大津いじめ事件、馬鹿の尻馬に乗るな|日々是口実
連日、猛烈な報道がされている大津の中学校いじめ事件、今、私が恐れているのは「二人目の自殺者が出ないか」ということだ。
今、公然と顔をさらして矢面に立っているのは、大津市の教育長だ。なおも「いじめと自殺の因果関係」について明確に認めていない。また、昨日は中学の校長も記者会見に応じて謝罪した。すでに教師の名前も公然となっている。加害者やその親の名前も世間にさらされている。この人たちの家には、恐ろしい誹謗中傷が降りかかっていることだろう。
確かに、こうした大人たちの頑迷さが、この事件を「炎上」させているのは間違いない。しかし、彼らは犯罪者ではない。また、彼らが一方的に報復を受ける筋合いもない。
教育長というのは、教育者の“上がり”の役職である。教師の中で出世が早く、教頭、校長を歴任したエリート教育公務員が就く職だ。教育者としては最高の栄誉である。多くの自治体では、知事、市長に次ぐ地位にあるとされている。
教育長は、教育者以外から選ばれる教育委員長とともに、教育行政をつかさどっているが、実態は素人の教育委員長ではなく、教育長が仕切っている場合が多い。
教育長になるような教師は、教員生活を大過なく送るとともに、上からの覚えがめでたく、早くから出世を嘱望されている。父も教育長だった、という人も多い。
教育委員会という制度自体は、民主的な教育を推進するという目的の下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって創設された。しかし、60数年を経て、今では教育官僚のピラミッドの頂点と化している。
当然ながら、教育長は教師の利益を代表することが多い。不祥事があった場合も、それを徹底究明するよりは、本能的に組織防衛的な動きを取ることが多い。
橋下徹大阪市長が、大津市のいじめ事件に関連して「なぜ教育委員が出てこないか」と言及したのは、組織防衛に動くことが明らかな教育長ではなく、父兄や一般市民の立場で教育行政に関与する教育委員が判断を示すべきだ、との考えからだ。
しかし、教育長を除く教育委員は常勤ではなく、名誉職だ。こうした事態に対応できる能力はない。橋下氏は、そのことも十分承知で、敢えてそういう発言をしている。「今の事態は日本の教育制度の問題点を象徴している」という氏の言葉にそれが表れている。
つまり、健全な教育行政が行われず、官僚主義的な硬直したシステムになっていることが、今回の「いじめ事件」をこじれさせた一因なのだ。
個人としての教育長をいくら攻めたてても、問題解決にはならない。これを機に教育委員会の組織が変革されないと意味はないのだ。個人攻撃などもってのほかである。
7月11日には、これまで自殺した中学生の被害届を2回にわたって受け取らなかった滋賀県警が、教育委員会と中学校の家宅捜索に乗り出した。あたかも正義の味方のような顔をして乗り込んで、いろいろと発表しているが、要するに今の官憲は世論の顔色を見て動いているのである。警察の対応のまずさも事態をこじれさせた一因となった。
大津市長も、教育委員会とは別個に調査を指示した。これも、世間の非難をかわしたいとの思いからだろう。
毎日のように新事実が明らかになっている。そのたびに教育委員会や教師がやり玉に挙がっている。まさに“炎上”である。
子供たちに実施したアンケートの中身も、ネットに流出したようだ。この事態を憂慮する普通の人々に交じって、匿名をいいことにプライバシーを暴き立て、デマを発信する卑劣漢が暗躍している。正義の名のもとに、リンチに近い状況が起こっている。
小さな記事だったが、昨日、加害中学生の祖父と名指しされた元警察官の男性が、事実無根と警察に被害届を出した。無責任な情報は、信じてはいけないのだ。
少なくとも、加害者の実名を挙げているような情報は、ゴミだということを我々は知らなければならない。
今の時点で「大津のいじめ事件はひどい」ということは、だれでもいえる。便乗して騒いでいる連中を利するだけのことだ。
世の中みんながデビ夫人と同じ程度の知能しかないわけではないだろう。
今、必要なのは「落ち着きましょう」と誰かが言うことだ。本質は、硬直化し機能しなくなった教育行政にメスを入れることであり、誰かを血祭りに上げることではない。
