学生の窓口編集部

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時代劇の見せ場でおなじみの「合戦シーン」。騎馬隊が戦場を駆け抜ける姿はなんとも勇ましいものですが、実際はかなりショボかったのはご存じでしょうか?

ドラマでは競馬でおなじみのサラブレッドなどが使われているものの、日本に西洋種が来たのは1700年代の話。それ以前は体高130cmほどと小さい「在来馬」しか存在せず、フル装備した兵を乗せると10分ほどでバテてしまうため、騎馬隊の「大活躍」はかなり怪しい話。なかでも有名な武田騎馬隊は、武田軍の情報戦略でかなり「盛られた」話なので、存在してもごく少数、現代に伝えられるような活躍はムリでは?説も強く残っているのです。

■ポニーまたがり、いざ出陣!

「馬」と聞くと多くのひとがサラブレッドに代表される西洋種を想像するでしょう。体高170cmほどの大きなからだで、おとなを乗せて猛スピードで駆けるシーンが時代劇でもみられますが、じつはこれ真っ赤なウソ。西洋種が日本に来たのは1700年ごろで、「暴れん坊」で知られる8代将軍・徳川吉宗がはじめて輸入したと考えられているのです。つまり、1600年の「関ヶ原の戦い」を含め、それ以前の騎馬隊には「在来馬」しか存在しないのです。

日本の在来馬は西洋種と比べてひとまわり小さく、代表的な種類と体高は、

 ・北海道和種馬(どさんこ) … 125〜135cm

 ・木曽馬(きそうま) … 125〜135cm

 ・野間馬(のまうま) … 100〜120cm

ほどで、「ポニー」程度の大きさでしかありません。当時の日本人も小柄だったのは確かですが、子馬にまたがって出陣!はかなりコミカルな光景と言えるでしょう。

騎馬隊は活躍したのでしょうか? 映画のクライマックスでは広い戦場を縦横無尽に駆け抜ける姿が印象的ですが、フル装備した武者は100kgクラスになるので、ポニーサイズの在来馬にはムリのある話。再現テストをおこなったところ、わずか10分でバテてしまい、およそ1.5kmしか移動できなかったというデータもあるので、映画の合戦シーンは「盛りすぎ」。移動手段として使われていたのは事実でしょうが、さっそうと駆け抜ける騎馬兵、は「脚色」と呼ぶべきでしょう。

■「最強騎馬隊」はイメージ戦略?

なかでも有名な「武田騎馬隊」は、本当に活躍したのでしょうか? 在来馬の体力はもちろん時代背景を加味するとかなり怪しいで、小説やドラマほどの活躍はなかった、と考えるべきでしょう。

武田信玄が名将とされる理由のひとつとして「最強の騎馬隊」が有名ですが、当時はすでに「対・馬兵器」として斬馬刀(ざんばとう)が存在し、まず馬を攻撃、落馬した騎兵をフルボッコ作戦が定着していました。そのため騎馬兵は足軽(あしがる)を伴い、敵から馬を守るのが一般的でしたが、これでは持ち味であるスピードを活かすことはできません。

また、そんなに多くの馬はいなかったはず、という説もあります。もともと騎馬民族ではない日本人には馬を育てる、乗りこなすノウハウがなかったため、扱いに苦労したはずだからです。西洋では、軍馬を去勢(きょせい)するのが当たり前でしたが、これを知ったのは明治時代になってからで、気性が荒く振り落とされることも日常茶飯事。本格的な技術を学んだのは1800年代のことですから、当時にいたのは伝記の10分の1ぐらいとする説もあります。

装備を赤に統一した「赤備え(あかぞなえ)」と呼ばれる精鋭部隊を編成するなど、心理戦/情報戦に長けた武田軍だけに、「騎馬隊すげぇ!」のイメージが定着し、これが「無敵」「大軍」と発展した、と考えるべきでしょう。

■まとめ

 ・日本に西洋の馬が来たのは1700年代。徳川吉宗が輸入したと考えられている

 ・戦国時代には、ポニーサイズの在来馬しかいない

 ・フル装備の武士は100kgほどになり、在来馬が活躍できるのは10分程度

 ・武田騎馬隊は最強! は、イメージ戦略のたまもの

(関口 寿/ガリレオワークス)