物を買う時に、スマホでもギガ数なんかで松竹梅があるじゃないですか?

――ありますね。

でも別に1番上のものを買う必要はないのかなと思います。「自分に本当に必要なのか」ということを考えた上で、選ぶのがいいんだと思うから。つまり、音楽を通して、若い世代には、自分達の等身大の最高峰を目指して欲しいんですよね。例えば他のアーティストが武道館で2daysやったから武道館で2daysやる必要は全くないし、絶対にドームでやらないといけないわけでもない。売れることにこだわらずに「僕らの音楽は、武道館なんだ。人が入ってもドームはやらない」っていうアーティストがいてもいいと思う。

 ――人気が出てもライブハウスにこだわるとか。
 うん。「そうでないと僕らの音楽にならない」とかね。そういうことをもっとイメージしてやっていって、自分たちにしかない文明を起こして欲しいなと思います。だから、自分たちも、25年以上やってきたけど、これからも自分たちらしさのゴールを見つけたいと思うし。背伸びをしてどうこうしようとも思わないし。そこが競う場所じゃないというか。そんなことは感じますね。



 ――最近のインタビューでは、若手のバンドマンの方に対してだけではなくて、若い人たちにもっと希望を持ってほしいということもおっしゃっていました。隆一さんが10代だった時代と、20代でLUNA SEAとして時代を築き上げた90年代と、2000年代での、若者の違いはあると思われますか?
 世の中の違いは大きいと思います。僕は1970年生まれなので、青春時代を過ごした80年代は日本はバブルで、一番派手で、物質に対してみんなが取り合っていた時代でした。全然悪い時代じゃないんだけど、そのときが10代だったので、周りから「でかくなれ」しか言われなかったんですよ。

――成功しろ、とまわりからも言われた時代だったと。

そうですね。「成功したら家にプールがある」、「車は何台持つのがいい」みたいな話しかされないし。僕はそれが好きだったから、車を何台も所有した時期もあったし、大きな家に住みたいとずっと思っていた。そういうことをかなえていきながら、30代ぐらいになった時がちょうど2000年代なんですけど。ゆとり教育が始まり、「マイカーは国産で充分」という風潮になった。大学生は、大企業に入って苦しむよりも、「もうこの国はバブルも崩壊したんだから、自分のやりたいことをコツコツやって、食べられるだけ収入があればいいじゃない」ということをみんな言っていたりしますよね。親たちも「大きくなれ」とか「プール付きの家を買え」とは言わない。

――ある意味、夢を見る人が減ったというか。
 僕は、何も物質的な物やお金だけに注目しているのではなくて。夢があるなら、かなえる努力をするべきなのに、本気でかなえようとする人がゼロになっちゃうのが嫌なんです。「金持ちになりたい」「大きい家に住みたい」「スーパーカーに何台も乗りたい」とか、ほしいものがあるならその気持ちは捨てないでほしいですね。滑稽に見える人もいるかもしれないけれども、ほしいものを手に入れようとする人が、人口比率的にゼロになっちゃうのは、何かおかしい。じゃあ努力もあんまりしないで、なんとなくスローライフな感じがいいの? と思うし。個人が夢を持てない社会だと、だんだんと、都市も日本全体もマイナーになっていく気がします。

――国全体に元気がなくなっていく。

そう。物質的なことだけじゃなくて「自分は彫刻家になりたいからお金は日銭でもいい。死ぬまでに1つでもいいから世界に認められる彫刻を残す」と言う人がいてもいいと思う。反対に「大富豪になって、自分のビルを買いまくってやる」と言う人がいてもいいとも思っているし。つまり十人十色の夢があるべきで、それがいっしょくたにパワーダウンして、「もっと堅実に生きましょう」というだけの世の中になっていくことに対して、もっと若い人達には夢を持ってほしいな、と思いますね。

――かなう、かなわないを考える前に、夢を持ってほしいですよね。

そうですね。僕の子どものころもやっぱり、みんなに言われましたからね。「歌は歌えるかも知れないし、上手いかも知れないけど、プロにはなれないよ」って。「そんなテレビに出て人気者になることなんてありえないから。だって考えてごらん」って中学ぐらいの時に言われて。「何くそ! 俺は絶対なってやる」って思っていたし。親や大人が、若者の夢に対して「やめなさいよ」って言うことが、もしかしたら未来のこの国を動かす原動力になるはずの若者たちの夢を摘んでしまっているんじゃないかなと思います。

――大人たちの問題もあると。

若い人たちにはちょっと無謀でも、たくさん大きな夢を持ってもらって、その夢がもし仮に上手くいかなくても、世の中が下支え出来るような仕組みを作らないといけないと思いますね。


LUNATIC FEST.後のソロ活動

――LUNATIC FEST.が終わり、今、ソロの活動を再開されてみて、ソロ活動に影響があった部分はあったと感じますか?

そうですね。LUNATIC FEST.は初日にのどの調子を壊して、調子の悪い中で2日目を迎えたんです。歌えるのかという、怖さと恐怖心がピークに達している中で、なんとか歌い切りました。あのときの経験が今も背中を押してくれているというのはありますね。あれができたんだから、これからもどうにかなるなと思います。LUNATIC FEST.はそういう2日間でした。あと、先輩との絆を、もう1度確認できる2日間でもありました。全てのコネクションがこれほどまでに時間が経ってもさびつかないのかなと、感動もしましたよね。

――ソロ活動を始められたのが、97年ということで、そこから18年が経ちました。ソロで表現したい音楽というのは変わってきましたか?