一過性のから騒ぎの後で、旧態がそのまま残される。そんな事態こそが最悪だということだ。
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今、公然と顔をさらして矢面に立っているのは、大津市の教育長だ。なおも「いじめと自殺の因果関係」について明確に認めていない。また、昨日は中学の校長も記者会見に応じて謝罪した。すでに教師の名前も公然となっている。加害者やその親の名前も世間にさらされている。この人たちの家には、恐ろしい誹謗中傷が降りかかっていることだろう。
確かに、こうした大人たちの頑迷さが、この事件を「炎上」させているのは間違いない。しかし、彼らは犯罪者ではない。また、彼らが一方的に報復を受ける筋合いもない。
教育長は、教育者以外から選ばれる教育委員長とともに、教育行政をつかさどっているが、実態は素人の教育委員長ではなく、教育長が仕切っている場合が多い。
教育長になるような教師は、教員生活を大過なく送るとともに、上からの覚えがめでたく、早くから出世を嘱望されている。父も教育長だった、という人も多い。
教育委員会という制度自体は、民主的な教育を推進するという目的の下、GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)によって創設された。しかし、60数年を経て、今では教育官僚のピラミッドの頂点と化している。
当然ながら、教育長は教師の利益を代表することが多い。不祥事があった場合も、それを徹底究明するよりは、本能的に組織防衛的な動きを取ることが多い。
橋下徹大阪市長が、大津市のいじめ事件に関連して「なぜ教育委員が出てこないか」と言及したのは、組織防衛に動くことが明らかな教育長ではなく、父兄や一般市民の立場で教育行政に関与する教育委員が判断を示すべきだ、との考えからだ。
しかし、教育長を除く教育委員は常勤ではなく、名誉職だ。こうした事態に対応できる能力はない。橋下氏は、そのことも十分承知で、敢えてそういう発言をしている。「今の事態は日本の教育制度の問題点を象徴している」という氏の言葉にそれが表れている。
つまり、健全な教育行政が行われず、官僚主義的な硬直したシステムになっていることが、今回の「いじめ事件」をこじれさせた一因なのだ。
個人としての教育長をいくら攻めたてても、問題解決にはならない。これを機に教育委員会の組織が変革されないと意味はないのだ。個人攻撃などもってのほかである。
7月11日には、これまで自殺した中学生の被害届を2回にわたって受け取らなかった滋賀県警が、教育委員会と中学校の家宅捜索に乗り出した。あたかも正義の味方のような顔をして乗り込んで、いろいろと発表しているが、要するに今の官憲は世論の顔色を見て動いているのである。警察の対応のまずさも事態をこじれさせた一因となった。
大津市長も、教育委員会とは別個に調査を指示した。これも、世間の非難をかわしたいとの思いからだろう。
毎日のように新事実が明らかになっている。そのたびに教育委員会や教師がやり玉に挙がっている。まさに“炎上”である。
子供たちに実施したアンケートの中身も、ネットに流出したようだ。この事態を憂慮する普通の人々に交じって、匿名をいいことにプライバシーを暴き立て、デマを発信する卑劣漢が暗躍している。正義の名のもとに、リンチに近い状況が起こっている。
小さな記事だったが、昨日、加害中学生の祖父と名指しされた元警察官の男性が、事実無根と警察に被害届を出した。無責任な情報は、信じてはいけないのだ。
少なくとも、加害者の実名を挙げているような情報は、ゴミだということを我々は知らなければならない。
今の時点で「大津のいじめ事件はひどい」ということは、だれでもいえる。便乗して騒いでいる連中を利するだけのことだ。
世の中みんながデビ夫人と同じ程度の知能しかないわけではないだろう。
今、必要なのは「落ち着きましょう」と誰かが言うことだ。本質は、硬直化し機能しなくなった教育行政にメスを入れることであり、誰かを血祭りに上げることではない。
一過性のから騒ぎの後で、旧態がそのまま残される。そんな事態こそが最悪だということだ。