【遠藤保仁セレクト】J1・500試合の中から本人が選ぶ「記憶に残る5つのゲーム」
遠藤保仁は2015年10月19日に行なわれたJ1第2ステージ14節・G大阪対浦和戦で、Jリーグ史上4人目タイとなる「J1通算500試合出場」を達成した。プロとなってから足掛け18年目。その大半の試合で先発出場したなかでたどり着いた偉業だった。
1998年、鹿児島実高を卒業した遠藤は、横浜フリューゲルス(横浜F)でプロサッカー選手としてのキャリアをスタートした。当時の監督はカルロス・レシャック氏。現役時代にはスペイン代表としても活躍した氏に見出され、ルーキーながらJリーグ開幕戦・横浜Fマリノス戦(以下、横浜FM)ですぐさまプロデビューを飾った。
“横浜ダービー”とあって、横浜国際陸上競技場に集まった観衆は5万2083人。満員に膨れ上がったスタジアムの真ん中で、興奮を覚えながらプレーし、その楽しさを実感したことが、今日まで続く長いプロ生活の礎になったという。
「まだまだ力は足りていなかったとは思うけど、開幕戦を戦い『ああ、こういうことか』と。プロとして戦うことの責任や楽しさ……いろんな想いをあの1試合で全部、一気に感じ取ることができたからね。それによって『ここで自分は戦い続けるんだ』という覚悟を持てたし、以降、プロ1年目のシーズンは半分くらいリーグ戦に出場して、その想いはより強くなった。そう考えても、あの1年目は僕にとってすごく大きかった。当時、フリューゲルスに在籍したスペシャルな選手たちと一緒にサッカーができたのも、最高の刺激だったしね。ただ……そこからJ1で500試合も出場するなんて、想像もしていなかったけど」
2001年、G大阪移籍後の足跡は、特筆せずとも知られたとおりだ。遠藤は、日本代表として三度のワールドカップを経験し、国際Aマッチの最多出場(現在152試合)を更新しながら、チームでも揺るぎない地位を築き上げた。
これまで出場したJ1・500試合のうち、大方で先発しているのがなによりの証拠。さらに言うなれば、Jリーグと並行してAFCチャンピオンズリーグ等でも存在感を示し、アジアでもその名を轟かせながら、自らの力で『遠藤保仁』の価値を高め続けてきた。
その裏でどんな戦いがあったのか。本人は「特別なことはなにもしていない。ただ、当たり前のことを、当たり前のようにやってきただけ」とサラリと振り返ったが、一方で仲間や支えてくれた人たちへの感謝の想いを口にする。
「プロとして自分を磨くこと、巧くなりたいという想いで変化を求めることは努力ではなく、プロとして当たり前のこと。ただ、それをキャリアとして積み上げていくうえで、仲間の存在は大きかったと思う。サッカーはひとりではできない。自分の良さを引き出してくれる仲間がいて、そのプレーを監督に認められる。だから試合に使ってもらえる。結果を残すためのチャンスをもらえる」
「あと、大きな怪我をしなかったのも大きかった。病気で戦列を離れた時期はあったけど、プレーに支障をきたす怪我はなかったから。もともと痛みに強いこともあり、少々痛くても試合でプレーすれば、なぜか治ることも多かったけど、それを信じてくれる監督、スタッフがいなければ、試合に出続けることはできないからね。そう考えると、やはり僕に関わってくれたすべての仲間、スタッフ、家族がいたからこその“500試合”だったんだと思う。そのどれが欠けても、今の僕はなかった」

