週刊サッカーダイジェスト1994年9月28日号より。バレージの後頭部に左目を激しく打ちつけてしまった。現地評論家は「無理に競るべき状況ではなかった」と語っている。

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 ミランはセリエA第6節でジェノアと対戦する。前節でウディネーゼに3-2で競り勝ち、ここまで3勝2敗と白星が先行しているが、ここから勢いに乗るためには、絶対に勝点3を獲得したいアウェーマッチとなる。
 
 クラブの規模ではミランがはるかに上ながら、昨シーズン、2戦とも勝利を挙げたのはジェノア。同クラブのエンリコ・プレツィオージ会長に「昔と違って、今のミランを恐れる必要は全くない」と言われてしまうなど、ミランの凋落ぶりを改めて感じさせられるカードだった。
 
 雪辱という意味でも負けられない、ミランにとっては試練の一戦となるが、本田圭佑もまた試練の時を迎えている。ここまで4試合でスタメンに名を連ねるも、トップ下としての役割を果たすことができず、周囲からの風当たりは強くなる一方だ。
 
 現地メディアの予想では、ジェノア戦はベンチスタートが濃厚とされているが、果たして……。
 
 ところで、ミランとジェノアの対戦といえば、21年前、当時27歳の三浦知良(現横浜FC)が日本人・アジア人として初めてセリエAデビューを飾った思い出のカードでもある。
 
 本田とは逆に、カズが所属したのはジェノアだったが、チーム内で厳しい立場に置かれていた点は本田と同じだった。
 
 まだ日本人選手の実力が認められていなかった時代、カズが94年ワールドカップ・アジア予選で得点を量産し、アジアのMVPにも選出された事実がありながらも、移籍(期限付き)そのものがスポンサー主導と揶揄されていた。
 
 また、ジェノアのフランコ・スコーリオ監督(当時)はカズを「練習態度など、人間として尊敬に値する」と語る一方で、戦力としてはあまり評価しておらず、FWのレギュラー陣が全て怪我をした状況でも、SBを務めることもあったMFヨーン・ファント・シップをワントップに置こうとしたほどである。
 
 当時、セリエA3連覇を達成していた最強ミランが開幕戦の相手ということで、「MFに枚数を費やし、FWはひとりでいく」と明言していたスコーリオ監督。「ミウラはアタッカータイプではない」と語っていたことからも、カズのベンチスタートは決まりと思われたが、1994年9月4日、サン・シーロのピッチには彼の姿があった。
 記念すべき日本人のセリエAデビュー戦。しかし、イタリア人はこれを、いぶかしげに見つめていた。サブと思われていたカズのスタメン入りには「スポンサーのご機嫌をうかがうアルド・スピネッリ会長の意向があった」との説がまことしやかに囁かれたのである。
 
 果たして、カルチョの「ラ・スカラ」でのカズは無残だった。元々ドリブルなどテクニックとスピードで勝負するウイングタイプの彼は、慣れないワントップに置かれ、当時イタリアを代表するDFだったフランコ・バレージ、アレッサンドロ・コスタクルタの餌食となった。
 
 また、必死に動いてボールを待つも、味方がパスを出してくれることはなかった。カズの人間性を評価するチームメイトたちは、しかしピッチ上では新参者の日本人に何の信頼も置いていなかったのである。
 
 そして28分、バレージとの空中戦で顔面を強打したカズは、そのままピッチに倒れ込んだ。担架で運び出されて治療を受け、いったんは戦列に復帰したが、その左目はひどく腫れ上がっており、結局前半だけで試合を終えることとなった(試合はミランが1-0で勝利)。
 
 救急車で運び込まれた病院での診断結果は、鼻骨、眼窩の陥没で全治約1か月……。トーマス・スクラビー、ミケーレ・パドバーノといったレギュラー陣が欠場している間に好印象を残してレギュラーポジション獲得を狙ったのに、自身も大事な時期を病院のベッドの上で過ごす羽目となったのである。
 
 その後、サンプドリアとのジェノバダービーで貴重なゴールを挙げるなど、良いこともあったが、監督が2度も交代したこともあり、年間での試合出場は21、そのうちスタメン出場は10試合のみ(得点は前述の1点のみ)と、欧州での初挑戦は苦い思いばかりが先行するものとなった。
 
 ジェノアはセリエBに降格し、カズはシーズン後に退団、日本へ帰国した。しかし、彼はこの経験を糧として成長を遂げ、多くの人々から尊敬を集めながら、今なお現役としてピッチを駆け続けている。
 
 このように先駆者にとって苦難の幕開けとなったカード。あれから21年が経つ。カズ同様、アウェーの地に赴く本田は、今回もピッチに立つことができるか。そして出場した時、そこで何を見せてくるだろうか。