たぶん、作風は本人が違うものを作ろうと思っても、自分のメロディの作り方のクセだったり、歌詞の言葉のチョイスだったりというのは、そんなに大きく変わるわけじゃないと思うんですよ。でも、最近はすごくコンセプトを打ち出すようになりました。最初に出したのは、97年のミニアルバム『Cranberry Soda』で、次が『Love』というアルバムになるんですけど。この時にはバンドのLUNA SEAでは、やらない、できない、しないことを「河村隆一」名義でやってみようということで、ポップス寄りのロックを中心に作りました。そのときはコンセプトというよりは、より明るいロックというものに、全面的に向き合ってやっていたんです。

――それが最近は変わってきたと。

前作の『never fear』では「Concept RRR(コンセプトトリプルアール)」と言って、Rock・Roots・Ryuichiをテーマにして作っています。まさにLUNA SEAで培ったから今の自分があるんだという。「LUNA SEAから影響を受けたロックサウンドがあるとしたら、これだ」というものを出しました。今回は「ポップススタンダードジャズ」みたいなものを目指して、60代70代になったときに、LUNA SEAも続けていて、ソロではもしかしたらこんな音楽をやっているのかなあとイメージして書きました。

――ご自身で、どうしてコンセプトを元に作るようになったと思われますか?

昔で言う民放のチャンネルみたいだなと思っていて。まずLUNA SEAがあって、Tourbillonがあって、ソロの活動がある。これだけでも同じヴォーカリストなのに、ちょっと違う気持ちでステージに立つので。違うテンションだったり、見せようと思っている空気感や匂いが違うものを三つ提供できる。自分自身も三つの世界をまたいで行き来することで、常に新鮮さを持って、本当にやりたい時にやればやれるというスタンスです。さらに、ミュージカルや舞台みたいなものをやったりもしていますし。

――なるほど。

ソロの中でも、新しい挑戦をしています。マイクもスピーカーも使わないコンサートもやっているんですよ。オペラみたいに。これも来年またやろうと思っているんですけど。常に自分自身も新鮮な時の中に身を置きながら、新しい目的だったり、足りないものというのを見出せている。今はそういう感じです。


ゴルフを通して世界がより近くなった

――ファンの方も、いろいろな隆一さんが楽しめるんですね。少しだけ、パーソナルな質問もさせていただければと思うのですが、ブログにはチャリティーゴルフをされているお話も書かれていますよね。ゴルフを始められたきっかけは西城秀樹さんだったそうですが。
 
そうですね。ゴルフを始めたのは98年の時かな。そのとき20代後半だったんですけど、西城秀樹さんから「そろそろお前もゴルフをやれ」って言われて。元々スポーツはサーフィンや、ボクシングなどいろいろ好きだったので、やるならきちんとやろうと思って。毎日練習場に行って、300球打ちました。

――えー。毎日!
 
練習場で4カ月ぐらい毎日打ってから、ゴルフ場に連れて行ってもらいました。

――チャリティーゴルフを始められたきっかけは何ですか?
 いろいろな、チャリティーと名の付くゴルフのイベントには、レジェンドカップを始め、たくさん出させていただいているんですけど、いつもなんとなく「ゴルフやろうよ」と言うとすぐ2組3組と集まってしまうんですよ。これだったら、「久し振り」って会う人もいっぱいいるから、全員に声をかけたらすぐに20組30組50組になるなと。業界の人たちもいっぱいいるので、あいさつもできるし。

――そこで親交を深められるんですね!

もっと言うと、音楽でももちろん、いろいろなチャリティーをやっているんですけども、ゴルフはみんなで好き勝手なことをやっているんだから、ただのコンペではなくて、みんなで遊んで、それでもどこかに寄付をできるような催しにしたいなと思ったんです。これが5年10年続いた時に、総額で例えば1千万円寄付できました、500万円寄付できましたっていうことになればいいなと。俺たちはただ、楽しんで遊んでいるだけなのに、月日が経つとこれだけ大きなことができたんだねっていうことを、みんなと共有したいなと思って。それが「Ryuichi Kawamura Invitational」というチャリティゴルフコンペの始まりなんです。

――なるほど。ゴルフの魅力はやはり、そういった人と人とのつながりにあるんでしょうか?

4人1組でやるんですが、5、6時間も自然の中にいて、ゴルフしていると、立場も何も関係なくなるんですよ。企業の偉い会長さんだろうが、僕のようなアーティストだろうが、小さな子どもであろうが、ゴルフをやる以上は、同じチームでまわるんです。朝食を一緒に食べて、練習して、コースに出て、最後にシャワーを浴びて、お茶して、「今日はありがとうございました」って言うまで6時間くらい。こんなに長く一緒に遊べるものってゴルフ以外なかなかないと思うんです。ふだんは会議の場所でも、会長さんがいらしたら「おはようございます」しか言えないのが、「会長、あそこのバーディーすごかったですよね」「君もあそこはすごかったな」って意気投合できる。ゴルフを通して、世界が小さくなったというか、近くなった気はしますね。

――では、最後にブログを読んでくださっているファンの方々にメッセージをお願いします。

ブログは、できるだけ自分が思いついたことや、考えていることを書きたいなと思って書いています。すごくたくさんの人が見てくれているので、びっくりして、感動しています。これからも、自分の視点で思ったことや感じたことを書いていきたいなと思うので、楽しんでください。 

――ありがとうございました! 




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V.I.P. Press@line_blog

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2015/12/07 20:30:40


言葉のひとつひとつに重みがあった隆一さん。音楽はもちろん、小説や舞台などさまざまなことに挑戦し続けている生き方があらわれていると感じました!

河村隆一 公式ブログ

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それでは、また。

(撮影/奥田耕平、取材・文/Mikity)